ついに、私にとって47都道府県目になる三重県にやって来ました
こちらでツイートした「特製ビニール傘」を勝浦のホテルに忘れてきたり、昨日来の豪雨の影響とかで列車が遅れて乗り継ぎにヤキモキしたり、伊勢市駅の南北間の行き来の不便さ(自由通路がない)に閉口するといったできごともありましたが、天候に恵まれた三重初日となりました。
今日の旅程は以下のとおりでした。
ホテル⇒徒歩⇒紀伊勝浦駅⇒特急「南紀」⇒多気駅⇒参宮線⇒JR伊勢市駅⇒徒歩⇒ホテル⇒徒歩⇒近鉄宇治山田駅前で昼食⇒徒歩⇒豊受大神宮(外宮)・せんぐう館⇒外宮前⇒バス⇒内宮前⇒徒歩⇒皇大神宮(内宮)⇒おはらい町・おかげ横丁⇒内宮前⇒バス⇒宇治山田駅前⇒徒歩⇒ホテル
詳しいことは後日にまわすとしまして、伊勢市を歩いて気づいたことがあります。
それは、玄関先にしめ飾りを吊している家庭・店舗・企業が多いということ。
私の常識では、「しめ飾りは正月のもの」なのですが、伊勢では常識が違うのでしょうか?
飾られているしめ飾りのほとんどは、
「笑門」と書かれたものか、
「蘇民将来子孫家+門」と書かれたもので、ごく一部に、
「お多福+門」と書かれたものもありました。
そういえば、去年のGWの関西旅行の際(旅行記はこちら)、當麻寺の参道で、しめ飾りを玄関先に下げている家庭がいくつかありましたっけ…
やはりお隣同士の県だけに似た風習を持つのだろうかと考えつつ調べてみました。
すると、発見から1年も経って、新たな事実が明らかになりました。
當麻のはしめ飾りではなく、當麻天神講のしめ縄なんだそうな
葛城市のこちらのサイトによりますと、
7月25日、葛城市當麻において、當麻天神講(六十人講)が営まれました。旧當麻町大字當麻に伝わる天神さん信仰の講によるもので、毎年頭屋を二軒選び、古いしめ縄をはずして新しいものに付け替えるという習わしです。しめ縄は、天神講の家の中に悪神が入ってこないよう、家族の安全を祈って掲げられます。
だそうな
うかつな推察はするものではありませんなぁ
で、一方の伊勢、「伊勢 しめ飾り」でググると、すぐに答が見つかりました。
伊勢市観光協会のサイトによれば、
正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢志摩では、一年間かけたままで過ごす風習があります。
それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符です。
ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。
だとか。
「門」も含めた「蘇民将来子孫家門」なんですな。でも、蘇民将来の話は以前に耳にしたことがありましたが、「笑門」が、「笑門来福(笑う門には福来たる)」ではなく、
「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。
だとは、思いもよりませんでした
それにしても、平将門がこれほど嫌われているとは、東人(あずまびと)たる私としては、かなりビミョーな気分です。
ということで、人生初の「お伊勢参り」よりも、こんな風習が印象的な伊勢初日でありましたとさ。
【追記】伊勢のしめ飾りコレクションに1枚追加
つづき:2014/05/01 お伊勢参りの順番
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