三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

市川光雄『森の狩猟民』

2017年03月26日 | 

市川光雄『森の狩猟民』は、1974年8月から1975年7月までザイール(現在のコンゴ)北東部にあるイトゥリの森に住むムブティとよばれるピグミーの生活を、市川光雄氏が調査した記録。

市川光雄氏は1980年10月から1981年1月まで再度、イトゥリを訪れます。
5年間で変わっていたことは、まず市場が開かれていたこと。
行商人が多くの品物を売るようになった。
そして、ムブティ・ピグミーたちは服装があまりに立派になっており、パンタロンにニットのシャツを着ている者もいた。
6年前は、男はたいてい半ズボン一枚で暮らしており、長ズボンをはく者はなく、老人の多くは伝統的な樹布製のふんどしをつけていた。

衣服は肉の交易によって得たものである。
ピグミーたちは布を得るためには、以前よりも長時間働かなければならない。
交易人は絶えずムブティの新しい欲望を刺激する。
ピグミーは物品を手に入れるために懸命に働かなければならない。
ムブティ・ピグミーの社会は、交易が浸透するにつれて、徐々にプア・ソサエティーに変貌しつつある。

そして、市川光雄氏はあとがきで、「最近入ったニュースによると、砂金が発見され、原生林の中に人口数百人の町ができ、レストランやバーが建ち並んだ」と書いています。

『森の狩猟民』は1982年の発行ですから、35年も前です。
ピグミーたちは現在、どのような生活をしているのか気になりました。
コンゴ(ザイール)では内戦が1996年から2003年まで続いているし、ルワンダなど周辺国から大量の難民が入っています。
ネットを調べると、政府軍兵士、反政府軍勢力組織の一部の部族が集団的に、ピグミーを「戦時食」として動物のように狩猟し、料理して食してると、イギリスの新聞「インディペンデント」が報じ、国連もこの事実を確認したとあります。

図書館でピグミーに関する本がないかと調べると、近年に発行されたものは寺嶋秀明『森に生きる人 アフリカ熱帯雨林とピグミー』(2002年刊)ぐらいでした。

寺嶋秀明氏は、伐採が森を破壊しており、森が危機に瀕していることを危惧しています。
イトゥリの森では、あまりに道路が悪く、切り出しても港まで運ぶことができないため、木材の伐採はまだそれほど盛んではない。
しかし、カメルーン南部のピグミーが住む村では、伐採の影響が深刻になっている。
カメルーンの首都ヤウンデからコンゴ共和国の国境近くまで車で移動していると、毎日、丸太を満載したトレーラー100台以上とすれ違う。

『森の生活民』によると、狩猟採集民は食料を手に入れるために長時間働いていたわけではないそうです。
ブッシュマンの労働の調査によると、ある地域には206人が住んでいて、このうち生計維持者は111人だった。
男は週に平均3~5日の割で狩猟に出かけ、一回の猟に5~12時間を費やしている。
女はほとんど毎日、植物性食物の採集に出るが、一日の労働時間は1時間から数時間にすぎない。
食物獲得のための労働は、生計維持者1人あたり、週に平均2~3日を費やすだけという報告もある。
ブッシュマンの生活の大半は、食物獲得にではなく、余暇にあてられており、生活は想像されたほど厳しいものではない。
オーストラリアの原住民も、労働時間は1人一日平均3~4時間と5時間強である。

ピグミーは今も狩猟採集の生活を続けているのでしょうか。
寺嶋秀明氏は、オルテガ『狩猟の哲学』にある「労多き仕事」と「幸多き仕事」ということを取り上げ、ピグミーは「幸多き仕事」だと書いています。
「労多き仕事」とは、仕事それ自体ではなく、報酬のためにする仕事である。
「幸多き仕事」とは、それ自体が目的となる仕事で、仕事をしていることが楽しく、生き甲斐を感じる。
しかし、30年前に市川光雄氏が書いている、ピグミーの消費生活が現在も進行しているとしたら、ピグミーたちは「労多き仕事」をしているかもしれません。

香山リカ『堕ちられない「私」』に、ウルグアイのムヒカ大統領の言葉が引用されていました。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今は、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか? バイク、車、などのリボ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。


市川光雄氏はこのように書いています。
石器時代の人類は、富の追及を生活の目的としていたわけではなく、生きるのに必要なものを得れば事足りたのである。
彼らの必要量に比べれば、自然はほとんど無尽蔵の宝庫だった。
欠乏感がないことを「豊か」だとするならば、当時の人類はそれなりに豊かな生活をおくっていた。

ピグミーの生活の変化は私たちとの合わせ鏡のようです。


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