突然ですが、3月末に決行した仙台への日帰り旅行のことを書きます。
当日の記事「仙台は寒くて、そして、熱かった」であっさりと書いたように、この小旅行の一番の目的は、「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」の仙台公演だったわけですが、まだ開店前のお店が目立っていた仙台到着から帰りの新幹線に乗るまでの約12時間、かなり充実した旅行となりました。
例によって、この日の旅程を書いておきます。
自宅⇒徒歩⇒最寄り駅⇒埼京線⇒大宮駅⇒東北新幹線⇒仙台駅⇒徒歩⇒(東北大学片平キャンパス)⇒瑞宝殿⇒徒歩⇒仙台市博物館(「法隆寺 祈りとかたち」展)⇒徒歩⇒宮城県美術館(ミュシャ展)⇒バス⇒一番町界隈⇒徒歩⇒東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)⇒徒歩⇒仙台駅⇒東北新幹線⇒大宮駅⇒埼京線⇒最寄り駅⇒徒歩⇒自宅
私の健康法は、「旅行先で歩く」ことなのかも…
仙台駅から伊達政宗公の霊屋(おたまや)・瑞宝殿までは、バスで行くのが定番なのでしょうが、時間がたっぷりあることですし、歩いてみました。
南町通り・五橋通りから片平への道沿いは、相変わらず麻雀屋さんと古本屋が多くて、なんか懐かしい雰囲気です。
東北大学片平キャンパスには多くの古い建物が残っています。
大学生協の看板を掲げているこちらの建物は、魚の鱗のような屋根のスレートが面白い
屋根をアップしてみますと、
こんな具合。
また、こんな古そうな建物も現役です。
こちらは「1924年(大正13年)に東北帝国大学附属図書館本館として建設された」という由緒ある建物で、現在は東北大学史料館して公開されているそうな。
但し、
開館日 月曜日~金曜日(祝日及び大学の定める休業日を除く)
というのはちょっと…
「ちょっと」といえば、片平キャンパスでちょっと珍しいペットを散歩させている人がいらっしゃいました。
ミニチュアホース
まさかこんなところで散歩中のおうまさんに出会うとは思いませんでした
片平から霊屋橋を渡って(学生の頃、この辺りに住んでいた友人宅によく遊びにいったものでしたっけ…)
昔、妙に好きだった風景を超久しぶりに眺め、
瑞鳳殿(経ケ峯)のふもとに到着しました。
かなり登って登って、ようやく瑞鳳殿
うん十年ぶりです
観覧券の左に載っている歌は
入そめて くにゆたかなる みぎりとや
千代とかぎらじ せんだいのまつ
「1000年の世といわず永年に栄あれ」と、伊達政宗公が歌ったもので、これが「仙台」の地名の由来となっているのだとか。
それはともかく、涅槃門の黒と金の取り合わせがよござんすなぁ
そして、地下で伊達政宗公が永遠の眠りについている瑞鳳殿。
豪華絢爛とはこんなことをいうのでしょう
まさに桃山様式ってヤツです。
実は、この瑞鳳殿は新しい建物です。
桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。
というわけなんですが、どうして伊達家三代(政宗、忠宗、綱宗)の霊屋しかないこの場所が「戦災」に逢ったのでしょうか?
仙台城二の丸跡には陸軍第二師団の司令部が置かれていましたから、二の丸の正門だった大手門が焼失したのは理解できるのですが、瑞鳳殿が焼かれた理由が判らない…
のべつ幕なく爆弾を落としたということなのでしょうか…
次に向かった仙台市博物館(仙台城三の丸跡)では、「東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年 法隆寺 祈りとかたち」展が開催されていました。
奈良、斑鳩の地に飛鳥時代から続く法隆寺は、聖徳太子の教えを今に伝える祈りの場として、人々に親しまれています。 太子の教えとともに守られてきた多数の美術工芸品は、日本屈指の質と規模を誇り、文化財の一大宝庫ともいえます。このたび、東日本大震災からの復興を祈念するとともに、新潟県中越地震復興10年という節目の年に、法隆寺の寺宝の数々を公開する展覧会を開催いたします。除災や国家安穏を祈って造られた金堂(国宝)の毘沙門天、吉祥天(いずれも国宝)をはじめ、奈良、飛鳥時代以降の優れた彫刻や絵画、色鮮やかな染織品を含む工芸など仏教美術の粋が出陳されます。また、フェノロサや岡倉天心による明治期の調査を発端として、法隆寺所蔵の文化財保護と継承に携わってきた 東京美術学校(現・東京藝術大学)の活動や、法隆寺を主題に制作された近代の絵画・彫刻なども紹介します。約70件の名品を通じて、法隆寺信仰への理解を深めていただく機会となります。
という趣旨のこの展覧会、現在は東京藝術大学大学美術館に巡回中(6月22日まで。その後、新潟県立近代美術館に巡回)ですが、私としては、どこがどうだと言うわけではないものの、イマイチでした。
でも、衝撃の作品と出会いました。
鈴木空如の筆になる「法隆寺金堂壁画模写」です。
実物大の巨大な模写に圧倒されました
なんだか伝わってくるものがあって、もうドキドキ
そしてさらに驚かされたのは、この「法隆寺金堂壁画模写」を所有しているのが、秋田県大仙市だということ
鈴木空如さんという仏画師がいらっしゃったこと、空如さんが1907年から25年の歳月を費やして、法隆寺金堂壁画を三度に渡って独力で模写したこと、空如さんが秋田県の生まれ(旧 仙北郡小神成村、現 大仙市太田町)であること、そして、「法隆寺金堂壁画模写」を大仙市が所有していて、その調査事業に取り組んでいること、これらすべてが初耳
秋田県人たる私としては、かなりのショックでした。
NHK日曜美術館では、5月18日の放送(再放送:5月25日)で「祈りの仏画 鈴木空如と法隆寺金堂壁画」として空如さんを取り上げました。
この春、空如の母校である東京藝術大学の美術館で開催される「法隆寺展」では、空如の金堂壁画模写が目玉として登場する。世俗の名誉から離れ、信仰を支えに、ひたすら古い仏画を世に伝えることをみずからに課した空如。今、あらためて見直される画業と生涯を、法隆寺金堂壁画の模写をとおして見つめる。
空如さんにとっての模写は、単に「名画を描き写す」ことではなく、仏の世界を自分に取り込む(仏の世界に自らを投じる)一つの宗教的行為だったのかもしれません。
薬師寺のHPに、
お経を見る事には非常に大きな功徳があり、また、声に出して読むと更に大きな功徳があり、更には書き写す事で非常に大きな功徳があるといいます。お経を一文字一文字心をこめて書き写すのは仏像一体一体を刻む事と同じ事なのです。どんな人々にも本来清浄な心があり、自らの手でお経を書写することにより発菩提心を発見することがお写経の最大の功徳であります。
と書かれていますが、仏画を模写することは、空如さんにとっての「写経」だったと思えます。
仙台市博物館での「法隆寺金堂壁画模写」との思いがけない出会いは、日曜美術館のおかげで一歩先に進めることができました。
微力ながら大仙市の「鈴木空如資料調査研究事業」をサポートするべく、ふるさと納税しようかと本気で考えている私です。
突然、2ヶ月前の仙台旅行の記事を書いたのは、実は鈴木空如さんのことを書きたかったからでした。
ですから、記事を途中で分けることができませんでしたし(おかげで長文になってしまった…)、この後に観た「ミュシャ展」@宮城県美術館のことを書く予定はございません
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