少しずついろんなことが片付いていきます。
今日はひょっこり思いついて、オットと義弟のおふくろの味・いりこ飯を作りました。
オット実家では、
野歩きなどアウトドアの友として昔から『飯盒(はんごう)』を持参することが多かったらしい。
そういえば、4・5年前の冬休みにも正月で帰省した義弟と父が極寒の重信川の河原に出かけ
真っ白な石鎚山を眺めながらいりこ飯を飯盒で炊いて食べたと言ってたなぁ。
いわゆるいりこ(煮干し)と松山あげが入っただけの醤油めし。
いりこの腹と頭を除きながら、オットと2人でそんなこんなの思い出話を楽しむ休日の朝です。
たっぷりと炊いてオット実家にもお届け。
しばらくは、少しでも義父母が食べる口実を作ろうかな・・なんて思います。
今日はひょっこり思いついて、オットと義弟のおふくろの味・いりこ飯を作りました。
オット実家では、
野歩きなどアウトドアの友として昔から『飯盒(はんごう)』を持参することが多かったらしい。
そういえば、4・5年前の冬休みにも正月で帰省した義弟と父が極寒の重信川の河原に出かけ
真っ白な石鎚山を眺めながらいりこ飯を飯盒で炊いて食べたと言ってたなぁ。
いわゆるいりこ(煮干し)と松山あげが入っただけの醤油めし。
いりこの腹と頭を除きながら、オットと2人でそんなこんなの思い出話を楽しむ休日の朝です。
たっぷりと炊いてオット実家にもお届け。
しばらくは、少しでも義父母が食べる口実を作ろうかな・・なんて思います。
まさにおだしのきいた醤油ごはん・・・そのまんまです!
底にちょっと出来るおこげが美味しいの、想像つくでしょう。
男の子ばかりだったオット家。
私も結婚当初には飯盒飯を一緒に食べ、
山でオットや義父が切って削り出した竹の串にウインナーを刺して
あぶって食べてましたねぇ。
近年はそういうこともなかったので、とても懐かしいです。
温かい書き込みありがとうございます。
年をとってからの骨折はのちのちに影響するらしいですね。
普段は遠く離れた場所にいるハナさんの帰省は
お母さまにとって何よりの薬でしょう。
秋刀魚ごはん、
お母さまに喜んでもらえて・・ハナさんに作っていただけて嬉しいです。
義弟も秋のある日、
貧血で倒れた後だと言うのに、届けた秋刀魚ごはんをおかわりしてくれました。
料理は作りながら食べる人を思いますもんね。
秋刀魚のお味もさることながら
ハナさんの思いがお母さまの食欲を呼び起こしてくれたのだと思います。
遠く離れてご心配でしょうが、
これからもお母さまを大切になさってくださいね。
私達夫婦は日常に戻ればすることがあるので紛れますが、
義父母はすっかり参っているので心配です。
愛媛らしいでしょ。
昔は駅弁で愛媛のものと言えば『醤油めし』だったそうです。
他に何もないんかいな?!って感じですが、
その素朴さが愛媛らしいなぁって思います。
義弟もきっと天から指をくわえてみてるはず。
うらやましがらせる為にも義父母にはちゃんと食べて欲しいのです。
飯盒を持ち歩いてのアウトドア生活を昔から実践されていたとは夫家族もなかなかやりますね。
真冬に真っ白になった石鎚(きれいですね。)を見上げながらいりこ飯を炊いた事もいい思い出でしょう。我が家も子供が小さかった頃、小田深山の国民宿舎?で飯盒を借りて昼食のご飯を炊いた事が有ります。こちらは白いご飯で、一緒に作ったカレーをかけて頂きました。きっと子供達も覚えてくれていると思います。
私はアメリカに住んで20年、故郷を離れて30年になります。骨折で思うように動けなくなった母を年に数回訪ねていますが、日本の食材や調理法にすっかり疎くなった私の救世主が小太郎さん。去年の秋には 食欲を無くした母が 秋刀魚ごはんをたっぷり食べてくれて涙が出るほど嬉しかったんです。小太郎さんの料理は、食べものは家族と故郷への愛だということを教えてくれます。いつも本当にありがとうございます。
料理に愛情が込められるように、食べるという行為はその愛情を受けとることだと思います。義弟さんも小太郎さんの思いをちゃんと受け止めてくれていたのではないでしょうか。心よりご冥福をお祈りします。