三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

上杉聰『日本会議とは何か』

2016年10月06日 | 
日本の憲法は、実は日本が作ったものではありません。日本が戦争に負けた後、日本を占領したアメリカが作成し、日本に押しつけたものです。(略)
その時、アメリカ側は、これを受け入れなければ天皇の身体の保証はできないと日本に伝えました。

美しい日本の憲法をつくる国民の会のチラシにこんなことが書かれていますが、上杉聰『日本会議とは何か』は、間違いだと指摘しています。

日本国憲法は単純にマッカーサーが日本側に押しつけたようなものではない。
日本国憲法の原案はアメリカが作ったが、多数の日本人がその憲法を審議し、修正し、決議して受け入れた。
1946年6月20日、GHQ案をもとに日本政府が帝国議会へ憲法改正案として提出した。
前文はもちろん、第1条も第9条も徹底して変えられている。
日米が中心となって共同して作り上げ、さらに連合国・極東委員会による監視とチェックも加えられたのが日本国憲法なのである。

「アメリカ側は、これを受け入れなければ天皇の身体の保証はできないと日本に伝えました」ということ。(「保証」ではなく「保障」です)

松本烝治が、GHQ民政局長のコートニー・ホイットニーは「天皇ノ身体(パーソン、オブ、ゼ、エンペラー)ノ保障ヲ為スコト能ハス」と言ったと記しています。

しかし、ホイットニーは次のように述べている。

最高司令官は天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国からの圧力、この圧力は次第に強くなりつつありますが、このような圧力から天皇を守ろうという決意を固く保持しています。これまで最高司令官は、天皇を護ってまいりました。それは彼が、そうすることが正義に合すると考えていたからであり、今後も力の及ぶ限りそうするでありましょう。しかしみなさん、最高司令官といえども、万能ではありません。けれども最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題としては、天皇は安泰になると考えています。

天皇を殺すと言っているわけではなく、東京裁判で戦犯容疑として裁かれることがなくなる、と言っているにすぎない。
「天皇の身体の保障はできない」というのは松本烝治の誤訳である。
新憲法を日米だけでまとめ、日本を平和国家へ転換させ、天皇も無力になったことを世界に知らしめ、東京裁判で天皇が裁かれるのを防ぎたかったのだ。

ホイットニーの言葉をその場で通訳していた白洲治郎が「押しつけ」と激怒したが、後に次のように書いている。

(アメリカが)新憲法を押しつける決心であったかどうかは別として無理のない事情もあった。それは松本烝治博士による日本政府最後の(アメリカへ提出した松本蒸治の)憲法修正案も天皇主権であったからだ。終戦直後においても事態の認識はあまかったようだ。……
その(新憲法)プリンシプル(原理・原則)は実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか。」(『プリンシプルのない日本』)


日本会議のチラシ「自衛隊の存在を憲法に明記しよう!」について。
上杉聰氏は、「憲法が自衛隊に触れていなくても、それは合憲であり、むしろ自衛隊に憲法が触れないことこそ、重要なのだ。」と言います。

「戦力の不保持は、国際紛争を武力で解決することを放棄するため」だと、第9条の目的をより厳密に定義した結果、「国際紛争を武力で解決する」以外の目的で戦力を持つことはどうなるか。
マッカーサーは最初、日本には自衛戦争さえ認めないとし、「国の主権の発動としての戦争は廃止され、日本は、国際紛争を解決するためだけでなく、自国の安全を保持する手段としても戦争を否定する」と書いていた。
ところが、日本へ憲法案を提案した段階で、「自国の安全を保持する手段としても」が削られ、自衛戦争の放棄を取り消した。

金森徳次郎内閣憲法担当大臣は憲法改正小委員会で次のように語っている。

(原案の)第1項は『永久にこれを放棄する』という言葉を用いましてかなり強くでております。しかし第2項の方は永久という言葉を使いませんで、これは私自身の肚(はら)勘定だけかもしれませんが、将来国際連合等との関係におきまして、第2項の戦力保持などということにつきましてはいろいろ考うべき点が残っておるのではないか、こういう気が致しまして、そこで建前を第1項と第2項とにして、非常に永久性のはっきりしておる所を第1項に持って行った、こういう考え方になっております。

つまり、憲法改正原案では、国際連合との関係で戦力をもつことを可能にするため、第9条第2項にある戦力不保持に永久性を持たせないようにした(将来、戦力を持てるようにした)と語ったのである。

社会党の鈴木義男委員の発言。

ある国際法学者も、交戦権を前に持ってくる方が、自衛権というものを捨てないということになるので宜いのだということを説明しておりました。


憲法改正案委員会委員長の芦田均は自著の『新憲法解釈』に「自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない」と書いている。

極東委員会の中華民国政府代表のタンの指摘。

衆議院において(憲法第9条が)修正され、第9条(第2項が)第1項で特定された目的以外の目的で、陸海空軍の保持を実質的に許す解釈を認めていることを指摘したい。(略)
それは日本が何らかの口実のもとで、たとえば自衛という口実で軍隊を持つ可能性があることを意味する。

この憲法改正小委員会が非公開とされ、議事録も1995年まで秘密にされていた。

なるほど、なるほど。
となると、日本国憲法は個別的自衛権や国連による平和維持活動を認めているということでしょうか。

コメント
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