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キム・ ミンギ 「朝露」 

 
 「朝露」歌詞
 
 長い夜を経て 草葉に宿る
 真珠より美しい 朝露のように
 私の心に 悲しみ宿れば
 朝の丘に昇り 微笑をもらおう
 太陽は墓地の上に赤く昇り
 真昼の暑さは私の試練か
 私は行く 荒れ果てた荒野へ
 悲しみ振り捨て 私は行く

 「朝露」はヤン・ヒウン(女優ヤン・ヒギョンの姉)の持ち歌で、KBSTVの音楽番組「開かれた音楽会」「コンサート7080」でもよく聴く歌です。
 You tubeで「朝露」の作者キム・ミンギの歌とこの映像を見つけた時、なんて素朴で胸を打つ歌なのだろうと、鳥肌が立つような感動をおぼえました。
 この歌はキム・ミンギが1970年代に発表した後、すぐに発禁になった歌です。その後にヤン・ヒウンの歌で有名になりましたが、民衆の抵抗の歌として、さまざまな場面で歌い継がれてきました。長い軍事独裁が続き、弾圧に苦しんだ民衆が、大きな犠牲を払って民主化を勝ち取ったことは言葉では言い表せないほどの大変な歴史です。その歴史の中にいつも民衆の側にいた歌、それが「朝露」です。
 この映像は1987年6月の民主化闘争で、犠牲になった大学生の学内葬の様子です。葬列のなかに金大中の姿も見えます。
 「朝露」は抵抗の歌としてだけでなく、今でも韓国の人々に愛されている曲です。
 
 キム・ミンギは1951年生まれ。1971年のデビューアルバム『キム・ミンギ』はすぐに発売禁止されました。 1987年(1993年?)に復刻版で再発されました。「朝露」「秋の手紙」「峰」 「小さな池」 「金冠のキリスト」 「忘れてしまった言葉」 「常緑樹」 「旗印村」「工場の明り」などがあります。
  キム・ミンギはソウル大美大に入学して、友人キム・ヨンセと作ったフォークデュオ「ドビド」で音楽活動を始めました。1960年代終盤から音楽鑑賞室(ライブハウス)「セシボン」始め、いくつもの音楽鑑賞室ができました。ドビドはYWCAの集まり場、「雨蛙」のメンバーとして歌っていました。浪人中だったヤン・ヒウンはそこでキム・ミンギと出会いました。
 キムミンギは権力を批判するために曲を書いたわけではなく、陽のあたらないところや、そのままに見える現実を詩に書き、曲にしただけだそうです。しかし、1970,80年代の変革の大きなうねりの中、大衆の求める歌、大衆を慰める歌として、キム・ミンギ個人の作品を越えて大衆の歌になったのだと思います。
 歌の持つ力はとてつもなく大きく、時の政府はそれを一番良く知っています。そして怖れています。大衆を動かす力のある歌を発売禁止や放送禁止にしても、心に灯った歌を消す事はできないのです。
 
 
キム・ミンギ1(1993)[Full album]   https://youtu.be/jb1aGTyQnOE
キム・ミンギ2(1993)[Full album]   https://youtu.be/U1CMYOvsaZ0
キム・ミンギ3(1993)[Full album]   https://youtu.be/Cwb4Lrf7yQ8
キム・ミンギ4(1993)[Full album]   https://youtu.be/9Iou99PrIWo

 

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