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田中角栄の基礎知識13・竹下 登『門前払い』事件

田中角栄の基礎知識・13竹下登『門前払い』事件

「竹下だけは許さない」

開かなかった「目白の門」

1987年1月1日昼過ぎ、年始の訪問客でにぎわう目白の田中邸に黒のセンチュリーがやってきた。だが門は開かない。待ち受けた報道機関のカメラマンが一斉にシャッターを切る。

事務所の秘書が「年賀を受けたくないと申しておりますのでどうぞお名刺を・・・」説明すると、センュリーはそのままバックし走り去った。

 角栄に弓を引く格好で『創政会』を立ち上げた竹下に角栄が激怒していることはよく知られていた。だがどんなことがあっても、人との面会を拒むことがないと言われた角栄が、門前払いとは・・・しかもこの日、小沢一郎や小渕恵三といった創政会メンバーは挨拶を許されている。

 この一件は、すぐさま事件として報じらおでれた。この年10月にも竹下は田中邸を訪れ、2度目の門前払いを食らっている。(田中家は『知らなかった』と証言)。総理を目前にしながら、

右翼の皇民党による「カネ儲けの上手い竹下さんを総理にしましょう←永人」という『ほめごろし』に苦慮していた竹下が、目白に向かった理由は、「田中邸への総裁選立候補の挨拶」が褒め殺し活動中止の条件だったからと言われる。

無論、その際も一部始終を門の外のメディアに撮影されており、竹下にとっては再度の屈辱だった。

異例の門前払いが、権力闘争の中で起きたパフォーマンスだったのか、それとも仕掛けの無い角栄の怒りだったのか。角栄、竹下が鬼籍に入った今となってはそれを確認する術(すべ)はない。14へ続く

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