goo blog サービス終了のお知らせ 

新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

THE TOUR OF MISIA 2025のこと【おことば編】

2025-06-11 18:49:11 | MISIA

このgoo blogのサービス終了に向けて、過去記事約3,600本Word化 & ハードコピー作業を続けてきましたが、ついに先月分まで終わりました

その作業の中で、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」感想記事を読み返すことになりまして、私が参加した公演ごとに拾ってきた「MISIAのおことば」をまとめておいた方が良いのではないかと思い至りました。

そこで、1月11日の愛知公演から6月6-8日のファイナル公演@日本武道館までの「MISIAのおことば」を並べてみることにしました。
(  )内の日時は、私が「X」にポストした日時です。

愛知・常滑 (記事)

○New Albumを出すと発表したんですが、
 今、絶賛レコーディング中なんです。キャハ (25/1/11 18:46)

大阪 (記事)

○紅組、良かったよねぇ! (拍手)
 あれ、レスポンスの良い大阪にしては拍手が小さいかと…。(25/1/25 18:22)

○B'zさんも、米津さんも、玉置さんも特別企画だからね。
 白組じゃないからね。(25/1/26 19:45)

○ラベルをカメラに向けて飲むのが難しくて、私、Y1000を10本飲みました。
 (25/1/26 18:43)

横浜 (記事)

○私は、、みんなに紹介してもらおうかな?
 最後に、MISIAと呼んで下さぁ~い (25/2/1 18:22)

○25年前、初めて横浜アリーナでライヴをやったとき、「スタンド」って
 「立って観る席」だろうと、その辺(センターの前の方)がスタンドだと
 思って、アリーナに向かって「スタンドぉ~」、スタンドに向かって
 「アリーナぁ~」と叫んでいました。 (25/2/1 21:02)

○鬼は外 福は内
 福はもちろん、このミュージックの中にある
 福は内 福は内 (25/2/2 18:34)

東京(有明アリーナ) (記事)

○遂に東京公演にたどり着きましたぁ~
 「東京公演」って、外国に行ってたわけじゃないのに。
 TOKYO~ (25/3/8 18:07)

○ミモザは花言葉も素敵なんです…… (間)
 覚えていますよ (25/3/8 21:16)

髙松 (記事)

○これがウケなかったら明日はやめようと思ってた (25/4/5 18:23)

○え? もう一回「MISIA」やる?
 じゃ、初めての2回目の…。 (25/4/6 18:15)

○すごいねぇ。(バンドが)アドリブでついてきてくれる。 (25/4/6 18:23)

○急に暗くなったら怖いよね
 優しい歌をうたいましょうか (25/4/6 19:42)

宮城・利府 (記事)

○叱られたくて行ったんですけど、どうだったかは、放送をご覧ください。
 (25/5/17 18:06)

○ここで歌うことは、とてもとてもとても大事なことだと思っていて…
 (25/5/18 18:27)

おとなげなく真剣に考えました。
 (25/5/18 23:43)

○こんな時代ですが、CDを出すことにしました。
 やっぱり手元にあった方がいいでしょ?
 そして、限定盤にフォトブックをつけます。
 ほら、コンサートとか映画でもある、ほら、、なんだっけ
 (聴衆からのヘルプで) そう、パンフレット
 ミニパンフレットみたいな感じで (25/5/18 18:19)

福岡 (記事)

○福岡ぁ~、ただいまぁ~ (25/5/26 21:02)

○MISIA、ちかっぱ歌うけん、みんなもちかっぱ楽しんでねぇ~
 (25/5/24 19:01)

○チコちゃんにシコら……。
 みんな忘れて 今のなかったことにして (25/5/24 19:04)

○長崎と福岡に育てられて~ 私、MISIAになりました~ (25/5/25 18:15)

○知ってる人もいるでしょうけれど、私、名前を覚えるのが苦手なのよねぇ。
 ギターとキーボードを覚えるのに何年もかかったし… (25/5/25 18:22)

東京・日本武道館 (記事)

○ちょっと聞いていいですか?
 きょうはファイナルじゃありませんよね? (25/6/6 21:09)

○日本武道館での「Mother Father Brother Sister」公演は~
 「THE TOUR OF MISIA」の「Episode 0」みたいなもの~
 (25/6/8 00:20)

○またすぐ会おうね (25/6/8 18:19)

こうして「抜き書きすると、「何言ってんだ?」となる「おことば」も少なからずありますが、そこは感想記をお読みいただければ、だいたい判るかと思います

それにしても、各公演でこんなに饒舌だったMISIAなのに、ファイナル 3 daysどういう意図があったんだろね?

あ、そうだ
2023年までの「MISIAのおことば」は、「『MISIAのおことば』を整理してみる」#1, #2, #3 でまとめました。ご参考まで。

 

【追記】「MISIAのおことば」としてはピックアップしていなかったのですが、大阪公演 2日目でのこのおことばを忘れちゃいけなかった

○ジャグラーのビンビンさんも面白かった

さすがは「名前を覚えるのが苦手」MISIAで、会場からはすかさず、ほんとにすかさず、「バンバンビガロだよご指摘が入っていました。
この「おことば」は、大阪公演の前日NGK「やすとも」さんを観に行ったときの話の中で出てきたもの。
「やすとも」さんのレギュラー番組への出演とか、先日の「あさイチ」で、博多大吉さんが「ビガロが『MISIAさんが僕のファンらしくて、応援してくれるから、東京に出てくる』と言っていました」と発言されるなど、「今」に繋がっていますからねぇ (2025/06/11 20:09) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-4

2025-06-11 13:13:09 | 旅行記

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-3」のつづき、「悲劇の『#2-4』」です。

奈良での主な予定を終えた私は、「夕食はどうしようかなどと考えなら三条通を下り、15:30をちょっと回った頃、JR奈良駅近くのホテルに到着し、荷物を引き取ってチェックインしました。

宿泊代金は予約時にクレジットカードで決済していたのですが、このホテルには温泉があるため、別途、入湯税が必要とのこと。そこで、チェックイン機からモバイルSuicaで支払おうとしました。
そして、機械にスマホをかざそうとしたとき、手が滑って、スマホ落としてしまいました

スマホは、ディスプレイ側を下に、床にパタン と威勢の良い音をたてて落下

拾い上げたスマホは画面が真っ暗になっていますし、モバイルSuica使えない状況です
とりあえず、その場は現金「納税」し、自分の部屋に入りました。

そして、荷物の整理も放りだして、スマホの再起動を試みました。
でも、ときどき画面がチラッと明るくなるだけで、それ以外の反応はありません

呆然

スマホにはモバイルSuica残高が5~6千円あったほか、翌日京都⇒東京新幹線チケット(エキスプレスカードは持ってきていない)、3日後大宮⇒仙台新幹線チケット翌日「美のるつぼ」展@京都国立博物館の電子チケットに繋がるURLが入ったメールなどなど、大事なものが入っているのに加え、なによりも重大なのは、3日後からの「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」宮城 2 daysの電子チケットが入っていることです

これはゆゆしき事態です

スマホを修理してもらうとしても、あす朝までになんとかなるのか?

さて、「人生最大級ともいってよさそうなこのピンチにどう対応するべきか と、極力冷静になって考えました。

そして、やはり、ドコモショップに行って相談するのが最初だろうということになりました。
これが本宅や別邸ならば、最寄りのドコモショップの場所は知っていますが、いかんせん、ここは旅行中の奈良です。
まずは、ホテルから近いドコモショップを探すことにしました。

幸い、タブレット端末(いつもはスマホからのテザリングか、宅内LANに接続するか、スタンドアローンで使っている)を持ってきていましたので、それをホテルのWi-Fiに接続して、ドコモショップの場所を調べました。
すると、近くはないものの、歩いて行けるお店を発見
さっそく、その店の場所が示された地図をスクリーンショットして、ドコモショップへと向かいました。

テクテク歩いて15分ほどで、ドコモショップに到着

店員さんにかくかくしかじかと説明すると、店員さんはちょっとスマホをいじった上で、あっさりと「修理できるかどうかすぐには判りません」

やはり、明朝から再び使えるようになるのは無理か…

そして、代替機の貸し出しを含めていくつかの対応案を聞いた上で至った結論は、「機種変更」でした。

当然、出費は嵩みますが、3日後の「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」宮城 2 days のことを考えれば致し方ありません

で、新機種はどうするか?
できれば従来のと同じ機種(気に入っていた)にしたかったのですが、 既に生産停止だそうで、他メーカーの同等クラスの機種にしました。しかも、色はピンクしか選べないときた

また、SDカードには対応していないし、イヤホンジャックも無い

でも「背に腹はかえられない」わけで、十数万円クレカでお支払いし、新しいスマホをバッグに入れて、とぼとぼとホテルに戻りました。

   

ホテルに戻った私は、まずは必要最小限アプリをインストールして設定を開始しました。

必要最小限かつ必須のアプリといえば、モバイルSuicaローチケのアプリなわけで、さっそくインストールして、機種変更方法を調べました。

モバイルSuicaの引き継ぎは翌朝に完了するとのことで、手続き後はを待つだけ。
また、ローチケは、アプリから問い合わせをして、その15分後に送られてきたリターンメールに従って公演名、日時などを返信しました。

すると、最初のやりとりからわずか30分ほどで、

こちらで電子チケットの再表示対応させていただきました。

というありがたいメールが届き「アプリ右上の更新ボタン」を押したところ、無事に「宮城 2 days」の電子チケットが表示されました

ローチケ様、偉い

よかったぁ~

   

ところで、こんな作業をしている最中、スマホに電話がかかってきました。
ディスプレイには、電話番号しか表示されておらず「誰?と恐る恐る出たところ、旧友からの電話でした。
いつもなら、ディスプレイに彼の名前(ニックネーム)が表示されるのに、、、もしかして…と「電話帳」を開くと、ドコモショップの人が言っていた「引き継がれないデータ」の一つが連絡先でした
かつては、スマホ/ケータイにいれた連絡先はWeb上でも見られて、PCで編集することもできたのに… 
この「サービス低下は、セキュリティ上のリスクを減らすための施策なのかもしれませんな

なお、メールの一部は無事に引き継げ「美のるつぼ」展の電子チケットを使えることを確認できました

また、スマホで撮った写真は、SDカードに保存するよう設定していましたので、こちらも無事でした。
ただ今後は、新機種で撮った写真はこまめにPCでバックアップしておかねば

こちらのポストは、

「一応、最悪の事態からは脱出できそうだ」という安堵の思いからのものでした。

   

こんなドタバタがあり、精神状態上昇&下降繰り返されたことで、私の食欲はまったくわきませんでした

結局、近くのコンビニに行って、缶ビールつまみになりそうなものとおにぎりと、私の旅行の定番、アイスクリームを買ってきて、なんとも質素夕食を済ませました

そして、モバイルSuicaローチケアプリの次に必要なアプリたちをダウンロード&インストール&設定をしたあと、明朝モバイルSuica復活を祈りつつ、就寝したのでありました。

つづき:2025/06/12 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #3-1 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-3

2025-06-10 20:21:30 | 旅行記

「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」のファイナル、日本武道館 3 daysが無事に幕を下ろし、その振り返りも書きましたので、「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 」シリーズを再開します。

「超 国宝」展 @奈良国立博物館を見終えたとき、時刻は13時を回っていました。

「鑑賞についてはほぼ満腹「食欲」については空腹だった私は、仏像館パスして、ランチを摂る店を探しにかかりました。
いわば「花より団子」ですな

奈良に出かけると、かなりの確率で行っているレストランは、残念ながら定休日でしたが、静か & おしゃれカフェカツカレーを食しました

食後、一服したいところでしたが、このカフェは当然のように禁煙

JTのアプリ喫煙可能な場所をさがしたところ、カフェチェーン店を除けば(カフェのハシゴはいくらなんでも…) 数少ない喫煙所が、奈良公園バスターミナルにあることが判りました。

ここで、奈良での私の歩行ルートです。

バス停⇒奈良博⇒カフェカフェ⇒奈良公園バスターミナル奈良公園バスターミナル⇒興福寺国宝館⇒ホテル方面 のルートです。

で、カフェを出て、餅飯殿商店街からクランク状にちょっとだけ三条通を歩いて東向商店街に入るとき、ある貼り紙が目に止まりました。
その貼り紙があったのは、餅飯殿商店街三条通との角にある南都銀行の建物でした。

この建物の前には奈良市教育委員会が立てた説明板がありまして、

登録有形文化財 南都銀行本店
  1926(大正15)年建築 1997年7月15日登録
南都銀行本店は、正面にイオニア式の列柱4本を並べ、細部に装飾を施しています。古典様式を簡潔にまとめた好例で、設計者は多くの銀行建築を手がけた長野宇平治です。窓枠や内装は改修されていますが、外観は当初の姿がよく保存されています。

という由緒ある建物で、私はここを通るたびに建物の外観を愛でて「なんと大きな平城京」と呟くのを常としていたのですが、ここに貼られていたのが、

弊行「本店営業部」2025年2月7日(金)を以て現店舗での営業を終了し、2025年2月10日(月)に移転しました。

という「ご案内」でした。

銀行業界では支店の統廃合がさかんに行われていますけれど、こんな賑やかなエリアなのに、本店営業部が無くなって出張所があるだけ、というのは、地域の住人・店舗・企業不便じゃないのかなぁ

ちなみに私の場合、持っている口座の一つは、かつての勤務地近くの支店(この支店も近くの支店と統合されている)なのですが、不便は無いし、そもそも銀行の窓口に行く必要があるのは、新しいキャッシュカードが届いて、生体認証を登録するときくらいのものですからねぇ。さらに言えばATMだって、キャッシュレスのこのご時世、2か月に1回くらいしか行っていない。
振込だって、インターネットバンキングで済ましているし…。

そんなことを考えながら歩き、ようやくたどり着いた奈良公園バスターミナル喫煙所で、奈良に着いてから最初の一服

そして、「#2-1」で書いたように、翌日行く予定の「日本、美のるつぼ」展 @京都国立博物館オンラインチケットを購入しました。

   

二酸化炭素ニコチン「充填したあと、興福寺エリアへ…。

鹿たちのは、伸びつつあるけれど、まだ皮をかぶっている状況ですな

それはさておき、驚いたのは、国宝館前の駐車場観光バスが今まで見たことがないほど大量に駐車していたこと

そして、興福寺国宝館の中は、修学旅行生(中学生かな?)でいっぱいでした
彼ら・彼女らは、先導者に従ってただ歩いているだけで、展示されている仏さま等々を観ている感じはありませんでした。

まぁ、自分の中学・高校の就学旅行を思い起こせば、「○○を観て、○○と思った」よりも「○○に行った」ことのほうが優先だったような気がします。

さて、「天燈鬼・龍燈鬼」奈良博散歩中「華原磬」大阪お出かけ中国宝館は、阿修羅像をはじめとする八部衆像十大弟子像板彫十二神将立像など、他のメンバーはいらっしゃったけれど、やはりもの足りなさが…とりわけ、正面に華原磬が置かれていない千手観音菩薩寂しげでした。

   

国宝館を出て、三条通の方に向かうと、五重塔素屋根のまぁなんとデカいこと

近くにあった説明板によると、この素屋根の大きさは、南北 41.75m × 東西 37m × 高さ59.8mだとか。

高さ60mといえば、普通の建物で20階建てに相当します
もっとも、地面から相輪の先端までの高さが約50mある五重塔(奈良県内では最も高い建物らしい)ですから、これだけ大きな素屋根が必要なのでしょう

このあと、三条通に降りて、JR奈良駅近くのホテルまで歩きました。

ここまでの奈良散策で気づいたのは、就学旅行生たちの「鹿カチューシャ」着用率の高さでした
ワンコイン(500円玉)で買える手頃なお値段ですから、気持ちは判るのですが、自宅に帰ってからは「鹿カチューシャ」をどうするんでしょ
ちなみに、私の小中学生時代、男子の修学旅行土産の定番は「木刀」でした 私は買わなかったけれど…

ということで、悲劇「#2-4」につづきます。

2025/06/11 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-4 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE TOUR OF MISIA 2025のこと【後編】

2025-06-09 20:57:49 | MISIA

「THE TOUR OF MISIA 2025のこと【前編】」のつづき【後編】では、ツアーファイナルとなった日本武道館 3 daysのことを中心に書きたいと思います。

3日間とも、開演と同時に、すごい歓声
最終日の私は、ツアーファイナル、それも千穐楽ということで、序曲(?)が始まった時点でウルウルでした。
私と同様の感傷に浸っている人も多かったと思うのですが、場内では過去最高とおぼしき所持率ペンライトが、武道館の客席全体にカラースプレーを撒いたかのように、さまざまな色を放って、振られていました。

武道館(大道場)は、急角度のスタンド席がアリーナを囲むような構造になっていますから、アリーナ席からもスタンド席がよく見えて、ほんっときれい

3日間を通じて極めて少なかったMC(それもMISIAがよくやる「歌うMC)の中で、1998年に初めてMISIAが武道館のステージに立った話を3日とも「歌って」いましたが、やはりMISIAにとっての武道館は、思い入れのある場所なんだろうなと思いました。
そりゃねぇ、大きくない事務所からデビューして、その10か月後武道館単独ライヴをやるなんて、シンデレラストーリーというか、まさしく「The Glorious Days」だったわけですから、MISIAの記憶には27年前のことが深く刻み込まれているんでしょう

MCついでに書きますと、こんなにMCの少ないMISIAのライヴ初めてでした

初日は、

だったのですが、それでも、アンコール中には、

というおことばを賜りました。
このときは、「収録日用に話すネタを温存している」とか、この日はツアーで唯一19時開演だったことから「終演時刻を少しでも早めようとしている」とか理由を考えていましたが、16時開演に戻った2日目もっとMCが少なく

という状況。

そして、千穐楽3日目も、本編中MCが皆無で、アンコールでも、

くらいのものでした。

ここまでの公演では、New Album「LOVE NEVER DIES」に収録した新曲に込めた思いとか、MISIAが出演するTV番組のことを、なかなか饒舌に語っていたのですがねぇ

勝手に想像するに、歌に集中する、U-NEXTでの配信用に配信開始日前の予定は話せない、といったところかな…
でも、これじゃ説得力に欠ける(特に)

ところで、前記の「初日のおことば」に添付した写真は、武道館 3 daysから登場した「新兵器」です。

最後の曲「アイノカタチ」の終盤に、さまざまな色や大きさのと共に会場に放たれた発泡スチロール製シートのハートです。
初日に見たときは、紙ヒコーキかな? と思いました。ヒラヒラ落ちてくるのではなく、スーイスイ滑空しながら落ちてくるのです。自分の近くに落ちてくるかと思えば、ひょい~っと違う方向に飛んでいってしまって、その進路は予測不能 
キャッチしようと行方を追いかけていると、せっかくのMISIAの歌を聴くことがおろそかになってしまうという「禁断の落ちモノです

幸い、私は3 daysとも1枚ずつgetできました。
初日は近くに落下したものを拾い、2日目はステージ脇に落ちたものを係員さんから分けてもらい、3日目は自分でキャッチ(指で摘まみ捕った)

「MISIA THE GREAT HOPE」横浜アリーナ公演限定だったウレタン製ハート (こちらの落ち方も楽しかった)にように、今回限りになるのか、はたまた、今後のアリーナツアーでの定番になるのか、どちらなんでしょ?

最終日は、いつもより1曲多かった最終盤で久しぶりの「カラオケMISIA」を聴けた、というスペシャルと共に、

というひとときがありました。

恐らく、MISIAとバンマスの大林武司さんとの間では「アレをやるかも…」と事前に打ち合わせていたのだと思いますが、大林さんの弾くコード進行をベースに、バンドメンバーがそれぞれフレーズを考えてソロ回ししていく、それも、次のソロ担当をMISIAが指名するという、聴く側には楽しく演奏する側には恐ろしい「アドリブソロ回し」でした。
気の毒だったのは弦一徹さんで、ソロ用のマイク用意されていなかったみたいで、アリーナ10列目の右サイド(ストリングス側)だった私の席でも、ヴァイオリンの音はかすかに聞こえるだけでした

それにしても、なんという高いクオリティのキャストなんでしょう
「あれだけ歌えればMISIAは楽しいのだろうな」という声がありますが、MISIAだけでなく、バンドメンバー全員が、あのメンバーでその日その日の音楽を創り上げてことを楽しんでいるようでした

今年1月のツアーのスタートからずっとネタバレを避けてきた私でしたが、2日目が終わったあと、つい我慢しきれず、「X」にこんなポストをしました。

2日目に聴いた「オルフェンズの涙」があまりにも素晴らし過ぎて「ここまでの26公演中10公演でしか披露されていないから、ま、いっか…とポストしたのですが、最終日にも披露してくれました
回数こそ多くなかったものの、このツアーで「オルフェンズの涙」を聴くたびに、「この曲、こんなに良い曲だったのか再認識させられておりました。

一方、「希望のうた」「明日へ」2連発は、安定の素晴らしさでした。
「希望のうた」が終わると、ほとんど間をおかずに「明日へ」が始まる構成は、ちょっと意地悪かも…。
最終日は、大きな拍手と歓声がつづいているのに、大林さんが拍手と歓声をぶった切るように無慈悲「明日へ」のイントロを弾き始めるんんだからお人が悪い

最終日の公演は、U-NEXTで独占配信 ということになっていますが、あの大量収録用カメラの数を思えば、BD/DVDでもリリースされると信じています。
その日までは、「LOVE NEVER DIES」(新曲のどの曲もイイ)を入手するや、「『THE TOUR OF MISIA 2025』のもっとも一般的なセットリスト」としてスマホとPCに入れたプレイリストを聴いて、ツアーを反芻するつもりです。

最終日MISIAのおことばは、上に載せたように、

またすぐ会おうね

でした。
「すぐ」とは大阪・関西万博の「ジャパンデー」(7月3日) のことなのか、はたまた別のライヴ(例えば Misia Candle Night とか) があるのか?

などと考えていたら、きょう、8月16日長崎・稲佐山公園野外ステージ「STARTS presents MISIA CANDLE NIGHT 2025 LIGHT OF PEACE -80th Year-」が開催されることが発表されました。
戦後80周年の節目の年、それも終戦記念日の翌日に、しかも長崎「MISIA CANDLE NIGHT」だなんて、MISIAの気持ちがこもりまくったライヴになるのは確実です
私は、万博にも長崎にも遠征しない予定ですので、両ライヴの成功を遠くから念じたいと思っています。

私が次にMISIAのライヴに行けるのはいつなんだろ?

つづきのようなもの:2025/06/11 THE TOUR OF MISIA 2025のこと【おことば編】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE TOUR OF MISIA 2025のこと【前編】

2025-06-09 12:16:56 | MISIA

きのうの日本武道館公演ををもって、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」が幕を下ろしました。

この【前編】では、ツアー全体を通して振り返ります。

私は、愛知初日(記事)大阪(記事)横浜(記事)東京・有明アリーナ(記事)髙松(記事)宮城(記事)福岡(記事)、そして日本武道館 3 daysと、14公演に行ってきました。福岡までの各公演については、「ネタバレ回避」として、歯にエノキダケかニラがはさまったような書き方でしたが、随時記事をアップしてきましたので、そちらもお読みいただければと思います。

   

ツアーが終わり、当然ながら、「情報解禁です。
まずは、全27公演のセットスト
画像をクリックすると、PDFファイルが開きます。なお、ミスが混じるのはいつものことですので、その場合はご容赦くださいませ

このサムネイルを見ただけで、愛知初日と、3月末の福岡2daysだけが「異質」なことが判ります。
福岡公演の方は、このツアー唯一のホール公演(福岡市民ホールのこけら落とし公演)ですから理解は容易なものの、多くの古参のMISIAファンが不完全燃焼だった愛知初日のセットリストは、やはり「謎」です。
公演の幕開きからMISIAもバンドも万全のパフォーマンスだったのにねぇ

「New Album『LOVE NEVER DIES』を引っさげての全国アリーナツアー」ということながら、愛知公演MISIAは、

とおっしゃっていて、アルバム制作の進行につれて、セットリストに新曲が追加されていくのは、過去の「THE TOUR OF MISIAでもあったこと
新曲の追加だけでなく、各曲のアレンジ場内スクリーンの使い方がどんどん変わっていって、ツアー中、何回も出かける甲斐があるというものでした。
そんな中で、終始変わらなかったのは、MISIAをはじめとする出演者(バンド、コーラス、ストリングス、ダンサー、DJ)と、照明・音響等のスタッフの皆さんの卓越したパフォーマンスでした
まさしく、超一流の競演って感じ
過去には、ツアー中に「不調のMISIA」に遭遇することもあったのだけれど、ここ数年は、MISIA超高値安定です。日頃の精進と鍛錬と研究のたまものなんだろうなと思い、頭が下がります
そういえば、1年半くらい前の「MISIA星空のラジオ」で、最近ハマっているのは「歌の練習で、「もっと歌がうまくなりたい」とおっしゃっていたMISIAです

そうそう、セットリストで「攻めてるなぁと思ったのは、新曲「LOVE NEVER DIES」で始まるリミックスパートでした。
超初期(デビューシングル「つつみ込むように…」のカップリング曲) のノリノリ曲「Never gonna cry!」と定番の「INTO THE LIGHT」「そりゃそうだでしたが、他は「忘れない日々」「逢いたくていま」「Everything」と、MISIAの「バラードの女王としての側面を代表する名曲 3連発 なんですから
いくつかの公演では、これに併せて「Everything」のオリジナルに近いバージョンも歌ったようですが、この名曲リミックス 3連発 には、初めてMISIAのライヴに来た人たちは驚いただろうな…

でも、これがMISIAだし、これが「THE TOUR OF MISIA」なんですよね

   

昨夜、私は「X」にこんなポストをしました。

「ゆびきりげんまん (SEIKO ver.)」のアウトロ()とか、本編最後の「明日晴れるといいな」のアウトロとか、ステージ上にはMISIAはいないのに、みんなを楽しみ、曲が終わるとバンドに大歓声を送っていたのが、ホントに気持ち良かった
また、終演後、「MISIA星空のライヴXII」のときと同様、スクリーンにツアーのオールキャスト&スタッフの名前がエンドロールとして流れるんだけど、多くの聴衆が、場内が明るくなっても席についたままで(もちろん、電車や飛行機の都合なのか単に混雑を嫌っているのか不明ながら、まだMISIAがステージにいるのにそそくさと帰る人もいる) エンドロールが終わってツアーロゴが映し出されたところで拍手ぅ~ というのもまた、聴衆のキャスト&スタッフに対する respectが感じられて、じんわり来ました
やはりMISIAのライヴは客層もイイよねぇ

というところで、【前編】はここまで。

【後編】では、ツアーファイナルとなった「日本武道館 3 days」のことを振り返りますが、【前編】で書き漏らしたことも書くかもしれません

つづき:2025/06/09 THE TOUR OF MISIA 2025のこと【後編】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-2

2025-06-06 13:23:47 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-1」のつづきは、「超 国宝 祈りのかがやき」展@奈良国立博物館(奈良博)の見聞録です。

前日の「日本国宝展」@大阪市立美術館では、最初の展示室でものの見事に「掴まれた」(記事)、この展覧会はどうなのだろうワクワクドキドキしながら会場に入りました。

すると、待っていたのは、中宮寺「菩薩半跏像」と共にこの特別展のメインビジュアルに起用されている法隆寺「観音菩薩立像(百済観音)」でした

私にとっては、2016年9月に法隆寺大宝蔵院でお目にかかって以来、約8年半ぶりに目の当たりにする百済観音は、やはり大きくて、存在感があって、そして、なんとも優しいお姿でした。

そして、百済観音をお守りするように立っているのは、いつもなら法隆寺金堂で御本尊の釈迦三尊像をお守りしている四天王のうち広目天と多聞天でした。

この四天王もまたイイのですよ
普段の「職場(定置場所)」は、金堂と大宝蔵院と違っていても、百済観音とも息ピッタリ(?)に、展示室内に静謐な雰囲気をかもし出していました。

日本最古、650年頃(飛鳥時代)に造られたと考えられているこの四天王像は、後世の、邪鬼踏みしめて辺りを威圧する感じではなく、邪鬼から「どうぞ背中にお立ちくださいとでも言われたかのように、すっくとお立ちになっていて、なんとも端正、なんともお上品

8年半前のこちらの記事に、

四天王像でまず連想するのは、東大寺戒壇堂ダイナミック威厳に満ちた四天王像ですが、650年頃(飛鳥時代)に造られた法隆寺金堂の四天王像と、760年頃(天平時代)に造られた東大寺戒壇堂の四天王像、まったくトレンドが違うのが面白い
加えて、飛鳥時代(538~650頃)天平時代(710~790年頃)の間に入る白鳳時代(650年頃~710年)も独特のトレンドを持っていて、仏教伝来から200年弱の間の日本の仏像彫刻の変遷(進化・深化)目覚ましいものがあると、常々思っている私です。

と書きましたが、この考えはまったく変わっていません

   

この「超 国宝 祈りのかがやき」展は、以下の章立てです。

第1章 奈良の大寺
第2章 奈良博誕生
第3章 釈迦を慕う
第4章 華麗なる仏の世界
第5章 神々の至宝
第6章 写経の美と名僧の墨跡
第7章 未来への祈り

このように、ほぼすべてが仏さま or/and 神さまにまつわる展示で、いかにも「奈良博の国宝展」だな と思いました。

そして、明治初年の廃仏毀釈の中、法隆寺が皇室に献納して現在は東京国立博物館法隆寺宝物館で収蔵・展示されているお宝たちの一部(竜首水瓶鴟尾形柄香炉伎楽面 呉公など)が、奈良に里帰りしているのが、なんだかほほえましい

奈良博の所蔵・収蔵品は別として、大好き天燈鬼・龍燈鬼立像(後ろから筋肉隆々の御御足プリケツを拝見するチャンス) は奈良博のお隣にある興福寺から「散歩してきたみたいなものですが(東大寺手向山八幡宮春日大社「散歩の範囲)、一番遠くから奈良にやって来たのは、岩手・中尊寺「金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅」「中尊寺金色堂堂内具」などのお宝でしょう。
経文宝塔を描いてしまうという「金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅」はもちろん、装飾経なんぞを観ると、発願者の祈りの気持ちが伝わってくる気がします。
なお、「装飾経といえば…」「平家納経」は、前日、日本国宝展@大阪市立美術館で拝見しました

この展覧会で展示されている「お宝の中で一番古いモノは、上に載せたフライヤーの内側(縦開きです)の中央でドーン としている石上神宮「七支刀」でした。
教科書でも見た「七支刀」、そもそも、いつ・どこで造られたものなのか、「諸説あり」のようですが、この展覧会では「古墳時代・4世紀」とされていました。
それにしても、この変な鉄剣(失礼)は、どうやって造られたのでしょうか?
これまた「諸説あり」で、過去の復元制作では鍛造(飴細工のように地金に切り込みを入れて叩いて成形した?)と鋳造(これは楽そう)と、2種類の手法が用いられたらしい。

この展覧会で残念だったのは、大好き慶派の彫刻少なかったことでした。
でも、久しぶりに「重源上人坐像」にお目にかかれたのはうれしかった
この彫刻は、興福寺北円堂の無著・世親立像(今年東京国立博物館にお出ましになる)や、前日に「日本国宝展」で拝見した「鑑真和上坐像」(これは奈良時代の作品)と共に、実存した人物の肖像彫刻として日本が世界に誇れる彫像だと思っています

私は、この展覧会をみたあと立ち寄ったグッズ売場で、買ったのはポストカード2枚だけでした。
しかも、同じ仏像前面と背面のポストカード

この京都・宝菩提院願徳寺「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」は、初めて拝見したと思うのですが、その美しさ呆然としました

ちょっと厳しめとしたお顔だち魅力的ですが、なんといっても、これまで見たこともないような衣紋の表現素晴らしさ (裏側に回っても拝見できる展示方法も Good Job)
この展覧会で一番の掘り出し物 といっても過言はないと思います
まさしく「有終の美」の仏さまでした。

こうして、再会あり初お目見えありで、満足のうちに展覧会場から退場したのでありました。

つづき:2025/06/10 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-1

2025-06-04 21:47:22 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-5」のつづきは旅行2日目のスタートです。

この日は、10:00ちょい前近鉄上本町駅を発車する特急のチケットを買っていましたので、朝食をゆっくりと食べ、

 width=

自室でのんびりしたあと、ホテルをチェックアウトしてに向かい、予定どおりの近鉄特急に乗車しました。

そして、近鉄奈良駅には定刻の10:24に到着。

今回の奈良でのホテルはJR奈良駅の近くでしたので、キャリーバッグをゴロゴロ引いて三条通りを下り、まずはホテルに荷物を預けました。
そして、身軽になった私は、JR奈良駅前から路線バスに乗って、いざ奈良国立博物館(奈良博)へ

のはずだったのですが、奈良公園方面に向かう路線バスの停留所には長蛇の列

いくら行列嫌いの私でも、だらだら坂を上って奈良博まで行こうととは思わないわけで、この行列に加わることにしました
そして、このバス乗り場に行ってみると、並んでいるのは、ほとんどが外国人
こんな外国人比率の高い行列に加わったのは、私の人生で日本国内では初めてかもしれません。
そして、やって来たバスには乗れたものの、当然ながら座れませんでした。

それにしても、京都もそうですが、この路線バス普段使いしている地元の人たちにとって、外国人観光客の多さは迷惑なんだろな…
バスは混むし、バスの乗降にやたらと時間がかかるし…

そんなことを考えならバスに乗っているうちに、奈良博に到着しました。
が、ここにも行列

前日の大阪市立美術館当日券を買おうとする人たちの行列を見て、薄々予想していましたが、やはりそうでしたか…

そして、行列の最後尾についてから約20分を要して、ようやく当日券(東京国立博物館の友の会会員証の威力で200円引き)を購入できました。

ここで私は考えました。
翌日京都国立博物館(京博)でもこの会員証を使って「200円引き」で観るか、それとも、行列を避けるべく、定価のオンラインチケットを買うか…

時間は前後しますが、「超 国宝」展を観て、昼食を摂った後、奈良公園バスターミナル喫煙所(ようやく見つけた喫煙スポット)で一服しながら、スマホを使って「日本、美のるつぼ」展 @京博のオンラインチケットを購入しました。
「行列に並ぶくらいなら、200円差なんて…」ということです

さて、時と場所を戻します。

こうして、ようやく「超 国宝 祈りのかがやき」展に入場できました。

ところで、この「超 国宝」という展覧会のタイトルは、どういう意味なんでしょ

フライヤーからその主旨を引用しましょ。

奈良国立博物館(奈良博)は明治28年(1895)年4月29日に開館(当寺は帝国奈良博物館)して以来、令和7年(2025)をもって130周年を迎えます。これを記念し、このたび奈良国立博物館としては初の本格的国宝展を開催します。
その名も「超 国宝-祈りのかがやき-」。「国宝」は、私たちの歴史、文化を代表する国民の宝であることは広く知られています。「超 国宝」という言葉には、そうしたとびきりの優れた宝という意味とともに、時代を超える先人たちから伝えられた祈りや、この国の文化を継承する人々の心もまた、かけがえのない宝であるという思いを込めました。
130年にわたる歴史を超え、国宝を生みだした先人たちの思いを超えて、文化の灯を次の時代につなぐため、奈良博が踏み出す新たな一歩をご覧ください。

なるほど

「宝形有るお宝だけではなく、「先人たちから伝えられた祈り」「文化を継承する人々の心」もそうだ、という意味を込めているんですな
「国宝」そのもの「国宝」を実際に制作した人々だけでなく、それを発注した人の「思い=祈りの心」、時を超えて「国宝」を維持・修繕してきた人たちにも敬意を表して、、、ということですか…

とても共感できます。

一方で、これが「奈良国立博物館としては初の本格的国宝展」だというのには驚きました

ちょっと意外な気がする一方で、たしかに、「奈良博=正倉院展」のイメージが強いし、他には奈良の寺社をフィーチャーした特別展を開催している感じです。

奈良博の常設展ともいえる「仏像館」もかなり見応えがあるんですけどね…。

さて、奈良博渾身「超 国宝」展はいかに

というところで「#2-2」につづきます

つづき:2025/06/06 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-2 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-5

2025-06-03 18:45:47 | 旅行記

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-4」のつづきです。

四天王寺の拝観を終えた私は、東大門から「娑婆」に戻りました。

この東大門の手前に石灯籠があり、さらに「伊勢神宮遙拝石」という石柱が立っていました。

わたしはさして気にも留めず、さらっと通り過ぎたのですが、あとで調べると、石の柵で囲われた内側には、四天王寺四石(転法輪石、引導石、伊勢神宮遥拝石、熊野権現礼拝石)の一つ「伊勢神宮遥拝石」があったらしい。

「四天王寺四石」一つも見ていない私ときたら…

まぁ、初めての四天王寺だったし、またその気になれば行けるし…と自分を慰めてみます

   

東大門を出るとすぐに上町筋です。
この通りをに歩いて行けば、上本町のホテルに行き着くはずです。
そういえば、上町筋の「上町(うえまち)」って、「上町台地」「上町」ですよね。

そんなわけで上町筋を歩いて行くと、勝山通との交差点で、城下町でよく見かけるような丁字路を組み合わせたクランクがありました。

北から南へ上町筋を進むと、四天王寺の境内を避けるべく東にルートをとったようにも見えますが、このときの私のように南から北に進むと、勝山通に突き当たる丁字路が気になるわけで、そこには「五條宮(ごじょうぐう)という神社がありました。

ちょっとだけ立ち寄りましたが、由緒書などは見当たりませんでした。
そこで、「振り返り」としてWikipediaを見ると、

推古天皇元年(593年)、四天王寺が建立された頃に建てられたとされている。当初は四天王寺に建てられた施薬院と療病院の鎮護として医道の祖神とされる五条大神と少彦名命を祀っていた。後に橘氏の祖である敏達天皇も祀り、名称を敏達天皇社と改めて東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。当地は敏達天皇が皇太子の時に居住した邸宅の跡という。

と、なんとも古い神社
まさか、四天王寺の鬼門艮(北東)の守護ってことはありませんよね…

それはともかく、上町筋を歩き続けた私は、無事にホテルに到着し、チェックイン

ふう~~、疲れた

   

さて、夕食はどうする??

以前、上本町のホテルに留まったときは、近くで見つけた焼き鳥屋で食べたのですが、ハズレだったという記憶があります。

そこで、PC代わりに持ってきていた(翌日に大活躍することになる)タブレットをホテルのWi-Fiに接続して、いろいろと検索してみました。

でも、近隣ではめぼしい店がみつからず、結局、上本町駅からひと駅鶴橋に行ってみることにしました。

焼肉の臭い(香り)充満する鶴橋駅のプラットホームに降り立った私は、改札を抜けて焼肉店街(私にとって3度目、かな?) に繰り出しました。

店頭のメニュー(価格)を見比べながらしばしさまよった後、「お一人様 OK」かつ待ち時間無しの店を見つけて入店

そして、ビールを飲みながら、焼肉の盛り合わせ & ホルモンを食しました。

いやぁ~、食べた、食べた

でも、あの値段と味なら、鶴橋じゃなくても食べられるな…
例えば上野・御徒町とか…

満腹になった私は、ホテルへ…。

あの強烈だった鶴橋駅構内の焼肉の臭い(香り)は、満腹になるとあまり気にならないんですな

上本町駅で、翌日の近鉄奈良駅までの特急券を買って、ホテルに帰還しました。

大阪・奈良・京都展覧会3展を巡るという今回の旅行、初日の大阪は、こうして無事に目的を果たして、終了したのでありました。

つづき:2025/06/04 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-1 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-4

2025-06-02 20:01:39 | 旅行記

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-3」のつづきです。

四天王寺の中心伽藍への参拝者入口を探しながら、その外を反時計回りに3/4周したところで入口(西重門)にたどり着きました。

中門(仁王門)前から「時計回り」に歩けばすぐだったんですな

極楽門を背に、西重門で拝観料をデビットカードでお納めして、昔、日本史で習った、「南北に南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線上に並ぶ」四天王寺式中央伽藍に入りました。

2021年11月に行った飛鳥資料館の展示の見聞録で、

「大化の改新」以前に建てられた飛鳥寺、四天王寺、山田寺左右対称の伽藍配置になっているのに、この川原寺や法隆寺西院伽藍など天智朝以降のお寺は(本薬師寺を除いて) アンシンメトリーです。

と書いて、

天智朝以前の伽藍配置は朝鮮風で、以降は日本独自の伽藍配置に変わったということのようです。

と結論づけましたっけ…
でも、本薬師寺薬師寺左右対称の伽藍配置になったのはどうしてなんでしょ??

それはさておき、四天王寺金堂・五重塔・中門(仁王門)と、

その北側にある講堂を眺めたあと、

金堂にお参りしました。

金堂についてのリーフレットの記述の一部を転記します。

四天王寺の本尊である救世観世音菩薩が安置され、四方に四天王像を祀っている。堂内の西に舎利塔、東に六重金塔がある。(中略)
現在の金堂は昭和36年3月の再建で、推古天皇元年創建当初の姿を再現したものであり、特徴して、主屋裳階式の建築・屋根は錣葺・直線的・棰(たるき)の配置が扇棰であるなどが上げられる。

「錣葺(しころぶき)」という言葉を初めて見た(聞いた)気がします。
金堂を下から見上げると入母屋にも見えますが、上に載せた講堂の写真を見ると、入母屋極楽門の屋根とは確かに違います。
寄棟の上に、それと連続しないように、切妻屋根をポンっと乗せたみたいな感じですな

この西門に相当する極楽門は近くで拝見しませんでした。
また、その先、谷町筋の方向に鳥居が見えましたが、お寺と鳥居との取り合わせが私の頭には無く、近づいて見ることも、写真に撮ることしませんでした。
ところが、後で四天王寺のリーフレットを見ると、

石の鳥居 (重要文化財)
元々木造であった鳥居を永仁二年(1294) 忍性上人が勅を奉じて石造に改めたのが現在の鳥居である。鳥居の中央に高さ1.5m、横1.1mの鋳銅製箕形の篇額があり「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」と浮彫風に鋳出している。[裏に嘉暦元年(1326)の銘が有る]
平安時代のものといわれる山形市成沢の八幡神社の鳥居と山形市小立にある石鳥居につぐ古いものであり、昭和9年1月30日重要文化財に指定されている。

だそうで、こりゃ失敗したぁ~ です
機会があったら見に行こう

それにしても、「日本古い鳥居ランキング」1位と2位が共に山形市内にあるとは驚きました。
上にリンクを貼ったサイトを見ると、山形市内の2基の鳥居は、素朴というか原初的というか、なかなか魅力的です
こちらも見に行きたい

   

四天王寺の五重塔は、昇ることができました

これまで私は、五重塔や三重塔初層だけ、内部を拝観したり、入堂したことはありましたが、

塔を昇ったことはありません。
昇れる五重塔・三重塔というのはそうそうあるものではありませんから(八坂の塔は、タイミングが合えば2層目まで昇れるらしい:記事)、好奇心炸裂で五重塔に入堂しました

内部は土足禁止で、かつ、撮影禁止
それでも、初層の説明板だけをパシャリ

これによると、

五重塔
推古元年(593)創建。
五重塔は、釈迦の遺骨(舎利)を祀る仏塔を意味し、六道衆生を救う為、聖徳太子自ら仏舎利6粒頭髪6毛を塔の心礎に納められたとつたえられることから、六道利救の塔という。
昭和34年(1959)再建。
最上階に仏舎利を奉安し、塔内には信徒の永代五重位牌を祀る。
最下層内壁画は山下摩起画伯の四仏浄土図が描かれている。
毎月21日(大師会)と22日(太子会)には最上階の扉が開放され、四天王寺の伽藍が眼科に見渡せる。

だそうです。
一週間早かったか…

さて、脱いだ靴を手に、狭く急な階段をエッチラオッチラ昇りました
塔内部は、壁を背に、位牌がビッシリ並んでいます。
そして、最上層(の1階下)に到着。そこには、仏舎利を納めたと思われる水晶玉のようなものが鎮座していました。

労力を使って昇ったものの、窓は小さく、あまり眺めは良くありません

早々に地上に降りましたが、疲れた

   

以上を以て中央伽藍の参観&参拝を終え、中央伽藍北側の「亀ノ池」を回って、東大門から上町筋に退出することになるのですが、この「亀ノ池」、その名のとおり、の多いこと多いこと
長方形の池の真ん中に渡れない橋が架かっていました。

ちゃんとリーフレットを見ていれば、この「橋」重要文化財「石舞台」だと気づいたはずなのですが、私は素通りしてしまいました

産経新聞の記事によれば、

広島・厳島神社の平舞台(国宝)住吉大社の石舞台(1607年=慶長12年・重要文化財)とともに「日本三舞台」のひとつで、重要文化財に指定されている。豊臣秀吉の側室、淀君の寄進との伝えもある。(中略)
四天王寺を創建した聖徳太子の命日は4月22日。この日には石舞台の上で「聖霊会舞楽大法要」が行われる。法要と舞楽が一体となった儀式で、1400年の歴史があるとされ、国の重要無形文化財となっている。

だとか。
住吉大社に行ったとき(記事)石舞台見逃し、今回は「石の鳥居」見逃し「石舞台」素通りしてしまった私、、、、、、う~むであります。

落ち込んだところで「#1-5」につづきます。

つづき:2025/06/03 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-5 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-3

2025-06-01 20:28:29 | 旅行記

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-2」のつづきです。

「日本国宝展」@大阪市立美術館を満喫した私は、天王寺公園エントランスエリア「てんしば」に戻りました。

なんとも気持ち良い天候で、てんしば平日とは思えないほど賑わっていました。
ここも、どこに行っても同じながら、外国人の多いこと
ただ、幼児や小学校低学年の子どもたちの団体が多いのは、天王寺動物園前という場所柄なのでしょう。

次の行動について何も決めていなかった私は、喫煙所で一服したり、飲食店以外の店を覗いたりしてブラブラ…

このとき、変わった花を見かけました。

鮮やかなで、まるでコップ用のブラシのような花です。

スマホに入れてあるアプリで調べると、「ブラシノキ」とな
そのまんまだぁ~

   

さて、時刻は15:10
ホテルにチェックインできるタイミングではありますが、ホテルに引き上げるには早すぎます。

そして思いついたのが、四天王寺にお参りすることでした。

実は私、これまで一度も四天王寺行ったことが無い
四天王寺が、聖徳太子が建立した古いお寺であることは知っていましたが、1945年の戦災に遇い、現在の伽藍は鉄筋コンクリート造りであることも知っていて、ホントはそんなことはないと思いつつも、ありがたみに欠けるというか…

天王寺公園からスマホのGoogleマップを頼りに歩くこと約10分で天王寺の南大門に到達しました。

南大門をくぐって境内に入ったものの、中門(仁王門)から先の回廊の内側にはどこから入るんだろ? 

ここで、この後にいただいたリーフレットから「四天王寺縁起」を転記しておきます。

四天王寺は今から約1400年以前、推古天皇元年(593)聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺である。太子が当寺を創建されるに当っては経田、悲田、施薬、療病の四箇院を構え、以って鎮護国家の道場としてまた救世利民の実践所として物心両面の救済により平和国家の樹立と文化国家の荘厳をはたされ…(中略)
当寺の寺域は33,000坪(約11万㎡)、堂塔伽藍は創建以降度重なる戦火天災に遭いその都度再建を重ねて来たが常に寺域と伽藍配置は飛鳥時代創建当初の姿を伝え、境内全域が史跡に指定されている。
昭和20年3月14日の空襲によって七堂伽藍の大半は焼失したが、上記の西門鳥居や、元和9年(1623)再建の本坊通用門、六時堂、五智光院、元三大師堂、湯屋方丈などの上記の建築物は戦火をまぬがれ、昭和29年9月17日重要文化財に指定され、中心伽藍は、昭和38年10月飛鳥時代創建当初の様式、結構を再現復興したもので所謂四天王寺式伽藍配置の今に在る貴重な遺構として文化史的に優れた価値を有するものである。

一文が長すぎて、略しようができませんでした

さて、中心伽藍への入り方が判らないは、回廊の外側を反時計回りに歩いてみました。

そして、中心伽藍の外の南東側にあったのが「聖霊院 太子殿」でした。

安土桃山以降のスタイルでしたが、くぐって中に入ると、

お堂(手前:聖霊院太子前殿、奥:聖霊院太子奥殿)は、さすがに法隆寺と似た雰囲気です。奥殿は法隆寺夢殿にそっくり

太子殿は前殿・奥殿から成り、昭和20年3月14日の戦災で焼失したが昭和29年4月10日前殿を再建、秘仏聖徳太子十六歳孝養像脇侍2体を安置している。
奥殿は(中略) 昭和54年10月落成し、(中略) 本尊として秘仏太子四十九才摂政像が安置されている。

だそうです。
孝養像(きょうようぞう)は、若くみずらを結った太子が香炉を手に立っている像ですな。別邸にも掛軸があります。

聖霊院太子殿を出て回廊沿いに北へ歩くと、「番匠堂」というお堂がありました。

「番匠(ばんしょう)って、大工さんのことだよね(私は落語で知った)、と説明板を読むと、

この御堂は日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀る
曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿により世に曲尺太子といわれている
四天王寺は推古天皇元年(593)聖徳太子が鎮護国家済世利民の後誓願により創建されその際伽藍建立にあたって百済より最新の番匠の技術を請来された
又、聖徳太子は七堂伽藍の建立にはやむをえず大地の産物の命を絶ってしまうので金槌・鋸・錐などに佛生をいれて番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀佛」の名号を書かれ大工の工事の安全と伽藍の無事建立を祈ったと伝えられている

だそうです。

さらに中心伽藍への入口を探して歩いて行くと、中心伽藍の北側でなにやら工事(六時堂 保存修理工事)が行われていまして、その養生幕に書かれていた施工業者さんは、

「大林組・金剛組 特定建設工事共同企業体」

出ました、金剛組

Wikipediaから「沿革」を転記しますと、

578年四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。

つまり、創業1450年になろうとかという、超老舗にして由緒正しき大工集団です。

そして、そのロゴマークには、例の「曲尺」が使われています。

振り返って回廊の北東角を見上げると、ちょっと珍しい垂木が…

これは「扇垂木」という、放射状に垂木が配されたもので、なかなかお目にかかれません。
私が実際に見ることができたのは、上田市の安楽寺 八角三重塔 (訪問記)くらいのもので(東大寺南大門扇垂木らしいけれど、意識して見たことがありません)、

よく目にするのは、「平行垂木」と呼ばれるものです。
法隆寺金堂とか(法隆寺五重塔も)、

薬師寺東塔なんかも「平行垂木」です。

この記事を書くにあたっていろいろ調べてみましたが、どうして四天王寺が扇垂木法隆寺が平行垂木なのか判りませんでした。
ただ、構造的には扇垂木が優れるけれど、施工するには平行垂木の方が易しいということくらいのもの…

しまりませんなぁ

ちょいと気分を変えます

つづき:2025/06/02 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-4 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする