Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

杉原千畝、ジョン・ラーベ、そして・・・

2009年12月06日 | 人物

「僕は杉原千畝について、まったく知らなかった。彼のような人があの時代に(大勢)いたら、歴史も少しは変わっていただろうに。」

先日の話の途中、ジョン・ラーベの話が出たので、私が「日本にも杉原千畝という人がいましたが、ドイツでは知られていますか?」と質問したことに対してのドイツ人のトーマスさんの答えです。

杉原千畝(19001986)は、第二次世界大戦中、外務省が許可しなかったのにもかかわらず、リトアニアの領事館でユダヤ難民のために日本通過ビザを発給して多くのユダヤ人の命を救った外交官です。「ユダヤ人6000人の命を救った日本のシンドラー」-日本では本も出版されたり、ドラマにもなったりしているので、知っている人も多いと思います。

ジョン・ラーベ(18821950)の方は、のシーメンス社の中国駐在員であり、ナチ党南京支部副支部長でもありました。彼は南京で多くの中国の民間人を自宅に匿ったり、その後も日本の非人道的行為を阻止しようとしたり、日本軍から中国を強制退去させられたあとも、本国の政治家に働きかけ、三国同盟に反対をしたりした人です。

ユダヤ人を救った日本人、中国人を救った日本人-彼らが当時、自分の国がしていたことをどう思っていたのかも、また、彼ら二人ともが、自分とは関係のない人々を救ったのが信念からだったのか、やむを得ない状況だったからのか、もしくは他に考えることがあったのかはわかりません。しかし、どうであっても結果的には多くの人に命は彼らによって救われたのは事実です。

とはいえ、こうした人道的行が褒め称えられるのは今でこそ。当時は許されないことで、その後もあまり公にならなかったこともあり、二人の後半生はひっそり暮らすことになりました。

千畝は戦後ソ連の収容所に収容されたりもしましたし、外務省を依願退職(圧力があったのでしょう)。そのあとはそれでも日本の商社や教授をしたりして86歳まで生きたのですから、まだよいとしても、ラーベの方はゲシュタポに拘束されたり、左遷されたり、戦後は貧しい生活をと闘病生活で60代に亡くなっています。

オスカー・シンドラー、杉原千畝(そして彼のすることを応援した幸子夫人や家族)、ジョン・ラーベ。そのほか、スウェーデンの外交官のラウル・ワレンバークもユダヤ人を救ったことで知られていますが、普通の学生(代表的なところでは、ミュンヘン大学の白バラのショル兄妹など)や民間人を含め、戦争という異常な状況においても、人間性を失わなかった人はたくさんいます。

「彼らのような人が大勢いたら、歴史は変わっていただろうに」-歴史の話では、いつの時点でも”if””if”でしかないのですが、彼らのような人が『戦前』にいてくれたのなら、と思います。(戦争は第二次世界大戦だけではありません。過去にもあり、将来も・・・)

コメント
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