瑛九(えいきゅう)というアーティストがいました。「アーティスト」といっても、安っぽく自称されている「アーティスト」ではなく、本来の意味であるところの芸術家としてのアーティストです。
Wikipediaでは、
瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月10日)とは、日本の画家、版画家、写真家。
と説明されているように、簡単にジャンル分けできる人ではありません。
私はこれまで何点もの瑛九の作品を観ましたが、それぞれの作品が強烈な個性を放つ一方で、「いかにも瑛九」というものを掴むことができませんでした。
「群盲象を評す」という寓話にでてくる、象の部分部分にだけ触って、「象(の脚)とは柱のようなものだ」「象(の耳)とはうちわのようなものだ」…と感じた盲人たちと同じような感覚です。
いったい瑛九とは何者?
そんな私が、今、埼玉県立近代美術館(MOMAS)とうらわ美術館で分散開催されている「生誕100年記念 瑛九展」を観に行ってきました。
MOMASに入場する前に、音楽噴水の前で一服
と、隣のベンチで昼寝するおじさんと、MOMASの入口にあるボテロの「横たわる人物」がオーバーラップしていました
それはともかく、「生誕100年記念 瑛九展」は、
年代順やジャンル別の構成ではなく、8つのトピックによって瑛九の人とその作品をリアルに紹介しようとするものです。各トピックを、瑛九の特徴的な側面を照らし出す「光源」としてとらえ、異なる「光源」により、様々な角度から、瑛九の人と芸術を照らし出すことを試みます。瑛九の様々な特徴が照射されることにより、生誕100年にふさわしい「全貌」がみえてくることでしょう。[主催者挨拶より]
と、いうことで、8つのトピックは、MOMAS(M)とうらわ美術館(U)でそれぞれ4つずつ、しかも順不同で展示されています。
1. 文筆家・杉田秀夫から瑛九へ (U)
2. エスペラントと共に (M)
3. 絵筆に託して (U)
4. 日本回帰 (U)
5. 思想と組織 (M)
6. 転位するイメージ (M)
7. 啓蒙と普及 (U)
8. 点へ…… (M)
展覧会場や図録に載せられている超簡略化された瑛九の略歴(?)が、瑛九の多彩ぶり・多才ぶりを物語っています。
1911年4月28日。
杉田秀夫、宮崎市に生まれる。
文学・文筆家
論客・美術評論
写真家・フォト・デッサン
東洋回帰・静坐
俳句・水墨画・詩人
共産党・文化運動家・地方文化への情熱
エスペラント・国際的視野
自由な組織・デモクラート
啓蒙家・指導者・教師
版画家・画家
1960年3月10日、瑛九、浦和で没する。
瑛九が手がけたジャンルとして私が知っていた(作品を観た)のは、印画紙の上に型紙や物体を置いて直接感光させたフォト・デッサン、エッチング、原生生物や細胞を連想させる油彩画、そして点描作品くらいのもので、それもまた「象」の一部分だったわけですな。
この展覧会では、「いかにも印象派」な作品や「いかにもキュービズム」な作品のほか、瑛九が大きな影響を受けたと考えられるオノサト・トシノブ、三岸好太郞、古賀春江、長谷川三郎、パウル・クレー、マン・レイ、モホリ=ナジらの作品(一部は写真)も一緒に展示されていて、様々なジャンルや芸術家から刺激を受け、それを取り入れて、脱皮を繰り返していった瑛九の人生(芸術家としての人生と、人間・杉田秀夫としての人生)を俯瞰できる堂々たる展覧会だったと思います。
あ、そうだ、両会場とも入口に設置されていた瑛九のサインを立体化したオブジェがかっこよかった
難を言えば、MOMAS⇔うらわ美術館の交通の便があまりよろしくないこと。
私は徒歩で移動したところ、フライヤーに書かれているとおり、約20分かかりました。
かと言って、電車(京浜東北線)で移動するのも、たった一駅だけ電車に乗って、浦和駅からうらわ美術館まで「徒歩7分」というのは、あまり楽しい話ではありません
ところで、この展覧会の図録は、かなりユニークな装幀です。
それはともかく、この図録の冒頭に、瑛九の言葉がエスペラントらしきもので日本語訳と共に掲げられています。
僕は平凡な毎日が、
Por mi ĉiu ordinara tago
精神の上で
estas en lamondo de granda
大きな冒険とスリルの世界です。
aventuro kaj ekscito spirita.
思わず、「精神」「冒険」に反応してしまうのは、いかんともしがたい私でありますヨ
ところで、MOMASの常設展示室での「MOMASコレクション」もかなり見応えがありました
展示作品の中に、草間弥生の「A.Q. INFINITY NETS」がありましたけど、これって学芸員さんの遊び心か?
それはさておき、「生誕100年記念 瑛九展」は、MOMAS・うらわ美術館両館とも11月6日までです。