真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ラッセル法廷とサルトル

2023年02月17日 | 国際・政治

 下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から抜萃したジャンポール・サルトルの文章です。サルトルは、実存主義の哲学で知られる世界的な哲学者であり、ノーベル文学賞を拒否した作家としても知られていますが、はじめて戦争犯罪を裁いた最初のニュールンベルクの国際法廷が「常設」とならず、”ドイツ人被告の最後の一人に有罪判決が下されるやいなや、法廷は雲散霧消”してしまったことを問題視しています。
 サルトルは、ベトナム戦争に限らず、”広大な植民地を占拠することによって富をきずきあげていた諸国”の、”アフリカやアジアにおけるそのやりくち”も、「これこれしかじかの行為にはニュールンベルク判決の効力がおよんでいる。だから、ニュールンベルク判決にしたがえば、それは戦争犯罪である。その法律が適用されたとすれば、これこれしかじかの法的制裁が課せられるべきであろう」というかたちで、欧米の植民地支配にも、法的に裁かれる犯罪があったと主張しています。
 サルトルの考え方にもとづけば、欧米諸国は、自分の都合でニュールンベルク国際法廷を開き、目的達成後は、意図的とも思えるようなかたちで雲散霧消させた、ということだと思います。
 だから、しかたなくドイツの戦争犯罪を裁いたニュールンベルク法廷にならい、何の権限もあたえられていない「ラッセル法廷」で、ベトナム戦争の戦争犯罪を裁き、世界中の人びとに訴えるということだと思います。
 そうした「ラッセル法廷」や、湾岸戦争に関わる「クラーク法廷」の裁きに耳を傾ければ、日本を含む、西側諸国の政治的偏向やメディアの報道の偏向を否定することはできないように思います。
  
 朝日新聞の「時事小言」の欄に、「米中経済安保 平和の危機」と題し、藤原帰一千葉大特任教授の文章が出ていました。そのなかに、”米国も中国も今戦争を準備しているとはいえない”などとありました。
 経済のリベラリズムが、現在、経済の安全保障化に向かっており、”平和の危機”だと言いながら、なぜ、読者の目を眩ませ、意識を逸らすような、”米国も中国も今戦争を準備しているとはいえない”などという一文を挿入したのか、私はとても疑問に思いました。
 なぜなら、先日、バーンズCIA長官が、ワシントンの講演で、”2027年までに中国が台湾侵攻を成功させる準備している”と語り、フィリップ・デービットソン元米インド太平洋軍司令官も、自民党本部の講演で”2027年までの中国軍の台湾侵攻の可能性に言及”したといわれています。そして、そうした見通しと連動するかのように、バイデン大統領が、台湾に8回目の武器の売却を発表したことも報じられていたのです。
 また、アメリカは、先日フィリピン国内で米軍が使用できる軍事拠点を4か所拡大しました。
 さらに、米下院が中国に関する特別委員会を設置し、米シンクタンク・戦略国際問題研究所は、台湾有事に関する24通りの戦闘シナリオを分析したことも報じられています。
 気球の問題でも、アメリカは中国と話しあうことなく、偵察目的だと主張して撃墜しました。
 どうして、”米国も中国も今戦争を準備しているとはいえない”などと言えるでしょうか。

 国際社会におけるアメリカの覇権や利益の行く末を考えれば、何か画期的な取り組みや国際世論の決定的な動きがない限り、台湾有事は避けられないように思います。だから、日本がアメリカに追随していることは、きわめて危ういと思います。
 こんな時だからこそ、メディアは、日本の立場を考え、日本がアメリカと距離を置く方向へ向かうような「報道」に徹してほしいと思います。アメリカに追随し中国を敵視することは、戦争への道だと思います。
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                開廷にあたって  ジャンポール・サルトル

 この法廷は、バートランド・ラッセル卿の提唱にもとづいて構成され、ベトナム紛争にかんして、アメリカ政府および南朝鮮、ニュージーランド、オーストラリア各政府を相手とする戦争犯罪の告発が、事実と証明されるか否かを決定しようとするものです。開廷にあたり、この法廷の起源、機能、目的および限界をぜひとも明らかにし、その、いわゆる「正当性」の問題について、単刀直入に立場を表明したいと思います。

 1945年、まったく新しい出来事が歴史に記録されました。交戦中の一国によっておかされた犯罪を裁くための最初の国際法廷がニュールンベルクに出現したのです。そのときまではたしかに、たとえばケロッグ=ブリアン条約のように、Jus ad bellum(交戦権)の制限をめざした国際協定もいくつもありましたが、そうした協定を実効あらしめるいかなる機関も創設されなかったので、あいかわらず弱肉強食の掟が列強間の関係を規制していました。それ以外ではありえなかったのです。広大な植民地を占拠することによって富をきずきあげていた諸国は、アフリカやアジアにおけるそのやりくちが、一定の基準をもって裁かれることなどがまんがならなかったからです。1939年以降、ヒトラーの狂気が人びとをあまりに重大な危険に直面させたので、戦慄した連合諸国は、勝利者となったあかつきには侵略戦争や捕虜虐待、拷問、人種差別行為(いわゆる人種的大量殺人)を裁判に付し、罪を宣告しようと決定しましたが、ほかならぬことによって、彼らみずから植民地での行為ゆえに、われとわが身に罪を宣告しているのだとは気づかなかったのです。
 ニュールンベルク法廷は、ナチの犯罪に制裁を加え、より普遍的なかたちで、戦時違法行為をどこで、だれが犯したものであっても告発し、刑を宣告しうるような、真の裁判権に道をひらいたことによって──この二つの理由から、いまなお重要な変化をしめすもの、つまり Jus ad bellum(戦争をなす権利に関する法)をJus contra bellum (戦争に反対する法)に置きかえたものとされています。
 歴史の要請によって新しい機関が設置されるときによくあるように、不幸にしてこの法廷も、重大な欠陥をもたなかったわけではありません。それは、戦敗国にたいする戦勝国の強制条約にすぎなかったとか、また、おなじことですが、ほんとうの国際法廷ではないとかいって非難されました。一グループの国々が別のグループを裁いている、というわけです。中立国市民のなかから判事を選んだほうがよかったでしょうか? わかりません。たしかなことは、倫理的見地からすれば判決はまったく妥当なものであったにもかかわらず、それがあらゆるドイツ人を納得させたとはおよそ言いがたいことです。裁判官の正当性、その判決の正当性について、今日なお異議が出ているという意味においてです。そして、もし両軍の運命が逆転していたとしたら、枢軸側法廷がドレスデンや広島の爆撃を理由に、連合国側に有罪判決を下したはずだ、と公言する者もありえたのです。
 この正当性の根拠を示すことは、しかし困難ではなかったはずです。ナチ裁判のために設置された機構が、その本来の役目を終えたのちも存続していたとしたら、つまり国際連合が、この裁判からできるかぎりの結論をひきだして、総会の票決をもってその機構の強化をはかり、常設の法廷としていたら、そしてたとえ裁かれるべき側がかつてニュールンベルク裁判に裁判官を参画させたある国の政府であっても、あらゆる戦争犯罪を告発し、それを裁判する機能がこの法廷にあたえられていたら、それでじゅうぶんだったはずです。そうすれば、この裁判がそもそも志向していた普遍性は鮮明にひきだされていたでしょう。ところで、現実はどうであったか。周知のようにドイツ人被告の最後の一人に有罪判決が下されるやいなや、法廷は雲散霧消してしまい、だれひとり二度とそのうわさを聞かなかったのです。
 いったいそれほどわれわれの手は汚れていないのでしょうか? 1945年このかた、戦争犯罪はもうどこにも存在しなかったのでしょうか? 二度とふたたび、暴力や侵略に訴えることはなかったのでしょうか? 「人種的大量殺人(ジェノサイド)」はけっしておこなわれなかったのでしょうか? どんな大国も、ある小国の主権を暴力で踏みにじろうとしたことはなかったのでしょうか? オラドゥールやアウシュビッツを世界中の人びとに告発する必要はなかったのでしょうか?
 ことは明らかです。この20年間、歴史の大きな出来事といえば、第三世界の解放のたたかいです。植民地支配は解体し、それと交替に、主権をもつ国々が出現し、あるいは、植民地支配によって圧しつぶされていた古くからの伝統的独立をよみがえらせました。すべては、苦痛と汗と血のなかでおこなわれたことです。ニュールンベルク法廷のような法廷が恒常的に必要不可欠となったゆえんです。ナチ裁判の以前には、戦争は法をもたなかった。そのことには触れました。二つの側面をかねているニュールンベルク法廷は、うたがいもなく、強者の権利から生まれたものですが、同時に、ある先例、ひとつの伝統の萌芽を生みだし、未来のサイクルをひらいています。だれもあともどりはできません。法廷が存在したという事実はどうすることもできないし、貧しい小国が侵略の対象とされているとき、あの裁判の過程を追想し、こう考える人間がいても、それをとどめることはできないでしょう。──それにしてもまさにこれではないのか、あの法廷が断罪したことは。したがって、連合国が1945年に不完全で未成熟の法規を採用し、ついでそれをみはなしたということが、国際政治に事実上の間隙をうみだしたのでした。ひとつの機構が、決定的に欠けています。それは、かつて出現して、みずから恒常的・普遍的な機構であると主張して、不可逆的に権利義務を規定した。ところがそれから、ある空隙をのこしたまますがたを消した。この空隙はうめられなければならないのに、だれも埋めてはいないのです。
 事実上、司法権には二つの源があります。第一は、制度法律をもった国家です。ところで、大多数の政府が、この暴力の時代に、そのような裁判のイニシアティヴをとれば、いつかはそれがこちらに向けられて、自分たちが被告席にひきだされるのではないか、と恐れをいだくことでしょう。それに、多くの政府にとって、アメリカ合衆国は強力な同盟国です。明らかにベトナム紛争にかんして調査をおこなうことがその最初の活動となるような法廷の復活を、どの国の政府が、あえてもとめるでしょうか。もう一つの源、それは人民です。革命の時代、人民は制度法律を変えるのです。しかし、闘いがどんなにねばりづよいものであっても、さまざまな国境に隔てあれた大衆は、なにを手段として団結し、真の人民の法廷となるようなひとつの機関を、もろもろの政府に押しつけることができるでしょうか。
 
 ラッセル法廷は、矛盾した二重の事実の確認から生まれました。つまり戦争犯罪を調査し、必要な裁判をおこなう機関の存在が、ニュールンベルク判決により不可欠となったこと。ところが政府も人民も、今日、これを設置できないでいる、ということです。われわれはだれからも、委任されていない、とはっきり意識しているのですが、われわれが開廷のイニシアティヴをとったのは、われわれに委任をおこないうるものがいないということも知っていたからです。この法廷は、たしかに、なんら制度的な機関ではない。まして、正式の裁判所に代わりうるものではなく、空隙と訴えから生まれているのです。
 われわれは、政府から選ばれて裁判権を付与されたのではありません。さきほど考えたとおり、ニュールンベルク法廷が裁判を委任されたという事実は、それだけでは裁判官に異論の余地ない正当性をあたえるものではなかった。それどころか、なまじその判決が執行力をもっていたがゆえに、敗者たちは、その有効性に異議申立てをなしえたのでした。つまり力に頼っていたために、その判決は、強者の権利の表現にすぎないように思われたのでした。ラッセル法廷は、これに反して、完全に無力で普遍的であるところに、正当性の根拠をもっていると考えます。
 われわれは無力です。これこそがわれわれの独立の保障なのです。われわれ自身とおなじように個々人の集まりである支援委員会の協力を別とすれば、われわれにはなんの援助もありません。政府代表でも党派の代表でもないわれわれは、命令を受けとることができません。ただ「良心にもとづいて」、事実を検証するでしょう。精神のまったき自由において、と言ってもよろしいが、討論はどう進んでいくのか、告発を認めるのか認めないのか、あるいは、告発は、おそらく根拠のあるものであろうが、じゅうぶん証明されていないと考えて、告発に応じないのか、いまのところわれわれのうちのだれひとりとして、述べることはできません。
 いずれにしても、たしかなのは、提出された証拠によってたとえ有罪の確信をえたとしても、われわれは無力ですから、判決を下すことはできないことです。有罪判決を下したところで、じつのところ、なんの意味がありましょうか。どんなに軽い刑でも、それを執行する手段をもたない以上は。ですから、必要な場合にはこういう宣伝をするだけにしておきましょう。「これこれしかじかの行為にはニュールンベルク判決の効力がおよんでいる。だから、ニュールンベルク判決にしたがえば、それは戦争犯罪である。その法律が適用されたとすれば、これこれしかじかの法的制裁が課せられるべきであろう」。この場合、できれば、その責任者を指名するでしょう。したがって、調査の段階でも、結論においても、ラッセル法廷は、国際的機関の必要をすべての人びとに感じさせることだけに心をくばるでしょう。が、この機関の本質はニュールンベルクの死児 Jus contra bellum(戦争に反対する法)をよみがえらせて、弱肉強食の掟を法的・倫理的規制におきかえることになるでしょう。ラッセル法廷には、その代わりをつとめる野心も手段もありません。
 一介の市民であるというまさにそのことによって、われわれは広く各国から構成メンバーを選出しあい、ニュールンベルクの特徴であった普遍的構造よりもいっそう普遍的な構造をこの法廷にあたえることができました。それは、より多くの国々の代表がここに集まっているという意味だけではありません。この見地からすれば、みたされるべき点はまだまだあるでしょう。
 わたしが言いたいのは、なによりもまず、1945年当時ドイツ人は被告席にしか姿をみせなかった、あるいは、せいぜい、被告に不利な証人として証言台にたつだけだったのに、いま、幾人かの法廷メンバーはアメリカ合衆国の市民である。いいかえればこのひとたちは、そこの政治そのものが告発されている当事国からきているので、したがってその国の政治を理解する固有の方法をもっています。また、彼らがそれをどう思っていようと、祖国や制度や伝統と内的な関係を保っています。このことは、法廷の結論にかならずや跡をとどめるでしょう。
 われわれがどんなに公平で普遍的でありたいと意図しようと、しかしその意図だけではこの運動を正当と承認させることはできません。このことはよく自覚しています。実際にわれわれがのぞむのは、運動が後からふりかえって、いわばア・ポステリオリに、正当と認められることなのです。事実上、この活動は、われわれ自身のためでもなければ、たんにわれわれの教化のためでもないし、それに、われわれは、最終的結論を青天の霹靂のように押しつけようとも思いません。実際、世界のあらゆる地域で、ベトナムの悲劇を身をもって生きている大衆とのあいだに恒常的な接触を、新聞や雑誌の協力をえて、保っていたいとのぞんでいます。われわれが情報を交換しあうように、大衆が情報を交換しあい、われわれとともに報告や資料や証言をみつけだし、それらを判定して、われわれとともに日々世論をつくりあげていくようねがうものです。
 この法廷で、と同時にあらゆる人びとのところで、おそらくはわれわれに先だって、結論がひとりでにうまれてきてほしいと思います──たとえその内容がどのようなものになったとしても。この裁判の過程は、共同のひとつの運動となります。ある哲学者のことばによれば、「真理は生成される」。この運動の終期がまさにそうなるようにすべきです。
 そうです。大衆がわれわれの判決を裁可すれば、そのとき、それは真理となるでしょう。そうすれば大衆は、この真理の、番人にして強力な支持者となり、われわれのほうは、その大衆の面前から消え去るのです。そして、まさにこのとき、われわれの正当性が認知されたことがわかるでしょう。また、人民が、われわれとの意見の一致を表明しつつ、もっとふかい要求──真の「戦争犯罪法廷」は常設機構として開設されるべきであり、言いかえれば、戦争犯罪がたえず、至るところで告発され、罰せられうるのでなければならぬ、という要求を明らかにしているのがわかるでしょう。
 以上のことから、われわれは、ある批評欄の記事に答えることができます。
 パリの一新聞が、悪意はないでしょうが、こんなことを書いていたのです。「何という奇妙な法廷か、法廷メンバーがいて、判事がいない!」そのとおりです。われわれは法廷メンバーでしかない。だれかに有罪を宣告する権限も無罪を宣告する権限ももっていません。だから、検事はいないのです。厳密にいえば、起訴状さえ存在しないでしょう。法律委員長マタラッソー氏が、これから起訴状のかわりに告発理由を読みあげます。
 開廷にあたって法廷メンバーは、これらの理由について意見を表明することができます。──それが根拠をもっているかどうかはべつとして。しかし、法廷メンバーはいたるところにいます。それは人民、とりわけアメリカアメリカ人民です。このひとたちためにこそ、われわれの活動はあるのです。


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