三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

カースト制度と不可触民(5)

2019年05月31日 | 

 8 疑問
カースト制について本を読んで、ますます疑問が増えました。
釈尊在世時、身分差別はどの程度きびしいものだったのか。

たとえば、コーサラ国のパセーナディ王はシャカ族の王族の娘を妻に迎えようとしたが、気位の高い釈迦族は卑しいコーサラ国に王族を嫁がせることを拒み、大臣が下女に生ませた娘を自分の子と偽って嫁入りさせたということ。
パセナーディ王の息子ビルリ王子が釈迦国に行ったとき、釈迦族の人たちから侮辱されました。

マウリヤ朝の政治論書である『実利論』は、父親がクシャトリアであっても、母親がシュードラの子供はシュードラと定めているので、ビルリ王子はシュードラということになります。
だから、釈迦族の人たちはビルリ王子を王族とは認めなかったのでしょう。

しかし、釈迦族とコーサラ国は本家と分家の関係らしいのに、なぜ釈迦族がコーサラ国を見下していたのか。
釈迦族はイクシュヴァーク王の子孫だと称しており、コーサラ国もイクシュヴァーク王の子孫だという系譜があるそうですし。

磯邊友美「SardalaKamavadanaに見るチャンダーラの出家」には、「コーサラ国王がマータンガの末商であると伝える記述がLalitavistaraとその漢訳『方広大荘厳経』『普曜経』や『仏本行集経』に見られる」とあります。
先祖がマータンガであれば、コーサラ国の王家は不可触民ということになります。
これには驚きました。
もっとも、磯邊友美氏は「姓としてのマータンガをチャンダーラの一種であるとする理解が一般的になされるが、パラモンの法典類は、両者の関係をはっきりと規定しているわけではない」と書いていますが。

マガダ国が非アーリア人の国だという説があるそうですが、コーサラ国の王族も先住民なのでしょうか。
だとしたら、マガダ国やコーサラ国の王族はクシャトリアではなく、シュードラ、もしくは不可触民だということになります。

もう一つ、釈尊が釈迦国に帰った時、王族の子弟たちが出家しましたが、その時、王族の子弟は「私たち釈迦族は気位の高い者です。床屋のウパーリは私たちの召使いでした。この者を最初に出家させてください。そうすれば、私たちはウパーリに対して、礼拝、合掌をなすでしょう。そうして私たち釈迦族の気位が除かれるでしょう」と言っています。
ビルリ王子が侮辱されたのは、このエピソードの前の話なのでしょうか。

釈迦族は身分差別を当然のことと考えていたのかどうか、そこらも疑問です。

コメント
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