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ローマの休日 (1953年 アメリカ映画)

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 1953年アメリカ映画「ローマの休日」は私の洋画ベストテンの中で、1位に輝く永遠の名作です。何度も観ている映画で、特に好きなシーンはラストシーンです。この映画のレビューを読みましたが、やはり多くの人がラストのシーンをあげています。
 古今東西の世界中の映画の王女・お姫様の中で「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンが一番美しく、高貴な気品に溢れたお姫様です。
 王女としての立ち居振る舞いも優雅ですし、髪を短くカットして白いブラウスとフレアスカートの街の娘になった、キュートなヘプバーンもとても可愛いい。
 
 愛らしい笑顔に、豊かな表情。新聞記者のグレゴリー・ペックをお相手に天真爛漫なお姫様はローマの名所を巡り、庶民の船上の音楽会イメージ 3でダンスを踊り、最高に楽しい休日を過ごします。
 ハンサムなグレゴリー・ペックは紳士で品があり、安心して観ていられる男性俳優なのでヘプバーンを優しく包み込む素敵な男性にはピッタリでした。ヘプバーンとグレゴリー・ペック以外のキャスティングは誰も考えられないほどです。
 甘いロマンスが芽生え、グレゴリー・ペックの親友のカメラマンや、イタリアーノな美容師、王女を探す黒服の秘密警察の登場するコメディシーンは大笑いしますし、ローマの観光名所が随所に登場し、テンポが軽やかで見所いっぱいの楽しい映画です。そして感動的なラストシーンを迎えます。
 
  一緒にすごした御伽噺のようなたった一日の出来事は、二人が惹かれあうには充分な時間でした。ローマでの休日は王女ヘプバーンにとって、生涯忘れえぬ一日になることでしょう。大切な思い出を胸にしまって、公人として生きていくヘプバーンの後姿が忘れられません。
 悲しいのに、潔くて強く、切なくて温かく、いつまでも心に残る素敵なラスト。グレゴリー・ペックがゆっくりと歩くラストシーンの余韻は深く、大粒の涙が溢れてしまいます。 
 
   ローマの休日 1953年 アメリカ映画
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 監督 ウィリアム・ワイラー
 脚本 ドルトン・トランボ
 出演 オードリー・ヘプバーン グレゴリー・ペック エディー・アルバート
 
 あらすじ(Wikiより)
 
 ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女アンは、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついにアンはヒステリーを起こしてしまいます。
 その夜、密かに城を抜けだした王女は、睡眠用の鎮静剤のせいで無防備にも路傍のベンチでうとうとしはじめる。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう。
 翌朝になって彼女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをモノにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。
 アンはまず美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べる。その後ジョーとスクーターに二人乗りしてローマ市内を廻り、「真実の口」を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々にスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都・ローマで自由と休日を活き活きと満喫するアン王女とジョーの距離は次第に近づいていくのであった。
 
 主役の王女役にウイリアム・ワイラー監督が新人のイメージ 4ヘプバーンを抜擢、グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず、ヘプバーンをクレジット・タイトルでトップに扱うことに賛成しました。「真実の口」のシーンではグレゴリー・ペックがアドリブで口の中に手を入れ、ヘプバーンは本当に手がちぎれたと思い込んで驚いてしまったそうです。
 また脚本家ダルトン・トラボンは1950年代初期、アメリカで「赤狩り」と呼ばれる共産主義者排斥運動でパージされ、このため友人の脚本家イアン・ハンター名義で参加をしたことなど、「ローマの休日」には数多くのエピソードがあります。
 
 「ローマの休日」はあまりにも有名な名作なので観るのをためらっていました。映画雑誌「スクリーン」で、いつもオードリー・ヘプバーンが”好きな女優1位”に選ばれ、グラビアを飾っていたのがとても不思議だったことが思い出されます。「ローマの休日」を観てその理由がわかった、遅れてきた”ヘプバーンファン”です。
 
 
 採点(10点満点中 特別に11点)
 
 
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