真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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戦後日本の占領軍慰安所とR・A・A

2012年07月20日 | 国際・政治
 「敗戦秘史 占領軍慰安所 国家による売春施設」いのうえせつこ(新評論)によると、敗戦直後、軍部があおり立てていた「鬼畜米英」敵占領軍が上陸してくる、という不安と恐怖で、東京・神奈川方面では疎開騒ぎが発生し、混乱したという。横浜市では戦時中より敗戦後の疎開者の数の方が多かったと言われているそうである。
 そんな中、8月18日、各府県長官宛てに「外国軍駐屯地における慰安施設について」という内務省警保局の通牒が発せられ、警察署長が性的慰安施設、飲食施設、娯楽場等の設置を働きかけるよう要請されている(下記、資料1)。どこに占領軍が駐屯するかは予想できなので、いまから内々にその手筈をしておくように、また、慰安所の設立は、日本女性を護る目的であることを理解させるように、というのである。

 また、同じ8月18日か19日のいずれかに「警察庁の高乗保安課長は、東京都の料理飲食業組合長・宮沢浜次郎と総務部長の渡辺政治氏を呼びつけ、占領軍に女を用意する仕事を申しつけた」という。さらに8月21日には、全国芸妓屋同盟会東京支部連合会、東京待合業組合連合会、東京都貸座敷組合(吉原、州崎などの公娼系)、東京都接待業組合(向島、小岩などの産業戦士慰安所)、東京都慰安所連合会、東京連技場組合連盟(麻雀)、東京都料飲食業組合の7団体を集め、高乗保安課長が「資金面では十分援助するから、皆さんの立場でやってほしいと話した」と明らかにしている。そして、8月23日には、上記7団体と警視庁から高乗保安課長他3名が参加し、後に「R・A・A」(Recreation Amusement Association)と改称される「特殊慰安施設協会」が結成されたのである。占領軍上陸以前に、戦地における軍慰安所設置の経験を生かし、政府と関係者によって、着々と占領軍のための慰安施設設置が進められていたということであろう。まさに「国家による売春施設」の設置である。

 「特殊慰安施設協会」の理事長は、宮沢浜次郎。副理事長には、料亭嵯峨の主人、野本源治郎と、成川敏(貸座敷連合会)、高松八百吉(芸者屋組合)の3氏。常任理事は15人であったという。資料2はその「設立趣意書」である。
 同書によると「R・A・A協会沿革誌」には

 「海に陸に赫々たる武勲をたてた進駐軍将兵にとって、なにより慰安すべき面はセックスの満足であった。そこでともあれ京浜地区で、”小町園”を皮切りに慰安所を設け、楽々、花月、仙楽、見晴、波満川、いく穂、やなぎ、乙女、清楽、日の家等
を逐次開業する運びとなった。
 さてフタをあけてみると気の荒い面々、砂漠にオアシスをみつけたごとく欣々然と行列を作り彼女等に肉薄していったのは、けだし天下の壮観であった。
…」

等と書かれているという。

 同書に掲載されているRAAの施設一覧表(鏑木清一著『秘録進駐軍慰安作戦』より)を見ると、キャバレーやダンスホール、ビヤホール、レストランとともに、「慰安所」と記されたものがあり、慰安婦の数も示されている。それを抜き出すと、

 成増慰安所(50名)、小町園(40名)、見晴し(44名)、やなぎ(20名)、波満川(54名)、悟空林(慰安婦45名・ダンサー6名)、乙女(22名)、楽々(20名)、調布園(54名)、福生(57名)、ニュー・キャッスル(慰安婦100名・ダンサー150名)、楽々ハウス(慰安婦65名・ダンサー25名)、立川パラダイス(慰安婦14名・ダンサー50名)、小町(慰安婦10名・ダンサー10名)、上官クラブ(将校用慰安所 慰安婦随時派遣)、キャバレー「東光園」(ダンサー30名・慰安婦10名)である。

 また、RAAは東京が中心であるが、横浜市や横須賀市における営業状況一覧表にも、その組合名と接客婦数が出ている。それを抜き出すと、

横浜市内
 真金町貸座敷42(86)、神奈川貸座敷2(11)、大丸谷チャプ屋10(35)、曙町私娼町42(114)、新天地私娼町19(30)、楽天地私娼町5(14)、本牧チャプ屋12(15)、日本橋芸妓組合14(20)入船私娼町28(30)
 営業者数計174、接客婦数355。


横須賀市内
 安浦保健組合88(190)、皆ヶ作保健組合45(97)、芸妓組合31(71)
 営業者数計164、接客婦数358、
である。

 「このほか、藤沢、平塚、高津、小田原、秦野、厚木方面にあっては、従来の施設を利用させて営業させたほか、一定地域を指定して新規営業も許可した」とあるので、大変な数であることが分かる。

 その「特殊慰安施設協会」改めRAAは、GHQの「廃娼」の指示(昭和21年1月7日)により、間もなく占領軍用慰安所をすべて閉鎖し、解散された。RAA等に組織された55,000人の売春婦(最盛時には7万人という)は、街娼や赤線に散り、また基地周辺のパンパンと呼ばれる女性に姿を変えたという。

 資料3は、内務省警保局から全都府県知事に「廃娼実行に必要な準備手続きを5日以内に終えるように」という指示が出されたのを受けて、1月21日、GHQが発した「日本に於ける公娼廃止に関する件」の覚書である。
 
資料1-------------------------------
     外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒

外国軍駐屯地における慰安施設に於ては別記要領に依り之が慰安施設等設備の要あるも本件取扱に付ては極めて慎重を要するに付特に左記事項留意の上遺憾なきを期せられ度。
                    記
1 外国軍の駐屯地区及時季は目下全く予想し得ざるところなれば必ず貴県に駐
  屯するが如き感を懐き一般に動揺を来さしむ如きことなかるべきこと。
2 駐屯せる場合は急速に開設を要するものなるに付内部的には予め手筈を定め
  置くこととし外部には絶対に之を漏洩せざること
3 本件実施に当りて日本人の保護を趣旨とするものなることを理解せしめ地方民
  をして誤解を生ぜしめざること。
(別記)
             外国駐屯軍慰安施設等整備要領
1 外国駐屯軍に対する営業行為は一定の区域を限定して従来の取締標準にか
  かわらず之を許可するものとす。
2 前項の区域は警察署長に於て之を設定するものとし日本人の施設利用は之を
  禁ずるものとす。
3 警察署長は左の営業に付ては積極的に指導を行い設備の急速充実を図るも
  のとする。
     性的慰安施設
     飲食施設
     娯楽場
4 営業に必要なる婦女は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優
  先的に之を充足するものとす
                                    (1945年8月18日)

資料2------------------------------
            特殊慰安施設協会設立趣意書

 畏しくも聖断を拝し、茲に連合軍の進駐を見るに至りました。一億の純血を護り以て国体護持の大精神に則り、先に当局の命令をうけ東京料理飲食業組合、東京待合業組合連合会、東京都接待業組合連合会、全国芸妓屋同盟会東京支部連合会、東京都貸座敷組合、東京慰安所連合会、東京連技場組合連盟の所属組員を以て特殊慰安施設協会を構成致し、関東地区駐屯部隊将士の慰安施設を完備するため計画を進めて参りました。本協会を通じて彼我両国民の意思の疎通を図り、併せて国民外交の円滑なる発展に寄与致しますと共に平和世界建設の一
助ともなれば本協会の本懐とするところであります。
 本協会は、右の趣旨に基き、直に運営を開始致します所存で御座居ます故、何卒御賛同の上大いに御出資を賜り、如上の使命達成に万全のご支援を御願い致します。
                                   (特殊慰安施設協会)

資料3------------------------------
GHQ覚書
           日本に於ける公娼廃止に関する件
                        連合国最高司令官総本部(昭21・1・21)
1 日本に於ける公娼の存続はデモクラシーの理想に反し、かつ全国民間に於け
  る個人の自由発達に相反するものなり。
2 日本政府は直ちに国内に於ける公娼の存続を直接乃至間接に認め、若くは許
  容せる一切の法律・法令及び其の他の法規を廃止し、かつ無効ならしめ、かつ
  該当法令の主旨の下に如何なる婦人も直接乃間接に売淫業務に契約し、若く
  は拘束せる一切の契約並びに合意を無効ならしむべし。
3 当覚書を遵守するために発令せらるる法規の最終準備完了と同時並びに其の
  公布前に諸法規の英訳2通を当司令部に提出すべし。

        日本に於ける公娼廃止に関する覚書実施に就て指示の件
1 前記覚書に関し、これが関係者すべてに対し左記の通り指示の通達を与える。
2 前記指令の根本趣旨は売淫に於いて婦人を奴隷扱いすることを近似(禁じ)、
  かつ防止する点にある。また同指令は単に売春婦と認められる婦女子のみに
  限らず、給仕女、芸妓、あるいはダンサー其の他本人の意志に反して売淫を強
  制されることのある婦女子に対し同様に適用される。
3 売淫は日本に置いては合法的な仕事乃至は商売とは認められない。また政府
  当局の許可を得てその活動を認められるということは許されない。但し本指令
  は生計の資を得る目的をもって個人が自発的に売淫行為に従事するということ
  を禁ずるものではない。
4 如何なる婦女子も本人の意志に反し、また其の自由に表明したる承諾を得な
  いで売淫を強制されることはない。承諾をいったん与えた場合も、何時如何な
  る理由によっても撤回することが出来、また承諾を撤回したという廉でそのため
  に如何なる種類の刑罰も科せられることはない。
5 すべての現存する契約並びにその結果生じた負債にして、婦女子に売淫を強
  制するものは一切無効である。この点に関して今後に於いて結ばれる契約負
  債の一切は無効となる。
6 金銭支払いの義務若くは勤めをなす義務はすべて解消し、かつ完全に果たされ
  たものと見做す。すべての債務は最初の負債であると、あるいは最初の負債
  後に衣料・食料・住宅の如き事物に対して生じた負債であるとの別なく、本条項
  により完全に支払われたものと見做す。右の根本の趣旨は負債の原因の如何
  を問わず、如何なる婦女子も売淫により負債を返却する義務がないということ
  である。
7 各部隊司令官は、本覚書の条項実施に際し、右の諸点を考慮の上指導に当た
  り、かつ左記の処置をとること
 イ 本覚書の内容を関係者一切に通達するため、適当なる措置を講ずる。
 ロ 右に従って地方警察官を指導すること。
 ハ 本指令に違反する者を起訴すること。


 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「……」は、文の一部省略を示します。    

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12 コメント

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>その「特殊慰安施設協会」改めRAAは、GHQ... (ルミちゃん)
2012-10-29 10:32:47
>その「特殊慰安施設協会」改めRAAは、GHQの「廃娼」の指示(昭和21年1月7日)により、間もなく占領軍用慰安所をすべて閉鎖し、解散された。RAA等に組織された55,000人の売春婦(最盛時には7万人という)は、街娼や赤線に散り、また基地周辺のパンパンと呼ばれる女性に姿を変えたという。
-----------------------------------
Wikipediaより
他に生活の術の無い戦争未亡人や子女が多かった時代背景もあり、東京都内だけで約1600人、全国で4000人の慰安婦が働いており、RAA全体では5万3000人の女性が働いていたとみられる[15]。慰安婦は一日あたり30人から50人の客を取っていた[43]。

紛らわしい書き方なので、良く読んでください.慰安婦は4000人であり、ダンサーその他を合わせるとRAA全体で5万3000です.
進駐軍の数は、一番多いときで43万人です.仮に5万3000人の慰安婦がいたとすると、
生理、病気等で実際に働ける人数は、53000÷30×25=44167人
一人が一日に20人の相手をしたとすれば、相手の人数は88万3333人になります.
現実的に考えて、アメリカ兵の全てが、毎日、慰安婦を求めてきたとは考えられません.

慰安婦が一日に10人~20人の相手をしたとして、相手の数は約5万人.
それに加え、ダンサー等が一日に一人の相手をしたと考えると、相手の数は約10万と推定され、4人に一人のアメリカ兵が女性を求めてきた、二人に一人のアメリカ兵が、1日置きに女性を求めてきた、この辺が妥当な数値だと思えます.

開設当初は慰安所の数が少なく、アメリカ兵も戦地からやって来たばかりであった.この頃は、数少ない慰安所に多くのアメリカ兵が押し寄せ、Wikipediaにあるように一人の慰安婦が一日に20人、30人の相手をしたようですが、一月もたてばこのような状況は解消されていたと思われます.
勿論、ダンサー等も売春していたはずだ、と、言ってしまえばそれまでですが.
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ルミちゃん 様 (syasya61)
2012-10-30 09:14:06
ルミちゃん 様

 慰安婦数に関する資料と考察をありがとうございました。70年近く経過した現在、その正確な数を確定するのは難しいと思われます。当時のあらゆる資料を精査して、推測するしかないと思います。
 また、占領軍慰安婦の問題で重要なのは、当時の人々、特に政府が「慰安婦」をどのように考え、どう対応したか、ということだと思っています。
返信する
『西鶴一代女』 (ルミちゃん)
2012-10-30 10:59:11
『西鶴一代女』
>また、占領軍慰安婦の問題で重要なのは、当時の人々、特に政府が「慰安婦」をどのように考え、どう対応したか、ということだと思っています。
おっしゃる通りだと思います.
溝口健二監督『西鶴一代女』(1952)は、その言葉そのままに描かれていると思います.
制作者の児井英生は、一生に一度くらいは金にならない映画を作ってみたいと言ったそうで、溝口健二は期待に応える映画を撮りました.
ヴェネチア国際映画祭での受賞作品ですが、興行成績はさんざんだったようです.時代劇なので、今の人が観てもまず分らないのですが、1952年当時なら、街角にパンパンがいて、人々は目を背ける、蔑んだ冷たい視線を浴びせる、自分たち自身が描かれているのは分ったと思います.国が何を行ったのかもきちんと描き込まれています.
返信する
ルミちゃん様 (syasya61)
2012-10-30 20:57:01
ルミちゃん様

  大事な視点を踏まえて、ヴェネチア国際映画祭での受賞作品、溝口健二監督『西鶴一代女』(1952)を紹介していただき、ありがとうございました。
 残念ながら、私はこの映画を観ておりませんが、チャンスがあれば観てみたいと思いました。
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終戦の僅か数日後に内務省警保局が立ち上げても、... (火星)
2013-06-15 22:03:49
終戦の僅か数日後に内務省警保局が立ち上げても、占領軍兵士による強姦は無くならなかった(所詮は戦勝国という意識からやりたい放題なのは、既に戦火が収まらないサイパンや沖縄であった)挙げ句の果てにVDが蔓延したからOFFLIMIT(別の理由で本国でも問題児されたが)になったので少なからぬ従業員が街娼に流れたから何をかいわんやだ(笑)


しかし、同じく非戦闘員に対する残虐行為をしても裁かれるのは常に負けた側のみなのは腹立たしい
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火星様 (syasya61)
2013-06-16 10:49:15
火星様

>しかし、同じく非戦闘員に対する残虐行為をしても裁かれるのは常に負けた側のみなのは腹立たしい

だから、戦闘(戦争)そのものをなくすことが大事だと思います。
返信する
RAA等に組織された55,000人の売春婦 (サトぽん)
2019-01-14 21:04:53
最近、私のブログで、『「特殊慰安施設協会(RAA)」を検証する(1)『水曜日の凱歌』の紹介文に『歴史の闇に葬られた「日本の慰安婦」たち』と題をつけた新潮社(http://satophone.wpblog.jp/?p=10196)』という記事を書き(題名長くてすいません)、関連したことをいろいろと調べていて、この記事に行き当たりました。

ちょっと確認なのですが、
>RAA等に組織された55,000人の売春婦(最盛時には7万人という)
の典拠というのは、藤目ゆきさんの「性の歴史学」でしょうか。同じ記述は、秦郁彦氏の「慰安婦と戦場の性」でも、データの一つとして出てきますが(出典明記なし)、私も「慰安婦」の数としてはやや誇大のように思います。米軍兵士十人に一人の「慰安婦」となるからです。とはいえ、藤目さんの本が出典ならば、まるっきりデタラメと言うことも考えにくいのですが、この記述が正しいとしても、この割合なら、「慰安婦」が、毎日、何十人もの相手をするということはありません。

かと言って、ルミちゃんさんが引用している、ウィキペディアの記述
>他に生活の術の無い戦争未亡人や子女が多かった時代背景もあり、東京都内だけで約1600人、全国で4000人の慰安婦が働いており、RAA全体では5万3000人の女性が働いていたとみられる[15]。慰安婦は一日あたり30人から50人の客を取っていた[43]。

が、そのまま信用できるものかと言うと、これも疑問符がつきます。いのうえせつこ氏の著書にあるように、ダンスホールは東京のど真ん中にあった施設ですが、これだと、ダンスホールで働く女性の数が異様に多くなってしまうからです。記述の典拠は、「岩永文夫氏の「フーゾク進化論」」だそうですが、岩永氏がどこから引っ張ってきたデータか、本当に岩永氏がこう書いているのかもはっきりしません。というか、そもそも、なんで岩永氏の著作を典拠にしなければならないのか、理解に苦しむところです。

書き忘れましたが、千田夏光は「従軍慰安婦」の仲で、RAA解散時の「慰安婦」数は五万と言う説を紹介していますが「慰安婦」はカッコつきで使われています。
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自己レスになりますが (サトぽん)
2019-01-14 23:25:15
>RAA等に組織された55,000人の売春婦(最盛時には7万人という)

いろいろ読み返してみました。これは「みんなは知らない国家売春命令(1961)雄山閣」の中に、全く同じ数字が「慰安婦」数として記述してあります。「協会資料による」とのこと。ということで、質問は自己解決です。

ウィキに書いてある「5万3000人」というのは、ナニが根拠なのか、全く分かりません。
返信する
私の方が、 (syasya61)
2019-01-15 10:45:35
サトぽん様

 コメントありがとうございます。
 ブログ”「特殊慰安施設協会(RAA)」を検証する(1)『水曜日の凱歌』の紹介文に『歴史の闇に葬られた「日本の慰安婦」たち』"をざっと読ませていただきました。様々な研究書その他の文章に当たり、詳しく調べられているので、私の方が教えていただく立場であると思いました。またの機会に、ゆっくり読ませていただきたいと思います。
 私は”RAA等に組織された売春婦の数を正確に判断することは難しいことだと思うのですが、鏑木清一著『秘録進駐軍慰安作戦』は、総数だけではなく、個別の施設ごとに数を示しており、大きな間違いはないだろうと考え、取り上げました。また、数の正確性も問題ですが、こうした立場の女性がいたという事実を知ることが、現在の日本では、とても大事なことではないかと考えました。
 残念ながら、現在の日本には、不都合な事実を隠蔽し、歴史を修正しようとする大きな流れがあるように思います。だから、私は正しい歴史認識のために、慰安婦の問題に限らず、隠蔽されてはならない諸問題の記述について、客観性を重んじる姿勢を貫いていると思われる著者のものを、これからも取り上げていきたいと思っています。
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数の正確性 (サトぽん)
2019-01-16 01:05:28
仰るとおりで、「数の正確性」よりも、『GHQ覚書 日本に於ける公娼廃止に関する件』の方がよほど大事ですね。

GHQは「敗者の贈り物」をはねつけ、日本の公娼制度を人身売買と認定して、娼妓契約の無効を宣言した。RAA問題の本質ってのは、ここなんですが、どうも理解してらっしゃらないようで。
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