最近、こっそりヒットしている映画に『愛がなんだ』がある。
映画の上映体制が、シネコンに変わって25年程になるだろうか?
ヒット作品はロードショーが長く続くが、人気がないといつの間にか上映が終わってしまっている。
そんな中でも「カメラを止めるな!」のような映画が制作され、ごく一部の小屋で上映され、SNS等の力でその評価が一般的になると、現代のシネコンのシステムの元で爆発的なヒット作品に変幻するものもないことはない。そんなケースはごくごく少数で下手すると制作費すら出ない作品になり下がり、もう二度と「映画が撮れない!」状況に追いやられる人達も出たりする。
別に博打をやっているわけではないのだから、それなりの評価をみんなにして欲しいが、みんなに観て頂く機会がなく、抹消されていく、なんとも不憫な情のない世界になっている。
都会ではミニシアターやマイクロシアターが頑張っているが、なかなか田舎では、・・・。
個人個人がネットで繋がり、みんなが集うことのなくなった時代の中で、消費のカタチは「モノからコトへ」大きく展開し、CDなどソフトは売れないが劇場やコンサートホールの集客は年々増えているという。ひとりで狭い空間の中で映画を好きな時間に観ることも出来る現代だが、広く暗い空間のもと大きな映像と良い音響と座り心地の良い座席に包まれ、暫しの時を過ごすことはなんとも贅沢な時間の費やし方になってきているとも言える。
一時期衰退産業の先頭を走っていた映画産業も良質なコンテンツ産業の中で大きな鍵を握る可能性も高く、カタチを変えた映像産業としての価値は高まる一方だと思うが、そのコンテンツ自身が商業主義に馴染みすぎると、またそれはそれで問題で、創造性や革新性をしっかり核に持った商業主義でないと永続性が保てないだろう。
流行っているからそれに乗る、ということも大切だが、流行りをつくる、流行る方向をほのぼのとみせる、そんな工夫を期待したい。
映画の上映体制が、シネコンに変わって25年程になるだろうか?
ヒット作品はロードショーが長く続くが、人気がないといつの間にか上映が終わってしまっている。
そんな中でも「カメラを止めるな!」のような映画が制作され、ごく一部の小屋で上映され、SNS等の力でその評価が一般的になると、現代のシネコンのシステムの元で爆発的なヒット作品に変幻するものもないことはない。そんなケースはごくごく少数で下手すると制作費すら出ない作品になり下がり、もう二度と「映画が撮れない!」状況に追いやられる人達も出たりする。
別に博打をやっているわけではないのだから、それなりの評価をみんなにして欲しいが、みんなに観て頂く機会がなく、抹消されていく、なんとも不憫な情のない世界になっている。
都会ではミニシアターやマイクロシアターが頑張っているが、なかなか田舎では、・・・。
個人個人がネットで繋がり、みんなが集うことのなくなった時代の中で、消費のカタチは「モノからコトへ」大きく展開し、CDなどソフトは売れないが劇場やコンサートホールの集客は年々増えているという。ひとりで狭い空間の中で映画を好きな時間に観ることも出来る現代だが、広く暗い空間のもと大きな映像と良い音響と座り心地の良い座席に包まれ、暫しの時を過ごすことはなんとも贅沢な時間の費やし方になってきているとも言える。
一時期衰退産業の先頭を走っていた映画産業も良質なコンテンツ産業の中で大きな鍵を握る可能性も高く、カタチを変えた映像産業としての価値は高まる一方だと思うが、そのコンテンツ自身が商業主義に馴染みすぎると、またそれはそれで問題で、創造性や革新性をしっかり核に持った商業主義でないと永続性が保てないだろう。
流行っているからそれに乗る、ということも大切だが、流行りをつくる、流行る方向をほのぼのとみせる、そんな工夫を期待したい。