日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
第一次頂上作戦の時代
第一次頂上作戦の時代
16回
あのころの日本人には迫力があったよな。戦後の焼け野原から国を立て直してやるんだ。建て直した後はうまい飯を食うんだ、というような気概があった。
サラリーマンなんか「モーレツ社員」とか呼ばれてな。アメリカやヨーロッパに「ウサギ小屋」なんて馬鹿にされても、マイホームを建てるんだ、そのためにはどんな高い山でも登って出世してやるぞって頑張ってた。
だから俺も「じゃあ俺は、ヤクザの世界で所得倍増だ」と思ったね。
ただ最近思うのは、その当時、終戦から昭和40年頃までの日本と平成元年から平成20年までの日本を比べたら、同じ20年でも大違いなんだな。終戦から昭和40年ごろまでの日本の方が、国全体にエネルギーが漲(みなぎ)ってたし、国民全体にバイタリティーがあった。もちろんみんなが生きて行くのに、食って行くのに精いっぱいだったからなんだろうけど。
わずか20年くらいの間に、戦争の焼け野原から家を作り、道路を作り、オリンピックや万博まで開いたわけだろ。
それに比べて平成元年から平成20年まで日本って何をしてきたんだ?記憶に残っているのは「平成」と書かれた元号のパネルを持った小渕恵三元総理の記者会見と後は神戸の阪神淡路大震災や、地下鉄サリン事件といった暗いニュースぐらいなもんだろ。
確かに豊かになったし、インターネットだとかで便利になったかも知れんけど、わけのわからん人殺しばかり増えてさ。
「殺すのは誰でもよかった」とか言って秋葉原にトラック乗りつけて、何の罪もない通行人を刺してみたり、殺した女の子の体を切り刻んでみたり、大の男が寄ってたかって、電車の中で娘一人を取り囲んで、皆でケツ触ってみたりな。お前らには最低限の「人格」も「プライド」もないのかよ、と。
ヤクザやってた俺でも正直、「ここ20年近くで日本はいったい、どうしちまったんだろう」って思うよ。
甲府刑務所を2年10カ月で出て、帰ってきたらみな待ってると思ったんだが、誰もいなくて、俺に空気を入れたあの松葉会の野郎は、芸能事務所なんかやってたんだ、東京で。
人に空気入れるだけ入れといてな、あいさつに行ったら「いやいや後藤な、もうヤクザで食える時代じゃないもんでな」とぬかしやがった。
俺が娑婆に出た昭和40(1965)年といえば、ちょうど「頂上作戦」が始まった翌年で各組織のトップがどんどんパクられて錦政会(稲川会の前身)や国粋会とかが解散させられていた時期で、その影響もあったんだろう。
◎第一次頂上作戦は、東京オリンピック開催を控え,治安強化の必要に迫られた政府の意向を受け、警察庁と各都道府県警が1964年昭和39年から1969年昭和44年まで行なった暴力団壊滅作戦。
暴力団の資金源を断ち、暴力団のトップや最高幹部の検挙を徹底的に行ない、暴力団組織の解体を目的とした。◎
昭和40年ぐらいまで、国家も警察もヤクザを必要悪として認めていたんだ。終戦直後の混乱期にはむしろ治安維持にヤクザを利用して来たし、日米安保の時には左翼の連中や学生を抑えるために右翼やヤクザを使って来たしな。・・・・続く
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