新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

初めての金沢探訪記 #0

2018-07-03 22:53:15 | MISIA/旅行記

先週末の金沢旅行記を始めます。
第1回「#0」としたように、始めから番外編
この旅行のメイン「MISIA星空のライヴX」国内オープニング公演のことを書いておかなければ と思いつつ、ツアーが始まったばかりのこのタイミングでネタバレ書きたくはないし…

ということで、「番外編」です。

   

まずは、「MISIA星空のライヴX」国内オープニング公演のこと。

「MISIA星空のライヴX」初日のチケット

「MISIA星空のライヴX」の最初の公演は、先々週末の台湾公演だったわけですが、遠征しなかった私(海外遠征するには障害が多すぎた…)は、台湾公演レポートとかセットリストを完全に遮断して、国内オープニング公演に臨みました。

で、どんな構成なのか、最初の曲は何なのか、情報皆無の中、ライヴはほぼ定刻に始まった(と思う)のですが、イントロを聴くうち、最初の曲はあの曲…? と思ったら、やはり「あの曲」でした

初っぱなから「あの曲」が来るかぁ~
それにしても、なんてステキな歌声… ホント、泣きそうでした。

ここからは、ネタバレしないように箇条書きで行きます

  • この夜もMISIA絶好調
  • バンドメンバーが「超安心」メンバー揃い
  • 久しぶりに聴くあの曲この曲に、ひやぁ~
  • 新曲ドラマ映画の主題歌に合いそう
  • 会場の盛り上がり申し分なし(この公演ほど、後ろから聴衆の歌声が聞こえたことはなかった)
  • 幸せ…

これから全国各地で「MISIA星空のライヴX」に行かれる予定の皆さん、期待して大丈夫ですよ

「MISIA星空のライヴX」金沢公演の感想はこの辺にしておきまして、次の話題にまいります

「MISIA星空のライヴX」金沢公演の会場は、「本多の森ホール」でした。

この会場、かつては「石川厚生年金会館」だったようで、地元の「本多なんとか」という企業がネーミングライツを買ったのかな? と思ったのですが、このホールを含む一帯「本多の森」と呼ばれる地域らしい…

それというのも、この一帯、江戸時代には、加賀藩家老だった「本多家」お屋敷があったらしい。

「本多家」は、この日、長町武家屋敷跡付近で見た案内板によれば、

加賀八家は、加賀藩の年寄(家老)の職に当たる門閥のことで、八家あったことから後に名付けられた。
元禄3年(1690)、5代藩主前田綱紀が定めたもので、本多家(50,000石)、長家(33,000石)、横山家(30,000石)、前田家(長種系18,000石)、奥村家(宗家17,000石)、村井家(16.569石)、奥村家(支家12,000石)、前田土佐守家(11,000石)があった。(幕末期の禄高順)

だそうで、さすが100万石加賀・前田家だけあって、家老職は大名級の石高を誇っていたんですな。
それはともかく、筆頭家老ともいうべき「本多家」とはどんな家柄なのかと調べると、加賀藩の家老・本多家の始祖は本多政重なる人物で、徳川家康参謀格だった本多正信次男でした。
本多正信次男が、どんないきさつで加賀藩に収まったのかは、Wikipedia他でお調べいただきたいところですが、正信嫡男・本多正純の運命を比較すると、なんとも深い

正純は、最盛期には宇都宮藩155,000石大名まで出世したのですが、父・正信と共に江戸幕府重鎮らからの評判が悪くて家康正信が亡くなると失脚
改易されて、子・正勝ともども佐竹義宣「お預け」になり、正純・正勝親子は幽閉先の出羽・横手で亡くなっています。

なぜ本多正純・正勝親子がお預けになった先が出羽・久保田藩(私の故郷)だったのかよく判りませんけれど、本多正信嫡男・正純次男・政重の運命を比較すると、なかなか感慨深いものがあります。

そういえば、「本多の森」辺りの町名は、

出羽町ですよ

なぜ本多屋敷周辺の町名が、本多家(忌まわしい?) ゆかりのある「出羽」の名が付けられているのか、私としてはかなぁ~り興味深いところ。
でも、その探求は、いつか気が向いたら試してみたい と思います。

【追記】「出羽町」について調べてみると、思いがけない事実が判りました。

まず、行き着いたこちらのサイトによると、

出羽町は藩政初期に、藩の重臣・篠原出羽守一孝とその一族、家臣が住んでいたので、藩政中期以降出羽町または出羽殿町とも呼ばれ、1番町から4番町に分れていた。

ということで、篠原出羽守一孝なる人物に由来する地名だったんですな。
さらにこちらのサイトには、古地図も載っていまして、現在の地図と縮尺・方位をなるべく近づけて比べるとこんな具合です。

道の形が昔の名残を濃厚に残していて、それだけでも感慨深いのですが、「出羽町」には武家屋敷が建ち並んでいて、町名由来の篠原家は、「出羽町」の外れに位置していたというのが、ホント、おもしろい
本多家の因縁に由来するのではないかという私の妄想は簡単に打ち砕かれました けど…

古くからの町名・地名「街の遺産(レガシー)」として大事にしないといけませんな。 (2018/07/05 21:36)

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