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オウム真理教と石原慎太郎の意外な関係

オウムと石原慎太郎の意外な関係

                                        転載元・チクリ虫

 1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆院議員辞職を表明した。地元の後援会にも知らされず、まったく唐突であった。「日本の政治に失望した」という趣旨の意見を残しているが、取って付けたような感じである。なぜ唐突にやめるのか、全くその説明としては不十分であった。

 しかし彼は議員辞職をせざるを得ない大きな事情を抱えていた。

                              ★

 オウム真理教は1984年(昭和59年2月)に任意団体「オウムの神仙の会」として設立された。その後1989年(平成元年8月)に東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。

 東京都は頑(かたく)なに認定を拒否し続けて来たのにも拘(かかわ)らずである。

                              ★★

 石原裕次郎の病気

 一方、石原裕次郎は1978年(昭和53年)舌癌のため、慶応病院に最初の入院をする。翌年東大病院へ転院して再び手術を受ける。

ここで、病魔を克服したかと思ったが、1981年昭和56年解離性大動脈瘤で再び慶応病院に運ばれる。生還率3%6時間33分の大手術に耐える。

 しかしその後も1984年(昭和59年)に肝細胞癌で、1985(年昭和60年)に胆のう胆管炎でと毎年慶応病院に入退院を繰り返し、1987年(昭和62年)7月17日に永眠した。

 オウム真理教と石原裕次郎が何の関係があるのだろうと思われるであろう。キーワードは慶応病院である。

 1981年に解離性大動脈瘤で心臓バイパス手術の執刀医が誰あろう、心臓外科医の林郁夫だった。

                               ★★★

                            石原慎太郎の圧力

 1987年に石原裕次郎が亡くなった2年後、オウム真理教は宗教法人になっている。頑(かたく)なに宗教法人の認定を拒否されていたオウム真理教としては、好き勝手なことをする為には何としても宗教法人の認定を受けたかった。

 林郁夫から1988年に運輸大臣であった石原慎太郎に状況打開の依頼が行ったことは想像に難くない。

実際石原慎太郎は運輸大臣の肩書を背景に東京都に圧力をかけ、オウム真理教はまんまと宗教法人になりおおせている。  続く

 

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