三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

仏教と死刑(2)

2021年11月24日 | 仏教

『ミリンダ王の問い』で、ミリンダ王がナーガセーナに釈尊は死刑を是認していたかどうかを問答しています。

「尊者ナーガセーナよ、また尊き師は、次の〈詩句〉を説かれました。
「この世において、他人を害するなかれ。他人を喜ばし、親切なれ」
しかるにまた、「折伏すべき者は折伏に値いし、摂受すべき者は摂受に値いす」と言われました。
尊者ナーガセーナよ、折伏とは、手を切り、足を切り、なぐり、しばり、拷問にかけ、死刑に処し、生命の存続を断つことです。〈したがって〉この言葉は、尊き師にふさわしくなく、また、尊き師は、この言葉を口にするにふさわしくありません」(略)
「大王よ、盗賊は折伏者によって、このように折伏されるべきです。呵責すべき者を呵責し、処罰すべき者を罰し、追放すべき者を追放し、縛るべき者を縛り、死刑に処すべき者を死刑にするのです」
「尊者ナーガセーナよ、しからば、盗賊を死刑にするということは、もろもろの如来によって是認されましたか?」
「大王よ、そうではありません」
「しからば、なぜ、もろもろの如来は、盗賊が教誡されるべきものであると是認されたのですか?」
「大王よ、およそ、死刑に処せられる者は、もろもろの如来の是認によって、死刑に処せられるのではありません。みずからのなした行ないによって、死刑に処せられるのです。大王よ、しかしながら、思慮ある人が〈ブッダにより〉真理の教誡をうけていながら、しかも、罪なく過(とが)なき通行者を捕えて、殺すことができるでありましょうか?」
「尊者よ、そうではありません」
「大王よ、それはなぜですか?」
「尊者よ、〈その通行者には何ら〉罪がないからです」
「大王よ、それと同時に、盗賊はもろもろの如来の是認によって、殺されるのではなくして、みずからのなした行ないによって、かれは殺されるのです。これについて、教誡者が何かあやまちを犯すでしょうか?」
「尊者よ、そうではありません」
「大王よ、しからば、もろもろの如来の是認は正しい教誡です」

『ミリンダ王の問い』の折伏と摂受の注です。

折伏 折伏するとは非難し、とがめるまたは制御するの語義であるが、ミリンダ王は刑罰の意味にとった。「折伏」の反対語たる「摂受」は、手をさしのべる、恵みを与えることである。本来、仏教において、折伏と摂受は、車の両輪のごときものであると説く。摂受のともなわない折伏は、往々にして邪見に堕す。慈悲と空観の実践者たる菩薩たちにとって、折伏一辺倒は大乗仏教の精神にもとるから、斥けられるべきものである。


折伏一辺倒云々は某団体への批判でしょう。
それはともかく、折伏とは死刑・身体刑・拷問の意味だとする経典があったのか疑問です。

ナーガセーナは苦を列挙する中で、裏切り者に科せられる拷問の種類をあげています。

粥壺の刑(頭蓋を割って、沸騰した粥を流し込む)も苦しみである。
貝剃の刑(磨いた貝のように、砂利で頭皮をこする)も苦しみである。
ラーフの口の刑(口を鉄針で開き、そのなかに油を注いで、火を点ずる)も苦しみである。
光環の刑(全身を油布でまいて火をつける)も苦しみである。
光明の手の刑(手を油布でまいて火とつける)も苦しみである。
蛇の皮剥ぎの刑(首から膝にかけて皮膚を細長く剥ぎ、足のまわりにたらす)も苦しみである。
皮剥ぎ衣の刑(細布のように、剥いだ皮膚をそれぞれ毛髪で結び、ヴェールをかぶったようにする)も苦しみである。
かもしかの刑(膝と肘とをいっしょにしばり、鉄板の上にかがませて、下から火をつける)も苦しみである。
肉鉤の刑(肉鉤でつりあげられる)も苦しみである。
カハーバナ貨の刑(カハーバナ銅貨の大きさに、身体を寸断する)も苦しみである。
灰汁裂きの刑(刃物で身体を傷つけ、灰汁を注ぐ)も苦しみである。棒廻転の刑(両耳の孔を鉄棒で刺し通して、大地にころがす)も苦しみである。
藁ぶとんの刑(骨をつぶすほどたたいて、身体を藁ぶとんのようにする)も苦しみである。
熱した油をそそがれるのも苦しみである。
犬どもに喰われるのも苦しみである。
生きているまま串刺しにされるのも苦しみである。
刀で首を切られるのも苦しみである。

注に「インドの諸王のある者たちが、極端に残忍であったことは疑いなく正しいが、これら一連の刑罰名が、一般に知られていたものとは考えられない。おそらく、拷問が特別視されたとき、機械的につくり出されたものもあったであろう」とあります。

ミリンダ王はこうした拷問や死刑を釈尊が認めたかどうかと尋ねているわけです。
ところが、ナーガセーナはそれには答えず、死刑になるのは業の報いであり、釈尊の是認とは関係ないと言うばかりです。

死刑になるのは自ら作った行為(業)の報いではなく、死刑制度があるからです。
死刑制度がなければ死刑になることはありません。
ですから、死刑は政治の問題です。
ところが、ナーガセーナは政治の問題を業の問題にすり替えています。

戒律の一番目を不殺生戒とした釈尊が死刑や残虐な身体刑、拷問を認めたとは思えません。

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仏教と死刑(1)

2021年11月17日 | 仏教

杉木恒彦「インド大乗仏教経典に見られる刑罰・戦争論 十善はどのように王政として展開されるのか」によると、「仏教には、死刑を認める説と禁止する説の両方がある」そうです。
http://www.totetu.org/assets/media/paper/t181_267.pdf

『サティヤカの章』(『サティヤカの書』とも)は死刑禁止の立場、『ミリンダ王の問い』は死刑を肯定しています。
『サティヤカの章』はこのように説きます。

なぜ王は死刑をすべきでないのか。
刑罰の目的は罪人の矯正であり、罪人を決まりに従わせることである。
刑罰の目的が矯正であることは、医師と病人の喩えによって説明される。
医師が患者を治療するように、王は罪人の矯正を行う。

刑罰は慈しみをもって行うのであり、怒りをもってではない。
軽微な刑罰を行うのが基本である。
罪人に対し口頭での注意で刑罰の目的が達成されるなら、口頭での注意のみを施す。
もし口頭での注意のみでは目的が達成しないと分かったなら、死刑と目を潰す等の知覚器官の破壊と体肢の切断といった重い身体刑を除いて、慈悲の心から、拘束、収監、打つこと、威嚇、あるいはその他の軽微な身体刑、非難、叱責、居住地からの追放、罰金などにより厳しく対処する。

王が順守すべき基本的な戒めは十善である。
死刑と、目などの知覚器官を損壊させたり身体の一部を切断したりする重度の身体刑が禁止されるのは、十善の一番目である不殺生(殺さず、重刑をせず、危害を加えない)に反するからであり、罪人への憐れみからである。

どのような身体刑が行われていたのか、『ミリンダ王の問い』に、ナーガセーナが四苦八苦などの苦しみを列挙する中で、犯罪者に科せられる刑罰の方法を述べらています。

鞭で打たれるのも苦しみである。
籐で打たれるのも苦しみである。
半杖で打たれるのも苦しみである。
手を切られるのも苦しみである。
足を切られるのも苦しみである。
手・足を切られるのも苦しみである。
耳を切られるのも苦しみである。
鼻を切られるのも苦しみである。
耳・鼻を切られるのも苦しみである。

なぜ王は重度の身体刑をすべきでないのか。
破壊・切断された身体部位は元に回復できない。
それに対し、拘束や収監などは回復するので、矯正を目的とする刑罰として適切である。

罪人を適切に処罰することは憐みの実行である。
憐みの心によって厳しく処罰するとはどういうことなのか。
父は、悪さをする息子をしつけるために、息子への憎悪や害意からではなく、慈悲の心から軽微な処罰の方法により犯した罪を反省させ、また今後も罪を犯さないように、すなわち矯正のために息子を厳しく指導する。
王も、臣民たちを自分の息子と考え、怒りではなく憐みの心から、罪を犯した臣民の矯正のために軽微な処罰で厳しく対処する。

このように、不殺生の戒めに反することに加え、重刑は罪人を矯正するものではなく、不幸にするものなので、憐みある王は行なってはいけない。

王は十善のみを統治のよりどころとするのではなく、様々な具体的教えを説く経典や律典や論書に依拠して統治を行う。
だが、仏教外の伝統で編纂されたアルタ・シャーストラ群に依拠してはいけない。
なぜなら、それらは王の統治行為として暗殺や死刑や重度の身体刑といった殺生の実行を命じるからである。
王が依拠すべき教書は殺生の行使ではなく、三毒の克服を基調とするものでなければならない。

死刑執行は死刑囚自身の悪業の報いとして生じるのと同じく、戦場での敵兵殺傷は王への害意をもつ敵兵自身の悪業の報いとして生じる。
敵兵自身の悪業の熟した結果である罪とは、王への害意という悪業から発する、戦闘行為を含む敵対行為を指す。
戦場で殺されることは敵兵自身の自業自得である。

死刑は完全に禁止されるのに、なぜ敵兵殺傷は完全には禁止されないのか。
敵兵も憐れみの対象となるが、王にとっては臣民の守護(憐み)が第一であるため、戦場で敵兵を殺すことが臣民の守護のために不可避であれば、臣民への憐れみが優先される。
それゆえ、王は臣民を守る唯一・最後の手段として戦場で敵兵を殺傷することがあっても、自国の罪を犯した臣民には決して死刑などの重刑を課さない。

『サティヤカの章』は、死刑囚は憎悪の精神状態で死ぬので、地獄など悪趣への転生を繰り返すことになると説く。
しかし、殺された敵兵のその後については何も語らない。

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仏教と戦争(4)

2021年11月09日 | 仏教

 8 王の属性・義務としての戦争行為
『瑜伽師地論』によれば、王は勇敢でなければならないが、勇敢であるとは、軍隊を効果的に用いて未征服地を征服し、人々を守護することを意味する。

ハルシャ王や『瑜伽師地論』の王も、仏教的な転輪王というより、武力行使を行いながら征服していくクシャトリアとしての王に通じる面がある。
クシャトリア王のイメージを採用するとともに、殺生への言及を避け、勇敢に戦争に従事する王が業の報いを受けるかについて曖昧にし、その一方、仏法を推進するといった王の数々の善行を描き、王が来世で幸福な境遇を得ることを説く。

 9 布施などの善行により戦争行為という悪業の代償をする
戦士たちは戦わなければならないし、殺生しなければならない。
では、戦場で敵を殺す戦士は死後どうなるか。
罪をめぐる仏教の考え方は一様ではない。

戦争での殺生という悪業の報いについて、初期では業報は避けられないと説かれますが、次第に業報を受けることはないとされ、死後に天界に転生するとも説かれるようになりました。

①死後に地獄に転生する
『マハーバーラタ』などバラモン教聖典は、戦場において熱心に戦い、戦死した戦士は死後天界に転生するという教えが見られる。

仏教では本来、悪業の影響力の消去・減少は、寄進という善業によって実現するわけではない。
悪業と善業は相殺されることはなく、行為者は善悪双方の報いを、別の機会に、あるいは同時に受けなければならない。

釈尊は『ヨーダージーヴァ経』(パーリ語経典相応部)で、戦士は敵兵を殺そうという意図をもって戦っているため、その「劣った、悪しき、誤った心」ゆえに地獄に転生すると説く。

行為を企てる心の状態がポイントで、仏教は行為の意図がその行為の善悪を決定する要因であると考える。
では、善い意図で殺生を行う戦士は、死後に天界に行けるだろうか。

パーリ語アビダルマ文献群(上座部)においては、殺生に至る過程のどこかで憐れみなど善い心の状態が生じることはあるとしても、殺生行為そのものは必ず何らかの形の憎悪(瞋)によってなされるとされている。

『倶舎論』は、「たとえ徴兵されたとしても、たとえ戦いの目的が自分自身や友人や自国を侵攻者から守るためであっても、敵兵を殺す意図をもって戦う戦士は罪人である」と説く。
仏教では善い意図での殺生はあり得ない。
ということは、仏教では戦争は悪しき行為なのです。

②罪報を受けない
『サティヤカの書』によると、正しい王は敵兵を殺傷しても、殺生という悪業の報いを受けることはない。
なぜなら、殺生であっても、それが利益になり、憐みからなされるのであれば、その行為は罪にならないからである。
また、殺生によって多くの功徳がもたらされる。
なぜなら。王は人民の守護と一族のために自分の生命と財産へのとらわれを捨てて行なったからである。

罪の本質は、行為そのものより、その行為がどのような意図・精神状態でなされたかにある。
王の憐みは修行者の精神状態であり、三毒に動機付けられた俗的な偏愛ではない。
また、敵兵の戦死は、王に害意を抱く敵兵の悪業の報いとして生じるものである。

③死後に天界に転生する
『大史』によれば、ドゥッタガーマニ王は多くのドラヴィダ人を殺した戦争を悔いた。
すると8人の阿羅漢が、この戦争は王の天界への転生を妨げるものではないと慰めた。

・王は三宝に帰依した者1人と、五戒を守る者1人しか殺していない。その他は異教徒や悪人であって、家畜と同じである。
・王は様々な方法で仏法を繁栄させる。

最後に以下の旨の教えが説かれている。
「自分が望んで多数の人々を殺した事実と、殺しが危険であること(悪い報いを受けること)と、無常であるから彼らはそのように死んだのだということを心に念じるなら、その者は苦しみ(悪い報いを恐れる苦痛)から解放され、天界に転生することができる」

8人の阿羅漢の教えは、戦争の正当化というより、来世の報いに苦悩する王の慰め、すなわち一種のカウンセリングとして説かれている。
現代スリランカで比丘たちは、殺生をしなければならない兵士たちの慰めのためにドゥッタガーマニ王の物語を説いている。

これはひどい話だと思います。
異教徒や他民族を畜生扱いしているのですから。
この理屈ならどんな虐殺も正当化されます。
神国日本にまつろわぬ支那を膺懲するという考えにも同じ意識があったのでしょう。

④善業を積むことで天界に転生する
『大業分別経』(パーリ仏典経蔵中部)に「殺生など十悪を行なった者でも、それ以前、あるいはそれ以降に善行を行なっていれば、天界に転生することはある」とある。

王は戦争をしても、善業を積むことで、死後に天界に生まれる可能性がある。
悪業代償の方法としての善行の例がサンガへの寄進である。
スリランカと東南アジアでは歴史的に、サンガに布施をしたり、仏塔などを建立・寄進することが、王にとって戦争での殺生行為に対する代償だった。
つまり、悪いことをした後に善いことをすればチャラになるわけです。

⑤死後のことは曖昧なまま語らない
戦争での殺生やその業報が明記されない。
布施などの善行によって天界に転生するとしても、殺生という悪業の影響力は残ったままであり、別の生において報いを受けるかもしれない。

 仏教の戦争論
①正戦論 その戦争が正しいかどうかを検討するための理論的な枠組みを創出する。
②正当化論 検討なしに正しいと弁護する。
③聖戦論 戦争を神聖化、あるいは神的なものの命令とする。
④救済論 戦士が殺生の業報から免れるための方法を提供する。

仏教の戦争論は救済論である。
戦士が慰みや天界への転生を得るためには、戦士は十善を順守する、布施をするなどが求められる。
このように杉木恒彦さんはまとめています。

戦争は悪業だと考えていた仏教も、ヒンズー教やジャイナ教のように戦争での殺生を肯定するようになったのです。

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仏教と戦争(3)

2021年11月03日 | 仏教

 5 慈悲と自己犠牲の心をもって人民を守護する最後の手段として戦争を行う
①慈悲と自己犠牲による殺生
善い心の状態、あるいは善悪どちらでもない心の状態で他者を意図的に殺すことはあり得ると説く仏典もある。
慈悲と自己犠牲による殺生については、岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」に論じられています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/1187d9cb302406ee25d01777c8b43ffe

②人民を守護するための戦争
『サティヤカの書』によれば、正しい王は十善に従った統治を行う。
敵国の軍隊が戦争のために近くにいるとき、王がまず行うべきは、第1段階として友好、支援、威嚇という外交政策を行うことにより戦争を避けることである。

 第2段階
これらの方策によって戦争が避けられない場合は、正しい王は①臣民を完全に守るという決意、②敵に勝つという決意、③敵を生け捕りにするという3つの決意でもって戦争を開始するべきである。
王は不殺生の戒めを保持しており、自分の臣民はもちろん、敵兵に対しても憐みをもつので、敵兵を殺さず生きたまま捕らえることにより、この戦争に勝利し、臣民を守ろうと試みる。
しかし現実には、武器をかざして迫ってくる敵をすべて生け捕りにすることは困難である。

 最終段階
戦場において、王は軍隊を効果的に配置し戦う。
敵兵への憐みと臣民への憐みはいかなる状況でも全く同じというわけではない。
しかし、自分や仲間や共同体への偏愛があれば自由に敵を殺してよいのではない。
なお、戦争を最終手段とすることは、バラモン教の法典群と同じ考えである。

慈悲と自己犠牲による殺生と人民を守護するための戦争とは違いがある。
・王は罪業の報いを恐れることなく戦争行為を遂行できる。
・敵兵を殺傷しても、それは敵兵自身の悪業の報いである。
自衛のための戦争だったら、人を殺すことは罪ではなく、その報いを受けることもないということでしょう。

 6 仏法の拡大・定着のために領土拡大の戦争を行い、殺生をする
『大史』によれば、仏法のための戦争で多数のドラヴィダ人を殺したドゥッタガーマニ王(紀元前2世紀のスリランカ王)は、死後に天界に転生した。
当時、スリランカにはドラヴィダ人の王国が数々あり、ドラヴィダ人はほぼ全員が仏教徒ではなかった。
ドゥッタガーマニ王は仏法の定着のため、ドラヴィダ人の王たちと戦い、多数のドラヴィダ王と戦士たちを殺し、スリランカ統一を成し遂げた。

 7 仏法の拡大・定着と領土拡大という双方の目的のために戦争を行う
ハルシャ王(7世紀)の征服事業は王国の拡大と繁栄、仏法の拡大を目的とした。
度重なる軍事遠征によって支配地を拡大し、軍隊を強大化させたうえで、30年間の武力による争いのない平和的な統治が実現した。
ハルシャ王は仏塔や僧院を建立し、住民に殺生と肉食を禁じ、布施を行なった。
忠誠を受け入れた者には慈悲ある統治を行い、忠誠を受け入れない者は次々と征服して、インドの大部分を統べる王となった。

仏法拡大のための戦争とは、つまりは十字軍のようなものです。
西欧諸国によるアフリカ、アメリカ、アジアの植民地化はキリスト教の伝道とセットでした。

神田千里『顕如』によると、本願寺は戦国大名たちとの戦いに門徒を動員したが、動員の名目は仏法のための戦いだった。

永禄13年(1570年)近江国中郡の門徒へ織田信長と戦うことを命じた檄文。

親鸞の法流が存続するよう、命を捨てて忠節に励んでもらいたい。無沙汰する門徒は永久に門徒とは認めない。


天正元年(1573年)、越中をめぐる上杉謙信との争いで、加賀の北二郡一向一揆に宛てた消息。

仏法が破滅するのだろうかと思うと、これ以上の悲しみはない。信心決定すれば命も惜しくないのだから、是非とも全員が信心決定するように。打ち続く戦さでの疲れは察するにあまりあるが、団結し、断行して力を尽くすことが肝要である。

この時期、本願寺は近江で織田信長、越中で上杉謙信と交戦していた。

石山本願寺で籠城していた天正5年、諸国の門徒への御書。

本願寺のことは去年から籠城が続いており、人々の疲れをどうか察してほしい。本願寺の伝える仏法の教えが破滅してしまうに違いないと思うと嘆かわしいことこの上ない。(略)軍略の上でお金が必要なので、迷惑を顧みない依頼で心苦しいが、一層の尽力を頼むばかりである。なんとしても仏法が存続するよう志を励まれんことを希望する。

顕如はこうした手紙を数多く門徒に送っています。

天正11年、賤ヶ岳の戦いでは本願寺は羽柴秀吉方に軍事的にも協力した。
軍事行動をねぎらう慈敬寺顕智の手紙。

柴田殿が滅亡されたことはめでたいと思われる。羽柴殿はいよいよ御法主様へ心遣いをなされるから、これまで以上に仏法が繁昌するに違いなく、これをありがたく存ぜられなくてはならない。

昨日の敵は今日の友、仏教(=本願寺)を維持、拡大するためならどういう手段を使ってもかまわないのでしょう。

本願寺にとって教団の存続が仏法守護であり、本願寺に背く者は法敵とされました。
神田千里さんはこのように書きます。

仏法の語から仏教ないし親鸞の教義のみを現代風に想起する必要はない。幕府体制の一員として仏法そのものである本願寺が生き延びていくための戦いが仏法のための戦いだとみることは可能である。

仏法のためと言いながら、本願寺の勢力拡張のために多くの門徒が殺されています。
本願寺は門徒を守ってはいないように思います。

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仏教と戦争(2)

2021年10月29日 | 仏教

 3 他集団との問題を戦争以外の方法で解決
『クータダンタ経』(パーリ語経典長部)は、理想の王は、よく訓練された軍隊を具えるなど、戦わずとも威光によって敵王たちを圧倒すると説く。

『アショーカ物語』によれば、アショーカ王は自らの善業の力により軍隊を超自然的に出現させ、神々は軍事遠征する各地の人々に「アショーカ王に対抗してはいけない」と命令した。

『サティヤカの書』(大乗経典4~6世紀)によると、インド古典において、王の最も重要な義務は臣民を守ることである。
外国の軍隊による危害から臣民を守ることは憐みの実行である。
戦争のための軍隊が近くにいるならば、王は第1段階、第2段階、最終段階の3種類の手段の善巧方便によって対処する。

 第一段階
王は戦争を開始する前に、3つの方策、すなわち①友好、②支援、③威嚇(広範囲の同盟関係とそれにより大きな対抗勢力となる恐怖などを敵に抱かせること)のいずれかにより戦争の阻止を試みる。
3つの方策のうち、①と②はバラモン教の法典群の懐柔と贈与に相当し、3つ目の方策は分断である。

王は、敵は何か原因があって罪(この戦争)を犯そうとしていると考え、その原因を取り除いてやることによって敵と友好関係をもつべきである。
贈り物など必要な支援を与えたり、あるいは同盟国とともに敵軍を威嚇したりして、戦争を回避する努力をしなければならない。

これらの方策を試みることは、不殺生などの十善の戒めによるものであるとともに、敵兵に対する王の憐みによるものでもあろう。

これは、外交によって戦争を回避する、あるいは圧倒的軍事力の差によって威圧するという手段です。
1962年のキューバ危機で核戦争が回避されたのは、フィリップ・E・ テトロック、ダン・ガードナー『超予測力』によると、こういう経緯があったからです。

1961年、CIAは亡命キューバ人を訓練し、カストロ政権にゲリラ戦を仕掛けようとした。
ところが、ゲリラ部隊がビッグス湾に上陸すると、キューバ軍が待ち構えており、ゲリラ軍は殺害されるか捕虜になった。

1962年、キューバにソ連のミサイル基地ができ、ソ連の戦艦が近づく。
キューバ危機によって米ソの核戦争が勃発するかと思われたが、アメリカとソ連が合意に達して戦争は回避された。

ビッグス湾事件の失敗は全会一致主義が根本原因であり、再発防止のため意思決定のプロセスが変革された。
徹底した自由な議論がなされるためにケネディ大統領が席を外すこともあった。
ケネディ大統領はソ連のミサイル発射装置への先制空爆は承認せざるをえないという危機感を持っていたが、議論に影響を与えないよう誰にも言わなかった。
委員会では10の選択肢が議論され、核戦争ではなく交渉による平和をもたらした。

軍事力の差による威圧の例です。
ポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』によると、西アフリカや中央アフリカにあるかつてのフランス植民地国にはフランス軍基地があり、フランスによる軍事保障は各地の内戦の発生を抑制した。

2008年 チャドで内戦が突入し、反政府勢力が大統領官邸の門に迫った。
フランスは反政府軍に、撤退しない場合はフランス軍が撃退すると告げると、反政府軍は撤退した。
この手段は軍事力に圧倒的な差があっても難しいそうです。

『サティヤカの書』(『サティヤカの章』)の漢訳名は『仏説菩薩行方便境界神通変化経』(5世紀)、『大薩遮尼乾子所説経』(『菩薩境界奪迅法門経』6世紀)です。
第二段階、最終段階については後ほど。

 4 戦争をするが殺生をしない
釈迦国がコーサラ国によって滅ぼされましたが、このことについては森章司「釈迦族滅亡年の推定」に詳しく書かれています。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono19_ke08.pdf

進軍するコーサラ国の軍隊が通る道の枯れ木の下に釈尊は座り、2度軍隊をとめた。
3度目の進軍で釈尊もあきらめ、釈迦国は滅ぼされた。
マガダ国の阿闍世王は釈尊の信者なのだから、助けを求めてもいいと思うのですが、それもしていません。

コーサラ国が釈迦国のカピラ城を攻撃した時、弓矢の名手である釈迦国の戦士たちは矢を放って抵抗したが、コーサラ国の兵士を傷つけないように矢を射った。
ヴィドゥーダバ王王は怖れて逃げようとしたが、釈迦族は不殺生戒を保っているので、人を傷つけることはないと大臣に言われて、城を攻めた。
その時、釈迦族の若者が戦って多くの敵兵を殺したが、釈迦族の人たちが非難したので若者は国を去った。

森章司さんによると、釈尊が死んだ時に遺骨を8つの国に分けたが、釈迦国もその一つだったから、全滅してはいないのではないかとのことです。

杉木恒彦さんは『大般涅槃経』(大乗経典)に説かれる、仏法の衰退する時代における在家の特殊な戒を取り上げています。

仏法衰退の時代、戒を正しく保つ比丘たちは身の危険にさらされているゆえ、旅をするとき、比丘は王など武装した在家信徒を護衛として同伴させてよい。
持戒の比丘は仏法の確かな保持者であるので、道中、武装した在家信徒は、敵対者たちから比丘を守らなければならない。
だが、敵を殺してはならず、武器は敵の攻撃を止めるためにのみ使う。
こうして戦死や寿命が尽きて死んだ在家はアシュク仏の浄土へ転生し、そこで悟りを得る。

釈迦族の滅亡と『大般涅槃経』の所説は、敵を殺傷しないかぎり、敵の攻撃を退けるための武器の使用を容認している。

また、『アリーナチッタ前世物語』(『ジャータカ』)『ボージャージャーニーヤ前世物語』『サティヤカの書』では、敵を殺さずに生け捕りにすることによって戦争に勝利する方法が説かれている。
主人公たち(釈尊の前世)は勇敢に突撃し、敵王を生け捕りにして戦争を終結させ、敵王に二度と敵対しないと誓わせた後、解放している。

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仏教と戦争(1)

2021年10月23日 | 仏教

インドの宗教は不害(アヒンサー)ということを大切にします。
生き物を傷つけない、殺さないということです。

しかしウィキペディアによると、ヒンズー教やジャイナ教では正当防衛で相手を殺すことは認められます。
ですから、他国から攻撃されて戦争になったら、武器を持って戦い、敵を殺傷することは罪になりません。
また、死刑も肯定しています。
殺生を禁じていながら、戦争と死刑という殺人は認めているわけです。

仏教も不殺生を説きます。
では、仏教は戦争や死刑についてどのように説いているでしょうか。

杉木恒彦「戦士の宗教 インド仏教の戦争論の俯瞰からの私論」(『越境する宗教史』)と「インド大乗仏教経典に見られる刑罰・戦争論 十善はどのように王政として展開されるのか」に、仏教における戦争論と死刑論が論じられています。
https://researchmap.jp/read0136289/books_etc/30952834
http://www.totetu.org/assets/media/paper/t181_267.pdf

杉木恒彦さんによると、仏教の戦争論は、古くは非戦・不殺生に傾倒する立場であり、時代が下がるとともに戦争での殺生を何らかの形で容認する教えを説くようになりました。

 仏典の戦争論
1 転輪王の征服
2 戦士の役割からの撤退      
3 戦争せずに問題を解決する
4 問題解決のために戦争をするが殺生をしない
以上は、不殺生戒を遵守する反戦者の論(とりわけ2)。
5 憐れみと自己犠牲の心をもって人民を守護する最後の手段として戦争を行う
6 仏法の拡大・定着のために領土拡大の戦争を行い、殺生をする
7 仏法の拡大・定着と領土拡大という双方の目的のために戦争を行う
8 王の属性・義務としての戦争行為
9 布施などの善行により戦争行為という悪業の代償をする
5~9は不殺生戒と戦士の役割を融和させる調停者の論。
とはいえ、戦争行為を無条件に認めるものではない。

 1 転輪王の征服
転輪王は全世界を統治する理想の王。
『転輪王経』(パーリ語経典長部)によれば、転輪王は法(ダルマ)による統治によって人民を守護し、法に従って征服事業を行う。
転輪王が依拠する法とは五戒と十善である。
転輪王の侵攻と征服は殺生をともなわない。
軍隊を率いて陣を張ると、その地の王は戦わずして転輪王に服従を申し出て、その地の統治者という立場を維持したまま、転輪王に服従する。

これは古代インドでは非現実的な理想論であり、戦争なしに問題解決をすることは難しい。

 2 戦士の役割からの撤退
戦士が殺生の業報によって地獄に転生しないためにとるべき方法は、戦場で殺し合いをしないこと。
それを実現する方法は、戦闘の義務から免れるために戦士の身分を捨てることである。

『転輪王経』によれば、転輪王たちも晩年は戦士の身分を離れて出家している。
『アショーカ物語』によれば、アショーカ王の敵であったバドラーユダは敗戦後、戦士の身分を捨てて出家した。
『大史』(5世紀に編纂されたスリランカの王たちの伝記)によれば、3世紀のサンガボーディ王は内乱軍が首都に迫ってくると、戦いでの殺生を避けるために王位を捨てた。

アンベードカル『ブッダとそのダンマ』によると、釈尊が出家した動機はコーリヤ国との戦争を避けるためです。
シャカ族の国とコーリヤ国とは国境を流れる川の水利権を争っていたが、とうとう怪我人が出る衝突があり、宣戦布告をするかどうかが話し合われた。
話し合いで解決するよう提案した釈尊は、主戦論が可決されたので、出家して国を去ることにした。

根岸鎮衛『耳袋』にこんな話があります。
真木野久兵衛は道場を構える剣道の達人だった。
3人の町年寄が来て剣術を伝授してくれと言う。
弟子になると、秘伝の伝授ばかりせっつく。
久兵衛は桜の馬場で伝授をしようと、馬場の端から端まで走った。
3人は「ご伝授ください」と言うのに、久兵衛は「もうすんだ」と答えた。
「剣術は身を守るためのもので、こなたより求めて立ち向かうのではない。避けようとしてもままならぬときに用立つのが剣術である。あなたがたは武家ではないから逃げるのが一番だ。武士は逃げることができぬ身分だが、町人は逃げて苦しからず。当流の極秘はその外にはない」
三十六計逃げるにしかず、です。

しかし、戦士の身分を捨てるだけならともかく、一般人が戦場から逃げるということは家族が難民になることです。
「ペシャワール会報No.149」に、アフガニスタンで亡くなった中村哲さんの言葉が載っています。

水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。

逃げるということは普通の人にとって問題の解決にはならないと思います。

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慈悲と善巧方便にもとづく殺生(4)

2021年10月17日 | 仏教

岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」は、『大乗方便経』に説かれる、方便としての殺人を肯定する教えは後世の仏教に悪影響を与えたと指摘しています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf

釈尊がカディラ樹の破片で怪我をした出来事の前生譚(前世での殺人譚)は、後代の大乗徒と密教徒にとって「菩薩が殺人を犯しても罪悪とならず、逆に福徳を生じさせる場合」として、殺人が許容される場合の判例の役割を果たした。

『大乗方便経』の編集者が船上の殺人の話の扱いにおいて、その殺人行為を英雄譚とし、話の結末において殺人という罪の行為が何ら悪業を生じさせなかったと記述したことは、この殺人譚は後世に禍根を残した。
結果的にその後の大乗仏教の道徳観の形成に、独善的な傾向性のあるネガティブな影響をも与えることになった。

釈尊が前世で殺人を決意した段階では、菩薩はその業により地獄に堕ちるつもりでいた。
慈悲と自己犠牲の精神により殺人を犯したのである。

しかし、『大乗方便経』の編集者が殺人行為に無罪を宣告し、殺人の結果をハッピー・エンドにしたことによって、その行為から自己犠牲の性質が失われてしまった。

この法話を聞いた後では、大乗徒たちは殺人という手段が目的さえ尊ければ許され、しかも自己犠牲も必要とせず、人を殺しても得をする場合があることを意識するようになったであろう。
そのような打算的な意識が心のどこかにあれば、自己犠牲の行為は穢されてしまい、台無しにされてしまう。
人がもし『大乗方便経』のこの殺人譚の幸せな結果だけを見て、最重要な「自分はこの行為によって自ら地獄に堕ちよう」という菩薩の自己犠牲の生き方を見ないのであれば、単純に無節操な殺人の肯定に結びつく。

密教の注釈家たちは後期密教における呪殺を正当化する聖典的根拠の一つとして、『大乗方便経』のこの話を挙げる。
呪殺とは密教行者が隠れて秘かに行う方法であり、『大乗方便経』の菩薩のような自己犠牲の精神がない。
自分が傷つかず、いかなる悪業も受けずに人を殺せることを当たり前のことと考える。
殺人請負人のように、他人から依頼されて謝礼を受けて呪殺を行うこともある。
菩薩行とはかけ離れた打算がある。

呪殺については正木晃『性と呪殺の密教』が詳しいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a5804d7d0e9183226d9636884b002bed

岡野潔さんはこのように締めくくります。

この話を編集者が釈尊の無業報の立場を取る『大乗方便経』の中に採用したことによって、殺人行為が悪業を発生させず、逆に十万劫の間、輪廻を超越するメリットがあったという蛇足的な記述を、必然的に話の最後に付け足さざるを得なくなった。しかしその蛇足こそがこの英雄譚から自己犠牲の性質を奪ってしまい、後世においては、自己保身のために邪魔な者を抹殺しようとする、虫のよい自称仏教徒たちの卑怯な振舞に口実を与えてしまったように思う。
『大乗方便経』のこの話は、後期密教の思想の影響を受けたオーム真理教が犯した殺人行為につながってゆくのである。


釈尊はいかなる意図があろうと殺生を禁じていることは、律の殺人戒を読めばわかります。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_010.pdf

ところが、殺人を方便だとして許容し、殺すほうも殺される側も死後に天界に転生すると説いたのですから、オウム真理教のポアの考えとどう違うのかと思います。

増谷文雄『仏教概論』に「仏教の歴史は異端の歴史」だとあります。
時代や地域、社会が異なれば、教えや決まりも変わってきて当然です。
教祖の言葉を一字一句変えず、教団も同じ形のまま維持しようとするなら、それは原理主義であり、今を生きる教えにはなりません。
だからといって、自分の都合のいいように変えていいというわけではありません。

外してはならない基本線というものがあります。
仏教では縁起と不殺生だと思います。

釈尊が前世で、盗賊を殺すことによって多くの人命を救ったということだけなら許容範囲かもしれません。
しかし、盗賊を殺すことで盗賊が地獄に堕ちることを防いだのだから、殺人の罪報を受けることはないとし、さらには盗賊は殺されたことで天界に転生したと説くのですから、不殺生という仏教の基本線を越えています。

戦前の仏教界は、兵士が戦争で敵兵を殺すことを菩薩行だと賞賛しました。
釈尊の前世だけに認められた慈悲と善巧方便にもとづく殺生(一殺多生)を拡大解釈したのです、
外道に堕したわけです。

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慈悲と善巧方便にもとづく殺生(3)

2021年10月07日 | 仏教

藤田光寛「〈菩薩地戒品〉に説かれる「殺生」について」は『瑜伽師地論』「菩薩地戒品」に説かれる殺生肯定論ついて論じています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1995/191/1995_191_L152/_pdf

古代インドにおいて、不殺生 (ahimsa) という教えは、ジャイナ教、 バラモン教などに共通してみられ一般的倫理だった。
インド仏教においても、初期の時代から不殺生が仏教の基本的立場だった。
比丘の具足戒において、波羅夷法(これを犯せば僧伽から永久追放)の断人命戒では人を殺すこと、他の人に教唆して人を殺させることが禁止され、さらに自殺や安楽死も否定されている。

波逸提法(これを犯せば比丘の前で懺悔しなければならない)では、掘地戒(大地に生命があると世間では信じられているので、自分の手で大地を掘ったり、他の人に指示して大地を掘らせてはならない)、伐草木戒(植物に生命がやどるので、自分で草木、樹木を伐ったり、他の人に伐らせてはならない)、用虫水戒(虫が死ぬから、水の中に虫があるのを知りながらその水を用いたり、泥や草の上にその水をそそいではならない)、奪畜生命戒(殺そうという意志をもって動物を殺してはならない)、飲虫水戒(水の中に虫があるのを知りながらその水を飲んではならない) などがあり、人のみならず、動物や植物などあらゆる生き物を殺してはならないとしている。

在家者は五戒を保つのであるが、その第一が不殺生戒である。
ところが、インド仏教の基本的な倫理である不殺生に反すると思われる記述が大乗仏教経典に見られる。

「戒品」には、在家の菩薩が有情に対する憐愍(思いやり) の心をもち、利他のための善巧方便として行なうならば、性罪を犯しても許容されるとする記述がある。
性罪(しょうざい) とは、仏陀によって禁止されているか否かに関係なく、殺生などのように本質的に罪悪である悪行為です。

すなわち、十善戒のうち、①不殺生、②不偸盗、③不邪淫、④不妄語、⑤不両舌、⑥不悪口、⑦不綺語は一定の要件においてであれば犯しても罪にならないとする。
もっとも、出家の菩薩には①~⑦のいずれかを犯すことも許容されない。
この場合の「在家の菩薩」とは、世俗社会においてさとりを求めて修行する大乗の仏教者の在家者であれば誰でもというのではない。

不殺生に関して「戒品」に次のように説かれている。

多くの[五]無間業の行為をなした強盗や窃盗が、多くの生き物、如来、声聞・独覚・菩薩たちを少しの財物を欲しいために殺そうとしている。それを見た菩薩は次のように考える。〝たとえ私がこの強盗や窃盗の命を奪って地獄に再生するであろうとも、私は喜んで地獄に再生したい。この有情が無間業をなして地獄におちることなかれ〟と。菩薩はこのような意向をもって、自分のこの意向が善なる心、または無記の心 であると知り、[他の方法がないので]恥じつつも、本来のこの有情(強盗、窃盗)に対する哀愍の心をもって(この有情にとって本来において利益となることを考えて) この人を殺す場合、違犯のある者にならず、かえって多くの福徳が生じる。

望月信亨『仏教大辞典』に「古来、一殺多生の説と称せらるゝ所なり」とある個所です。

「戒品」に説かれる戒律観は、インド中期密教(7世紀頃) の経典にもみられる。

『大日経』「受方便学処品」に説かれる十善戒の解説の中において、その第一の不奪生命戒では、その人の悪業の報いという苦しみから解脱させるために、自分で罪悪なることを受け入れて、恨みの心はなく大悲の心をもって殺すことが方便行として認められている。

ブッダグフヤ『大日経広釈』では、「受方便学処品」の解説に、「戒品」に依拠して般若と善巧方便をもった在家の菩薩が利他のために、時には十の不善なることを行なっても許されるが、出家の菩薩には許されないと説く。

『理趣経』「降伏の法門」でも、「もしこの般若波羅蜜多の理趣を聞いて受持し読諦し[修習するなどの十法行を]なすならば、[その人はすべての煩悩を既に]調伏することになるから、たとい三界の一切の有情を害しても、悪趣に堕せず、速やかに無上正等菩提を得ることができる」とある。

『初会の金剛頂経』「降三世品」に「一切の有情の利益のために、仏陀の教説の故に、もし一切の有情を殺しても、彼は罪悪に汚染されない」という記述がある。

このような考えはインド後期密教 (約8~12世紀) においてさらに展開する。

メナンドロス1世(紀元前2世紀)とナーガセーナとの対話である『ミリンダ王の問い』にも殺人を肯定している個所があります。

デーヴァダッタがサンガを破壊し、そのことで一劫のあいだ地獄で苦しみを受けることを釈尊は知っていたのに、なぜ出家を許したのかと、ミリンダ王がナーガセーナに問います。

「デーヴァダッタが業の上に業をつみかさねて、一兆劫の間、地獄から地獄へ、破滅の所から破滅の所へと行くのを見られたのです。善き師は全てを知る智慧によって、「かれの無限の業は、わが教えの下で出家したならば終りをつげるであろう。前生〈につくった業〉に基づく苦しみは、終りをつげるであろう。だが、出家したとしても、この愚かな人間は一劫の間、〈苦しみをうける〉業をなすであろう」と知って、デーヴァダッタを出家させたのです」
「尊者ナーガセーナよ、しからば、ブッダは〈初めに人を〉打ったのちに、〈傷に〉油を塗る。崖に落としたのちに、〈救いの〉手をさしのべる。殺したのちに、蘇生を求める。すなわち、ブッダは初めに苦しみを人にあたえ、そののちに楽しみを付与してやるのですね」
「大王よ、如来は人々の利益のために〈かれらを〉打ち、人々の利益のために〈かれらを〉落とし、人々の利益のために〈かれらを〉を殺すこともするのです。大王よ、如来は人々を打ったのちにかれらに利益を付与し、落としたのちにも人々に利益を付与し、殺したのちにも人々に利益を付与するのです」

かなり古くから、救済や教化のための殺生を正当化していたようです。

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慈悲と善巧方便にもとづく殺生(2)

2021年10月02日 | 仏教

岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」によると、釈尊が前世で盗賊を殺した話は、小乗の経典と『大乗方便経』では大きく違っています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf

小乗文献では、前世の釈尊はこの殺人の罪により、死後久しく地獄で苦しみ、さらにその業の残余がカディラの破片の事件となって現われたとする。
『大乗方便経』では、前世の釈尊はこの殺人により地獄に堕ちるどころか、「十万劫の間、輪廻を滅ぼし、捨て去った」とする。

『大乗方便経』の智勝菩薩への話は、船での殺人という釈尊の前生譚(Aパート)と、カディラ樹の破片が足に突き刺さった今世の出来事(Bパート)に分かれている。
Bパートは次のように説かれます。

舎衛城に、最後身の者(解脱前の最後の生存にある者)20人と、その20人の怨敵である20人がいた。
そして怨敵20人はそれぞれの悪だくみをもって、「私らは友のふりをして、それぞれの怨敵の家に入り込み、彼らを殺そう」と考えた。
釈尊のもとに40人が赴いた。
釈尊は目連に「この場所からカディラ樹の破片が出現して如来(釈尊のこと)の右足の裏に突き刺さるであろう」と語った。
カディラ樹の破片が地面に刺さり、如来がカディラ樹の破片の上に足を踏み下ろした。

アーナンダは私(釈尊)に「世尊がいかなる前世の業の障礙を作られたので、その業の異熟がこのように現われたのでしょうか」と尋ねた。
私は「アーナンダよ、私は前世に大海を航行していた時、奸佞な商人を矛で突き刺して殺した。これはその業の残余である」と説いた。

すると殺害を意図して友のふりをしていた20人は「如来ですら業が異熟するなら、われらにどうして業が異熟しないだろうか」と考えた。
彼らはただちに釈尊に「世尊よ、私どもは人を殺害しようと思っておりました。われらは世尊の前で、その過ちを告白しますので、世尊は私たちの告白をお受け下さいますようお願いします」と、罪過を告白した。
釈尊は彼らに、業の作用と、業の消滅・業の発動等々の法を教示したので、40人に智慧の現観があった。

釈尊の足にカディラ樹の破片が突き刺さったのは、このような因と縁によるものであり、これも菩薩と如来の善巧方便である。

船上の殺人が前世の業因であることを釈尊が説いた小乗の聖典を論拠にして、小乗徒が前世の悪しき業繋を主張したため、『大乗方便経』の編集者は、アーナンダへの説法を釈尊が自ら否定するという構成を取って、小乗徒が依拠する聖典の権威を無力化することを意図した。

『大乗方便経』では、小乗の聖典が釈尊の足の怪我は前世の殺人が業因であると説いたことは、40人を教化するための方便であり、その怪我も釈尊がわざとやった芝居であって、過去世の業報ではなかったとする。

前世での菩薩の殺人事件を全否定するより、英雄譚に変えることが得策であり、その際に菩薩による殺人が可能な条件を細かく明らかにすべきであると判断したのではないか。

『大乗方便経』がAパートで、前世の業因となった殺人事件を取り上げ、その殺人行為を正当化したことが思想史的に重要な意味をもったことは否定できない。
「菩薩が積極的に殺人を犯すことも特定の条件の下ではありうる」という大乗特有の律を示す重要な例として、その後の大乗における戒律の考察に影響を与えた。

特に『瑜伽師地論』(4世紀)「本地分」の「菩薩地戒品」にある三聚浄戒の違反の規定には、『大乗方便経』の菩薩の殺人の記事を参照していると思われる記事である。
菩薩の殺人は菩薩戒に違犯するところにならず、それどころか多くの功徳を生じるという。

『大乗方便経』によって、殺生が罪にならないとされるようになったわけです。

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慈悲と善巧方便にもとづく殺生(1)

2021年09月26日 | 仏教

大悲導師(釈尊の前世)が500人の商人を殺して財物を奪おうとした盗賊を殺したという話が『大宝積経』「大乗方便会」にあることは以前紹介しました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/28fafa4db3f587af4c90ee1e32a0fc3b

この話はどういう流れで説かれたのかが、岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」に説明されています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf
『大宝積経』「大乗方便会」と『大方広善巧方便経』は異訳経典で、紀元前後の成立だそうです。
岡野潔さんはチベット訳『大乗方便経』をテキストとしています。

釈尊がカディラ樹で足を怪我する。
それは前世において救済のための方便として盗賊を殺した、その業報だった。
しかし、過去世の業報だと説いたのは、衆生を導くための方便だった。
仏や菩薩は衆生教化のための方便として殺生することが認められる、そして仏や菩薩は悪業の業報を受けることはないことを示した。

大悲導師の話は一殺多生を説いていると思っていましたが、一殺多生とは「慈悲の心と善巧方便にもとづく殺生」の一種なのです。
以下、岡野潔さんの論文の要旨です。

超越的な仏陀観を掲げる大衆部系諸部派との論争にそなえるため、上座部系の部派は釈尊が世間を超越した存在ではないことを示すために、釈尊の生涯における災厄をリスト・アップし、それぞれ過去世の因縁話を付けて説明した。

『大乗方便経』は、上座部系の仏陀の業報リストの伝承を、すべて善巧方便であって、過去世の業の余殃ではない、仏陀や大菩薩が宿世の悪しき業報を持つことはないと主張して、釈尊の今生の事件と悪業の前生譚の結びつきを切り離した。

小乗上座部系の有する〈仏陀の業報リスト〉の一つ、正量部が伝承する十六項目から成るリストからいくつかをご紹介。

(1)正等覚カーシャパに関し、「禿頭(カーシャパ仏)に悟りがどうしてありえようか、悟りは得難い」と語ったゆえに、その業の異熟として菩薩(釈尊)は[六年間の]苦行をした。

(2)師の命令を破って、なすべき行為をなしたゆえに、五比丘が師(苦行中の釈尊)を見捨てた。

(5)大薬[という大臣]として、敵対する王を分裂させたゆえに、デーヴァダッタが僧伽を分裂させた。

(11)遊女を殺してから、[奪った]彼女の装飾品を勝者(辟支仏)の住処にあずけたゆえに、世尊はスンダリーに誹謗された。
釈尊は前世で強盗殺人を犯したという伝承があるとは驚きました。

上座部系諸部派はこのリストを仏説として正典化し、大衆部系の仏陀観を批判する論争上の聖典的根拠として用いた。
大衆部系諸部派は〈仏陀の業報リスト〉の正典としての権威を無力化するために、その伝承を換骨奪胎して書き換えた。
『大乗方便経』は、諸部派が伝える仏伝記事を、仏による方便という立場から解釈し直すことを目的として作られた。

『大乗方便経』の最後に、上座部系の〈仏陀の業報リスト〉をベースにした如来の『十の業繋』が示され、釈尊の前世の悪業の残滓による業報と見えるものは、凡夫に業報の不可避であることを知らせるため、釈尊すら例外ではないと誤解させ、衆生を業の力に戦慄せしめるための善巧方便、つまり衆生を教化するための芝居だとする。

釈尊の今世の報いとしての出来事一つ一つに、悪しき行為の前生譚が貼り付けられた。
『十の業繋』、つまり釈尊に起こった十の悪い出来事の最初が、「仏はある時、地面から突き出たカディラ樹の破片を右足に突き刺した」ということです。

この話は2つのパートに分かれている。
Aパート 船上の殺人の前生譚(カディラ樹の破片の怪我に対する前世の業報譚)
Bパート カディラ樹の破片が足に突き刺さった今世の出来事
Aパートの前生譚が大悲導師の物語です。

如来は智勝菩薩に説かれた。
昔、五百人の商人が航海した。
その隊商の中に、商人に変装して他人の財を強奪する男がいた。
その男は「商人たちが財を得たら、商人たちを殺して金品を奪おう」と考えた。
商人たちは財を得て、国に戻るため渡海した。
その時、同じ船に乗っていた大悲という名の隊商主に海に棲む神が夢の中で教示した。
「この隊商の中に、こういう男がいて、『商人たちを皆殺しにして、あらゆる金品を奪い取ろう』と考えている。この男が商人たちを殺すなら、最大の罪の行為をなすことになる。なぜか。五百商人は悟りに向い、退転しない者だからである。もしこの男が菩薩たちを殺したら、彼は各菩薩が無上正等覚に達するまでの期間、もろもろの大地獄で焼かれるであろう。そこで隊商主よ、この男によって五百商人が殺されることがなく、またこの男も大地獄に堕ちないですむ善巧方便を考えなさい」
このように教示されると、大悲という隊商主は「この男によって五百商人も殺されず、この者も大地獄に堕ちない方便はどのようなものがあろうか」と、七日間熟考した。
そして、「商人も殺されず、この男も大地獄に堕ちない方便は、この男を殺す以外ない。もし私がこの事実を商人たちに知らせれば、商人たちはこの男を殺し、大地獄に堕ちるであろう。私がこの男を殺せば、十万劫の間大地獄で焼かれるであろうが、私は大地獄の苦しみを堪え忍べる。五百商人が命を失うのはよろしくないし、この男に大きな罪の業が増えることもよろしくないので、私がこの男を殺すべきである」と考えて、大悲は大悲心と善巧方便でその男を矛で突き刺し殺した。
私(釈尊)こそが大悲だった。
五百商人たちは無上正等覚を悟る五百菩薩たちである。私は善巧方便と大悲心により、十万劫の間、輪廻を滅ぼし捨て去った。その賊も死後生まれ変わり、天界に生まれた。

『大乗方便経』はこの前生譚を次の文で締め括っている。
「その善巧方便と大悲心によって、十万劫の輪廻を滅ぼし、捨て去ったところのその事を、もし菩薩の業の障礙であると見なしたり考えたりすべきではない。善巧方便であると見なすべきである」

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