山の日 2016-08-12 05:52:37 | Weblog 「山の日」の今日は、なんとも山の日らしい天候だった。 朝夕涼しく湿度も低く日中の気温は相変わらず高くなるものの寒暖の差が14〜15℃という天候は、日中の過ごし方さえ間違わなければなかなか快適に過ごせるものだ。
竹林 その2 2016-08-10 22:34:47 | Weblog 晴れの竹林。 竹林の外は今日も猛暑。 竹林の中は少し涼し気。 朝夕少し涼しくなってきたが、日中はまだまだ暑い。 今年は雨もなく、虫も少ない気がする。 土の中の微生物達も少々バテ気味のような気がする。
さとにきたらええやん 2016-08-09 23:42:57 | Weblog 大阪市西成区釜ヶ崎で38年にわたり、子どもたちの憩いの場として活動を続ける「こどもの里」に密着したドキュメンタリー。0歳から20歳くらいまでの子どもたちを、障がいの有無や国籍の区別なく無料で受け入れている「こどもの里」は、学校帰りに児童館として遊びに来る子どもや、さまざまな事情から親元を離れて一時的に宿泊する子ども、そして、その親たちも休息できる貴重な地域の集いの場として活動をしている。そんな日常に気持ちを動かされ初めてメガホンを取った重江良樹氏の作品。
ウスバキトンボ 2016-08-08 21:26:17 | Weblog この時期に田んぼや畑を群れをなして舞うトンボ達は、赤トンボ(所謂アキアカネ)ではなくウスバキトンボといわれるトンボ達で特にお盆の頃に多く見られることから「精霊トンボ」「盆トンボ」とも呼ばれる。 ウスバキトンボは、孵化から1ヶ月で成虫になり、南西諸島から北海道、サハリン付近まで、世代交代を繰り返しながら北上する。 何世代もかけて目的地を目指し北上するものの、水温が4℃以下でヤゴは生育できなくなり、休眠して越冬もできない、つまり渡り鳥のような渡りをするものの、将来や希望、後戻りすらできない、無意味(⁉︎)な行為にわれわれには知ることのできない意味が含まれているのだろう。
立秋 2016-08-07 20:39:58 | Weblog 植物や動物は勿論、昨日のプレイエルなどの機械も含め、更には自分自身とも常にお互い寄り添う気持ちを持つことが大切なようだ。 相手の気持ちになってみると不思議とみえてくることも多くなる。 例えば、自分とつきあう場合も、無理をしていい場合とあまり我慢しない方が良い場合がありそうに思う。 その状況を熟知して自分でさえも寄り添って生きる。そんな丁寧な生き方が大切なような気がする。
プレイエル 2016-08-06 22:58:19 | Weblog ショパンが愛したピアノで有名なフランスのプレイエル社のピアノ。 現代のピアノとの違いは様々あるようだが、160年前のピアノのその音色はなんとも優しく空間を包んでくれる。 今回、野村誠氏の演奏でショパンの「マズルカ」を聴く機会に恵まれたが、日頃クラッシックを演奏されない彼の演奏で、プレイエルのピアノ、ショパンの故郷ポーランドを想う「マズルカ」を聴くとなんとも哀愁が漂う。 上野さん、野村さん、ありがとう。
道元 その2 2016-08-06 03:04:11 | Weblog 切に生きるとは、ひたすらに生きるということ。 いまここの一瞬一瞬をひたむきに生きるということである。 小我を忘れ、何かに懸命に打ち込むこと。 その時、生は本然(ほんぜん)の輝きを放つ。 という。
道元 2016-08-04 23:23:51 | Weblog 道元の逸話 ある修行僧が、「どうして努力する人と、しない人がいるのか?」と尋ねると、道元はこう答えました。 「努力する人間には志がある。しない人間には志がない。その差だ」 次に修行僧は、「どうして志がある人と、ない人がいるのか?」と尋ねました。 「志のある人は、『人間は必ず死ぬ』ということを知っている。志のない人は、『人間は必ず死ぬ』ということを本当の意味で知らない。その差だ」
yahooの失敗 2016-08-03 21:50:21 | Weblog AGFAが世界を支配する・・・。 Aとは、アップル Gとは、グーグル Fとは、フェイスブック Aとは、アマゾン なるほど、そういえばいい、yahooはどうなったの? ・グーグル買収の機会を数度逃す ・フェイスブックやマイクロソフトからの買収提案も蹴る ・フリッカーをうまく活用できなかった ・事業のカタチを見誤った ・将来像が明確になっていない 等 が原因で陥落したようだ。 現代社会における企業寿命は確かに短くなってしまっているのかもしれない。 しかしそんな中、如何に社会のニーズや将来の期待に応えていくか、そんな企業のスタイルが問われている。
非真面目 2016-08-02 22:03:45 | Weblog 今日、「非真面目のススメ」を教えて頂いた。 真面目・・・では進歩はない。 不真面目・・・話にならない。 「非真面目」とは、真面目に言われたことをやるだけではなく、自分なりに如何に工夫するか、常に考え自分の持っている知恵をどこまでぶつけるか、自己と勝負することだという。 調べてみると、森政弘氏が書いた『「非まじめ」のすすめ』があるという。一度読んでみたい。