「ぼちぼちと関西旅行記(その1:難波宮跡編)」のつづきです。
大阪って日本離れした建物が多いという印象を持っていた私、大阪歴史博物館(左の写真の左側)、NHK大阪放送局(同右側)、そして大阪府警察本部が立ち並ぶこの一帯を見て、ますますその意を強くしました。
特に大阪府警察本部の建物
は凄いなぁ。どこか近くの国にありそうな建物だなぁ(相方はこちら?)と思いましたが、いかがでしょうか?
この建物群が立ち並ぶ交差点にこんな案内標柱を見つけました。

造幣局は「桜
の通り抜け」で有名だし、適塾は午後に行ってみる予定だし、難波宮跡は行ってきたばかりですが、上から三つ目に書かれている「舎密局」って何?
「しゃみつきょく」と読むのか? 情報機関のようなものか? なんて思っていたところ、この記事を書くにあたって調べると、これは「せいみきょく」という理化学の教育機関なのだそうな(旧制三高⇒京都大学の前身)。
Wikipediaの記述によれば、
「舎密局」の「舎密」とは、幕末期に広く使用された、蘭語のchemie(化学)に対する当て字
だそうな。「舎密」を「せいみ」と読ませるなんて、もっとまともな当て字は見つからなかったものでしょうかねぇ。知らなきゃ絶対に読めないゾ

前置きが長くなりました
観覧料600円(大阪城天守閣とのセットだと900円)を支払い、エレベーターで一気に10階まで昇る
と、一気に千数百年のタイムスリップ
10階には難波宮の大極殿内部が再現されていて、わおっ
私が「大極殿」に入った時は左の写真のように薄暗かったのですが、やがてブラインドが上がり、外の光が入ると、こんな感じ。
やりがんなで仕上げられた風の柱がリアルです。
そして、こんな案内板があり、
そしてそして、眼下には、難波宮跡の現物が広がっていました

これは見事な展示方法です(ちなみに地下では発掘された遺構を見ることができるそうな。私は見逃しましたが…
)。

高御座は、復元・平城宮大極殿の見事なレプリカ
(記事はこちら)と違ってイラストだけでしょぼかった(高御座のイラストの向こう側はエレベーターシャフト)のですが、高官や女官たちがリアルで(みんな背が高くないのは研究成果を反映したもの?)、飛鳥時代の宮殿に迷い込んだような気にさせてくれました。

そんな中で、思わずドキドキしてしまったのは、奉翳女孺(はとりのにょじゅ)がもっているモノ

説明書きを転載しますと、
女孺(「めのわらわ」とも読む)は宮廷で実務にあたった女官。高御座にあらわれた天皇の姿を隠すため、大極殿の左右にわかれて翳(さしば)をかかげた。本来、左右各9人、計18人が並ぶが、ここでは各6人で、礼服(らいふく)より実用的な朝服(ちょうふく)をまとう姿で復元した。
だそうです。
出ましたなぁ、「翳(さしば)」
今年8月末の記事「久しぶりの東博、やはり楽しい♪(その2)」で、このハニワ
について、

「翳(さしば)」(群馬県伊勢崎市豊城町権現下出土)の埴輪だそうですが、そもそも「翳(さしば)」って何?
と書いたのですが、その「翳(さしば)」の復元品を見ることができました
ちなみに、奉翳女孺(はとりのにょじゅ)の英語表記は、
Imperial Shade Bearer
となっておりました。非常に判りやすい表現です。
隣の展示コーナーに、来場者に背を向け、窓の外を見つめる謎の胸像がありました。

この胸像は、1954年からの発掘調査によって難波宮跡を発見した故山根徳太郎博士のもの。
8世紀後半の長岡京・平安京への遷都以降、難波宮跡は千年以上にわたって所在不明だったのだそうで、こちらのサイトの説明によりますと、
山根博士は大阪に生まれ、古代難波に興味をもって成長した。 偶然手にした瓦から難波宮の存在を確信し、 1954年、定年後から発掘調査という手段で長い間わからなかった難波宮を明らかにした。 何度も起こる開発の波に毅然として正面から立ち向かい、保存を訴え続けた。 その結果、大都市の中に難波宮史跡公園を実現することができた。
のだそうです。
博士を顕彰するコーナーから、公園として整備された難波宮跡を見下ろす博士の胸像、、、なかなか良い趣向です


私、大阪歴史博物館を甘く見ていたようです。記事1本ではとても書ききれません。
っつうことで「大阪歴史博物館編」はまだ続きます