パリオリンピックの演出担当は、「あらゆる人を包摂しようとすれば、疑問の声が出るのは当然だ。破壊することが目的ではなく、多様性について語りたかった」「フランスには創造や芸術の自由がある。我々には多くの権利があるのだと伝えたかった」と言っていたものの、オリンピック担当者たちは、詫びることになり、『最後の晩餐』のパフォーマンスの動画も消されたり、スポンサーが下りたりしているようです。
Paris 2024 says sorry over opening ceremony's 'Last Supper' sketch (youtube.com)
(この動画には謝罪する人の前におかれているコカ・コーラを非難コメントもあり。)
このパロディや、その他のパフォーマンスを見ながら、思い出したのは、1980年代のサントリーのCM。
1983年CM サントリー ローヤル ランボオ (youtube.com)
Suntory Royal CM “ Antoni Gaudí ”(1984)/ Mark Goldenberg “ Orpheus, No ” Extension (youtube.com)
サントリーのCMは何かのパロディでもないですが、「幻想的」「退廃的」であり、「常識を超えた自由さ」を持つアルチュール・ランボーやアントニオ・ガウディの魅力をみせてくれる映像。
パリオリンピックの演出が違うのは、こちらは「見世物的」になりすぎて、常識の方を忘れてしまったことではないかと思います。
『最後の晩餐』に出演させた「ドラウグクイーンたち」も「見世物的」で、演出担当がいっているような「メッセージ」が伝わるとは思えず、「多様性支持派」にとても微妙だったのではないか、と思います。
ドラァグクイーン(英: drag queen)は、誇張した女らしさや性表現(女装)でパフォーマンスを行う人物[1]。ゲイのシスジェンダー男性であることが多いが、さまざまな性的指向や性同一性のドラァグクイーンも存在する[1]。纏った衣装の裾を引き摺る (drag) ことからこう呼ばれる[2]。
概要
男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるための手段として、ドレスやハイヒールなど派手な衣裳に厚化粧で大仰な応対をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出した。これがドラァグクイーンの起源とされる。
本来はサブカルチャーとしてのゲイ文化の一環として生まれた異性装の一つであるため、ドラァグクイーンには男性の同性愛者や両性愛者が圧倒的に多い。しかし近年では男性の異性愛者や女性がこれを行うこともある。趣味としてこれを行う者からプロのパフォーマーとして活躍する者まで、ドラァグクイーンの層も厚くなっている。
(中略)
語源
drag が「女装した男性」を意味する理由は以下の3説がある。 演劇界の隠語とするもので、1870年に初出の記録がある。当時舞台上で女性の役を演ずる女優が不足すると、子役や背の低い若作りの俳優が女装して代替を務めた。彼らは無骨な脚が観客から見えないようにロングスカートを履いたが、スカートの履き方に慣れておらず裾を床に引き擦り歩く滑稽な様子をあらわしたものである。
英語の名詞 drag は「引きずる」が本来の意味で、この説は一般で広く普及している。 ドイツ語で「着る」を意味する tragen が、イディッシュ語の trogn となり、これが英語化して drag となったとする説。現代口語英語にはイディッシュ語を経由したドイツ語を源とすることばが多いことを背景とした説だが、変化した際の子音交換が必ずしも音声学の法則に沿っていないところもあり、こじつけとする見方が一般的である。
英語の句「dressed as a girl」(女性のように装う)の略語とする説。英語圏以外で巷間に流布している説だが、これは俗説である。正しくは「dressed like a girl」という)。 drag queen という成語の初出は1941年である。
参考: