3 罪、罪報、滅罪の方法
罪と悪とは同じなのか、それとも違うのか、気になったので、中村元『仏教語大辞典』を調べてみました。
悪
①悪いこと。人をそこなう事がら。理法に背いて現在と将来に苦を招く力のある性質。
②悪の行為。悪業のこと。
②悪の行為。悪業のこと。
罪
①つみ。悪。
②人としての道に反すること。
②人としての道に反すること。
罪悪
悪とみなされる罪。
となると、悪とみなされない罪があるのかと思います。
たぶん罪と悪は同じようなものと考えていいのでしょう。
小笠原亜矢里「『観無量寿経』における滅罪について」に、『観無量寿経』で滅罪の対象とされるのは主に①罪、②業障、③悪業だとあります。
『仏教語大辞典』を調べました。
業障
①悪業のみをなす障り。
②悪の行為によって生じた障害。
③成仏をさまたげる悪業。
②悪の行為によって生じた障害。
③成仏をさまたげる悪業。
悪業
悪い行ない。好ましくない果を招く、身・口・意一切の動作をいう。すなわち十悪。人は自身の業(行為)にひかれて六道に行く。修羅道以下は悪業によってつれていかれる悪道である。
これまた似たような意味です。
滅罪
懺悔・念仏・陀羅尼などによって罪を滅すること。こうした滅罪を目的に儀式化されものが悔過・懺法などである。
滅罪の対象となる罪、滅罪の方法、滅罪によって得られる得益は経典によってさまざまです。
滅罪の方法としては懺悔、悔過、積善、供養などがあり、具体的には布施、読経、写経、造像、斎会、観仏、称名、祈禱、沐浴、苦行、斎戒、不殺生、放生、出家といったことです。
①破戒
戒律を破れば罰則があります。
波羅夷はサンガからの追放。
僧残は一定期間、比丘としての資格が剥奪され、その後に懺悔する。
不定、捨堕、波逸提、提舎尼、衆学、滅諍は懺悔する。
http://www.horakuji.com/lecture/vinaya/construction.htm
懺悔とは何か、『仏教語大辞典』です。
人に罪のゆるしを請うこと。犯した罪を仏の前に告白すること。悔い改めること。
具体的には布薩と自恣です。
布薩
半月ごとに同一地域の僧が集まって自己反省し、罪を告白懺悔する集まり。
自恣
安居が終わった最終日に修行僧が互いに自己の犯した罪を告白し、懺悔して許しを乞うこと。
懺悔と同じような言葉が悔過です。
①過ちを悔いること。懺悔すること。
②仏前に懺悔して、罪報を免れることを求める儀式。古くは「悔過」と訳されていたが、その後「懺悔」と訳されるようになった。
②仏前に懺悔して、罪報を免れることを求める儀式。古くは「悔過」と訳されていたが、その後「懺悔」と訳されるようになった。
奈良時代に吉祥悔過や薬師悔過などが行われていましたが、密教の流通とともに廃れていきます。
②破和合僧
出家の功徳が『ミリンダ王の問い』に説かれています。
デーヴァダッタがサンガを破壊したことで、一劫の間、地獄で苦しみを受けることを釈尊は知っていたのに、なぜ出家を許したのかというミリンダ王の問いにナーガセーナが答えます。
かれの無限の業は、わが教えの下で出家したならば終りをつげるであろう。前生〈につくった業〉に基づく苦しみは、終りをつげるであろう。だが、出家したとしても、この愚かな人間は一劫の間、〈苦しみをうける〉業をなすであろう」と知って、デーヴァダッタを出家させたのです。