
強羅公園は2014年に開園から100年を迎えました。現在も開園当初の姿が殆ど姿を変えず現存するものがあります。これらが文化庁から「国登録記念物」に指定されました
ってな事で、登録されたあれこれを紹介します。
まずは正門。

開園当初からのもの。戦争中に正門周辺は改修が行われました。「強羅公園」の石板銘は、当時の社長五島慶太によるものです。
続きまして噴水池

開園当初からのもので、フランス式整形庭園の中心になってるそうです。

当日は天候が悪く、噴水周りが暗く写ってしまいました。急坂に公園がある為、正門からの園路・噴水奥に続く園路の階段。あ!公園内の移動は上下移動はだいたい階段が多めです。なにしろ正門(標高574メートル)ー西門(標高611メートル)間の標高差は、37メートルもあるので、園内の中心にある噴水周辺の景観は素敵ですよ。
さて。次は水道口

トップ画像の鳥は蛇口のヒネリ口でして、これもまた開園当初から現存している水道です。まさかの現役。
本当かな?と思わず鳥に手をかけてまわしたら、当たり前ですが水が出ました。出ただけでびつくり!でした。

石碑は園内に3つありまして、上の画像は1955年(昭和30)に建立された「斉藤茂吉歌碑」です。
「おのずから 寂しくもあるか ゆふぐれて 雲は大きく 渓に沈みぬ」
おまけ。
国の登録記念物ではないのですが、熱帯植物館とブーゲンビリア館があります。

国内最古のブーゲンビリアがあるそうで。

こちらは盆栽風に仕立てた株。昭和記念公園の盆栽園にもブーゲンビリアを盆栽に仕立てたものがありますが、この株は更に歳月を経てるように見えます。

ってな事で、登録されたあれこれを紹介します。
まずは正門。

開園当初からのもの。戦争中に正門周辺は改修が行われました。「強羅公園」の石板銘は、当時の社長五島慶太によるものです。
続きまして噴水池

開園当初からのもので、フランス式整形庭園の中心になってるそうです。

当日は天候が悪く、噴水周りが暗く写ってしまいました。急坂に公園がある為、正門からの園路・噴水奥に続く園路の階段。あ!公園内の移動は上下移動はだいたい階段が多めです。なにしろ正門(標高574メートル)ー西門(標高611メートル)間の標高差は、37メートルもあるので、園内の中心にある噴水周辺の景観は素敵ですよ。
さて。次は水道口

トップ画像の鳥は蛇口のヒネリ口でして、これもまた開園当初から現存している水道です。まさかの現役。
本当かな?と思わず鳥に手をかけてまわしたら、当たり前ですが水が出ました。出ただけでびつくり!でした。

石碑は園内に3つありまして、上の画像は1955年(昭和30)に建立された「斉藤茂吉歌碑」です。
「おのずから 寂しくもあるか ゆふぐれて 雲は大きく 渓に沈みぬ」
おまけ。
国の登録記念物ではないのですが、熱帯植物館とブーゲンビリア館があります。

国内最古のブーゲンビリアがあるそうで。

こちらは盆栽風に仕立てた株。昭和記念公園の盆栽園にもブーゲンビリアを盆栽に仕立てたものがありますが、この株は更に歳月を経てるように見えます。

”出る”
という噂の旧天城トンネルに行き、
何らの心霊写真も撮れず、テント泊で富士の樹海へ。
本屋で地図を買うと、
樹海散策ルートだの、駐車場だのと、
全くありがたみがなく、
挙句の果てに、駐車場に戻ってくれば、
車を置きっぱなしにしてたので、巡回のお巡りさんが
自殺志願者かと思って、実家に電話を掛けていました
「自殺するんじゃないでしょうね」
マニュアルどおりの質問
昆虫採集の網を抱えて、首をくくる奴がいるか?!
という、変な思い出の所です。
箱根に限らず、観光名所&公園では外国人観光客が年々増えてます。
しかし、迎える側の対応は以前と変化があまり見られない。
日本の常識が外国人には通じないのですよ。
箱根強羅公園でもロシア人と見られる外国人一家が無茶してました。
強羅公園内には、大岩が点在していて岩には杉苔などがびっしり貼り付いてました。
大岩の上にびっしり生えてる杉苔の上へ、ロシア人のおばさんがダイブして空を見上げていました。
一家について歩く日本人ガイドがビデオ回していたので「イカンで!苔が痛む!!」と一言言ったのですが、ガイドさんは謝るものの、肝心のロシア人のおばさんは笑い声を上げていい気分のまま。
ああ。苔枯れるな…。と。嘆かわしく思いました。
日本人ならば、公園の見事な苔にダイブなどしない。
他国の人にマナーをもの申すのは難しいかもしれませんが、こう外国人が増えると、ゴミのポイ捨ても多々目につく事が増えてます。
気にしちゃ負けなのですかね?