新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「ビバ初め」札幌旅行記 #2-7

2017-03-19 19:13:16 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-6」のつづきは、北海道開拓の村の見聞録です。

8年前に北海道開拓の村に来たときは、4時間以上も歩き回って、それでも見尽くせなかったというのに、今回は2時間しか時間がないので、建物の内部に入るのは厳選しました。

で、ルートマップがこちら。
が内部まで観た建物で、こうして見ると、ホント少ない

でも、博物館明治村にしても、江戸東京たてもの園にしても、実際に使われていた建物を目の当たりにするのは、楽しいのですよ。たとえ建物の中に入らず、外観だけでもね。
建物好きの私にはたまらない施設(博物館)です

と書きながら、建物の中に入ってみると、この建物の中で人々が本当に暮らして、喜怒哀楽が繰り広げられていたのだと考えると、グッとくるものがあります。

右に載せた「旧近藤染舗」(1913年築)の次に内部を拝見したのは、

「旧手宮駅長官舎」(1884年築)
説明板によれば、

明治13年(1880)、北海道で初めての鉄道として、幌内鉄道が敷設された。その職員官舎として建てられたのがこの建物である。
骨組みや上げ下げ窓など外部の意匠に様式の手法が用いられている。

とありますが、確かに「上げ下げ窓」って珍しい。

ところで、「手宮駅って聞いたことがない駅名だなと思っていたのですが、これが翌日に繋がることになるのですから、縁は異なもの味なものです。

お次は「旧開拓使爾志通(にしどおり)洋造家(白官舎)」(1878年築)

この建物は開拓使の官舎として建てられたが、完成後、順次払い下げられた。アメリカ中西部の建築様式を模範とし、外観は洋風だが、内部は畳敷きなどの和風で、和様折衷である。外壁に白ペンキが塗られていたことが、俗称「白官舎」の由来で、1棟2戸建ての建物が4棟並んで建てられていた。

だそうで、下見板張り白ペンキ塗りといえば、札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)を連想しますよね。

そこで旧札幌農学校演武場のことを調べてみると、建築年は1878年と、白官舎と同じ年。
当時の札幌では、こうしたアーリー・アメリカンな建物が流行っていたのでしょうか?

「旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)」の内部では、開拓使明治時代の札幌をテーマにした資料展示が行われていまして、その展示品の中にこんな写真を発見

「開拓使博物場開業式」(1882年)だそうですが、この建物、見たことがあります
っつうか、見学したことがあります

写真コレクションをゴソゴソするまでもなく、上に載せた札幌市時計台と同じ2006年8月の札幌旅行(MISIA星空のライヴIII 岩見沢公演の遠征)の写真の中にありました

今は北海道大学植物園博物館本館として使われているこの建物(重要文化財)は、

博物館本館は、1882(明治15)に建てられた開拓使の博物館、札幌博物場の展示室です。当初より博物館として建築されているため、内部の展示ケースと一体になった構造になっています。
長い歴史の中で、ケースが改変されたこともありましたが、重要文化財指定とそれにともなう復元改修工事に際して、構造上安全な仕様である1932年の改造時の姿に復元されました。
博物館の各所には、開拓使由来の星印が施されています。また、一部のケースでは、明治時代から残る手焼きのガラスが利用されていて、明治時代の博物館の様子をうかがい知ることができます。

というもので、入ってすぐに、ヒグマ剥製が展示されていて、その巨大さ身震いした記憶があります。

そういえば、白官舎札幌市時計台北海道大学植物園博物館本館も、揃いも揃って「下見板張りの白ペンキ塗り」上げ下げ窓が使われています。
できるものなら、1880年代初頭の札幌タイムスリップして、街並みを眺めてみたいゾ

つづき:2017/03/25 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-8

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「SING/シング」を観てきた | トップ | 動物づくしの週末でした »

コメントを投稿

旅行記/美術館・博物館・アート」カテゴリの最新記事