3年ちょっと前、ある古い新聞記事の縮刷版又はマイクロフィルムの所在をネットで探した結果、埼玉県立浦和図書館がマイクロフィルムで保管していることを知り、さっそくに出かけてきました。
A5サイズほどのシートに何枚もの画像が焼き付けられているマイクロフィッシュは会社で扱ったことがありましたが、映画のフィルムのように長ぁ~くリールに巻き付けられたマイクロフィルムをマイクロフィルムリーダーに装填して見たのはこれが初めて 早送りするときには、千切れたらどうしよう
とヒヤヒヤ
でした。
それでも無事に目的の記事を見つけ、ハードコピーをとってきて、自宅でそれをスキャンしてPDF化しました。
それが、こちら
1998年7月10日付け産経新聞夕刊(当時は首都圏でも産経の夕刊が発行されていました)に載った、
これは、衝撃です。今年2月にデビューした歌手、Misia(ミーシャ)。5オクターブのパワフルな歌声。大変な実力派ボーカリストです。歌はやはり聞いてみなければわかりませんが、3ページにわたって、その20歳の素顔に迫ってみます。R&Bなんて知らない-という世代の方々もご注目を。
というMISIA(当時はMisia)の特集記事
MISIAへのインタビューの他、年譜(といっても、97年4月の大学入学から翌年7月7日の「アルバムMFBSの販売が100万枚突破
」までの1年3か月だけ…
)とか、名前の由来とか、関係者の証言とか盛りだくさんで、「Misiaって誰だ
」と謎が熱く語られていた当時の雰囲気が伝わってくる貴重な特集になっています。
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Mother Father Brother Sister 価格:¥ 3,059(税込) 発売日:1998-06-24 |
この中でも特に面白かったのが、98年7月3日に行われた「CLUB SUMMIT 1998」の仙台公演のレポート。
長くなりますが転記しましょう。
こんなに盛り上がっていいんですか。いーーんです!
全国主要都市のクラブをツアー中のMisia。そのしょっぱなは仙台市の「イベントホール松栄」。JR仙台駅東口前にある駐車場ビル六階の貸し切りスペースを改造した“急造”クラブに、千人以上の若者が詰め掛けた。
午後8時の開場から2時間以上かかって客入れ、600㎡以上あるホールは、人でびっしりだ。ステージ近くの聴衆はDJのスクラッチにリズムを合わせて踊り続ける。<中略>
「ウオーッ」。総立ち、大歓声。いやほとんど悲鳴だ。恐らく、この場にいる全員が知っているファーストアルバム収録曲『K.I.T』。日付も変わった午前零時半、ようやくMisiaがステージに立ったのだ。<中略>
『K.I.T』から始まるメドレー。そしてセカンドシングル『陽のあたる場所』では会場が大合唱に。歌の合間に短いトーク、Misiaが「みんな元気ーっ、こっちも元気ーっ」と声をかけると、また歓声。そしtなぜか唐突な「ニッポン」コール。
『Never gonna cry!』の後、アンコールの連呼もむなしく、ラップグループが登場。聴衆がホールから帰りかけるが、いきなりファーストシングル『つつみ込むように…』が流れ、まるでパニック状態に。
またまた会場全体で大合唱だ。ヤバイっす、タイヘンです!ステージ前の床が揺れている。ホールびっしりの人数が両手を挙げてゆらゆらダンスをしていたためだ。まさに床も抜けんばかりの盛り上がり。熱狂的な30分だった。 (水野拓昌)
開場が午後8時で、客入れに2時間以上かかって、ようやく午前0時半にMISIAが登場したかと思ったら30分でお終い、とか、まさしく隔世の感がいたします。
でも、ライヴの熱さが伝わってきます
ところで、この「CLUB SUMMIT 1998」仙台公演の会場になった「イベントホール松栄」のことは、3年前の記事「MISIA in Sendai(その1)」で書きました。
昨年12月のTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST仙台公演(記事はこちらほか)の際、仙台駅東口を出て会場の仙台サンプラザホールへ向かう途中
にこの「イベントホール松栄」の前を通った人が多かったと思いますが、そのうちどれくらいの人がこの「駐車場ビル」で13年前にMISIAがライヴをやったことを知っていたのでしょうか?
私は「イベントホール松栄」を「MISIA遺産」に推薦したいデス
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