三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

中島岳志、島薗進『愛国と信仰の構造』

2018年02月06日 | 仏教

中島岳志、島薗進『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』と中島岳志『親鸞と日本主義』を読みました。
どちらも刺激的でした。

『愛国と信仰の構造』は島薗進氏と中島岳志氏との日本の全体主義をめぐる対談。
全体主義の定義として想田和弘‏氏のものはどうでしょうか。

僕の定義は簡単です。ファシズムとは全体主義のこと。つまり個人の思想や違い、人権、多様性を犠牲にしてまでも、社会や国全体の利益や一体感を優先させる思想や態度。自民改憲案は完全にこの定義に当てはまるし、秘密保護法や共謀罪など自民党の基幹政策やトップダウンの政治手法も完全にこの傾向。


島薗進氏が最初にこのように指摘しています。
国民的な連帯が弱まっている現代では、「日本固有」の神道、あるいはそれと重なる国体的伝統というものに回帰していきたいという流れが急激に強くなる。
同時に、中国や韓国に対抗しなければならない、という民族主義的な考え方も強くなってきている。
ナショナリズムと宗教が結びつくのが日本の特徴で、靖国参拝問題や日本会議が分かりやすい形だ。

・ナショナリズムについて
ナショナリズムとは「国民主義」と「国家主義」という意味。
国民主権 下からのナショナリズム  「国家は、国民のもの」
国家主義 上からのナショナリズム  「国民は、国家のもの」

・国家神道

島薗「中国や韓国への対抗意識から、広範囲な層にわたってナショナリズムの高揚が見られます。そしてそのナショナリズムを政治的に活用しようという動きが露骨になってきている。そこに、国家神道的な思想が動員の道具とされているわけです」

島薗進氏によると、国家神道は、多分に儒教的である。
明治維新以前には、日本各地にさまざまな神社があり、それぞれ多彩な信仰を培ってきたが、日本中の神社を束ねる統一的な宗教組織は、幕末までは存在しなかった。
それが明治になると、皇室祭祀と連携しながら、伊勢神宮を頂点にした組織を作り上げていく。

明治維新でのスローガンが祭政一致。
政治の中心には祭祀をつかさどる天皇がおり、その祭祀を通じて下々にも天皇崇敬がゆきわたり国民が統合される。
天皇を国家の中心に置いて「上からの」統合をめざす、非常に儒教的な要素の強いものである。

国民の中に国家神道が根づいていったのは、1890年の教育勅語発布のころから。
教育勅語や軍人勅諭などを通して、民衆が自発的に国家神道の価値観を身につけ、日本人は強力な国家神道の規範秩序に組み入れられていった。

・一君万民

一君万民とは、超越的な天皇のもと、すべての国民は平等だという思想。
中島岳志氏によると、超越的な天皇にだけ真の主権を認めることによって、天皇以外の民の間には一切の身分差・階級差を作らない。
みんなの心がつながり合えば、天皇の大御心と溶け合って、ひとつになっていく。
水戸学の人々は、「一君万民ナショナリズム」は武士と農民を同じ「万民」と捉え、封建秩序を決定的に破壊するからと、警戒した。

・自由民権運動

自由民権運動は、身分制や専制的な政府のあり方を批判し、国民主権の原則が主張された。
しかし、自由民権運動に関わった人たちには天皇主義者が多く、「一君万民」に基づいたナショナリストたちだった。

中島「幕末期以来、「一君万民」に基づく国民主権ナショナリズムを求めて、体制批判の急先鋒の役割を担った「右翼の論理」は「体制の論理」と化し、現実政治への批判の契機を根源的に失ってしまいました」


・ユートピア主義

維新は「回復」「復興」という意味。
天皇と人民が神意に従って一体化しているような世界が理想であり、そういったユートピア的な世界は古代日本において成立していたと考える。
天皇の存在を前提とする社会への復帰をめざしたのが明治維新だった。

中島「古代への回帰を理想とする、国学が源流のユートピア主義的な傾向が、日本の右翼思想から消えてしまったわけではありません。(略)
そうした古代への回帰を理想とするユートピア主義的な右翼思想は、自由民権運動を経由した玄洋社のように、「国民主権」と「天皇の大権」の一致をめざすナショナリズムと合流していく。そして、昭和維新と言われる国家改造運動を生み出します」


左翼 人間が理性を使って正しく設計すれば、未来はよい方向に変革できる。つまり、未来にユートピアをつくることができると考える。

右翼 歴史を遡り、過去の社会にユートピアを描いてしまう傾向がある。過去のよき社会を復古させることさえできれば、世の中はユートピアになる。

玄洋社など国民主権的な伝統右翼は、立憲主義に基づいた民主制によって国体が確立され、国民の意思と天皇の意思が一致する社会が成立すると考えていた。
革新右翼は「上からの」設計によってよき社会をつくることができる、革命によって国家を改造することが可能だと思っていた。

日蓮主義(自力のユートピア主義) 革命やテロ、軍事的陰謀などによって社会を根本的に改造し、理想社会を自分たちの手で作っていくことができるという確信を強く抱いていた。


親鸞主義(他力のユートピア主義) 天皇の大御心と自分たちを一体化すれば、ユートピアは現前すると考え、計らいを徹底的に糾弾する。


保守 未来にも過去にもユートピアを求めない。人間の理性だけでは、未来に理想社会が実現できるとは考えない。絶対に人間は誤るから、少しだけでもよりよい社会にするためには漸進的な改革を進めていくしかない。


・日蓮主義

中島岳志氏は、天皇崇敬を掲げる超国家主義的な変革運動の指導者の多くが、日蓮主義の影響を受けていると指摘します。

中島「日蓮主義の教義には、そもそも国家救済のヴィジョンがある。そのために、国体論と融合し、日本が中心となって世界を統一するという「八紘一宇」の理念が日蓮主義の中から生まれました。と同時に、こうした日蓮主義の世界変革的な理念は、北一輝のような革新右翼が生まれる磁場にもなったわけですね」


法華経と国体との一体化を説く国柱会を作った田中智学の考えを、中島岳志氏は次のように説明します。

法華経や日蓮遺文に国体論的なものを読み込んで、末法の世に出現する上行菩薩を天皇だと言ってみたり、法華経の「転輪聖王」や「賢王」といった存在を天皇と同一視していく。
天皇は存在そのものが仏教的真理を具現しているから、「世界を統一すべき国体こそ日蓮仏教のめざす最高の理想である」と考える。

まずは在家信者によって新しいグループが作られ、そしてそれが本体の日蓮教団を大きく揺り動かしていく。
さらにそれによって国民が日蓮思想へと感化され、その延長上に天皇が日蓮主義へと改宗し、国立戒壇(国家によって仏門に入るための戒律を授ける壇)が建立され、日蓮主義国家が誕生する。
この発展段階の最終段階として、天皇を中心としたすべてがひとつのもとに成立するユートピア世界、つまり「八紘一宇」が現前する。

・親鸞主義

革命的な社会変革をめざす日蓮主義者に対して、親鸞主義者は「絶対他力」だから、「自力」「計らい」を否定する。理想に向けて自力で世の中を変革するという理念は出てこない。
次回は中島岳志『親鸞と日本主義』についてご紹介します。

・ネット右翼

ネット右翼の言葉には「レジスタンス」や「本音」という言葉が頻出する。
つまり、既得権に対する強烈な反発が彼らの中に強くあり、特権を享受している人間へのレジスタンスだという感覚があると、中島岳志氏は指摘します。
たとえば在特会は、ある集団の人々が特権を握り、自分たちはそこから除外されている「市民」だという認識を持っている。
その苛立ちはマス・メディアに対しても向けられ、自分たちの主張が大手メディアからは排除されていると主張する。

・立憲主義の危機

天皇の神聖化と、天皇は憲法の規定に従って統治するという立憲主義の原則は、戦前の最終局面で解体された。
そして、現在は安倍政権が引き起こした立憲主義の危機にある。

島薗「新しい歴史教科書を作る会や近年のネット右翼などは、一見、宗教的とは見えない政治的ナショナリズムが前面に出ていますが、それらの下支えしているものは、天皇崇敬と国体論を核とする戦前の国家神道という枠組みではないかと私は考えています」
中島「つまり、近年見られる偏狭なナショナリズムは、一見、宗教とは無関係に見えるけれども、実はその背後には国家神道の姿が見え隠れしているということですね。そして、その影響が安倍内閣にも押し寄せている」


日本は戦前のようになるんじゃないかと心配になります。

コメント
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