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旧作探訪#71 『ブレードランナー』

2009-09-13 23:10:17 | 映画(レンタルその他)
Blade Runner@VHSビデオ、リドリー・スコット監督(1982年アメリカ)
2019年、400階建ての超高層ビル群がそびえ立つ米ロサンジェルス。人類はすでに地球外へも基地を築いていたが、そこで使役するのに“レプリカント”と呼ばれる人間以上の体力と知力を持つアンドロイド(人造人間)を開発製造したのがタイレル社。彼らは感情を持たないが、やがて持ち始めるともされており、それを防ぐために寿命は4年に設定されている。そんな彼らはしばしば反乱を起こすので、地球に舞い戻った彼らを探し出して識別し抹殺するのが“ブレードランナー”と呼ばれる特殊な捜査官だ。
リック・デッカード(ハリソン・フォード)もその一人。彼はすでにその仕事を辞めていたが、ネクサス6型のレプリカントが4名、スペース・シャトルを乗っ取ってLA近辺に潜伏するという事件が起こったため、元上司のブライアントはブレードランナーとして能力の高いデッカードに白羽の矢を立てた。
強引にこの事件を引き受けさせられたデッカードは、ただちに製造元のタイレル社に赴く。社長のタイレル自身からネクサス6型レプリカントについて情報を仕入れるためである。タイレル社は700階建てのピラミッド型。オフィスには謎めいた美女(ショーン・ヤング)がレイチェルと名乗ってデッカードの気をそそった。タイレルは、調査に協力する前にレイチェルをテストしてみては?とデッカードに挑戦してきた。半信半疑で受けて立ったデッカードだったが、100以上の質問を重ねたあげく、ようやく確信を持つことができた。彼女もまた、新型のレプリカントだったのだ。
その間に事件のレプリカントたちは、混沌とした街の人込みの中に消えていた。リーダー格のロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)には、ある計画があった。しかし、名うてのデッカードもまた彼らを探し出して死闘を繰り広げ、1人ずつ始末してゆく。いよいよ最後に残されたバッティとの対決において、デッカードは彼らが地球に舞い戻った目的と、壮絶な運命を知ることになる…。
フィリップ・K・ディックの原作、シド・ミードの美術デザイン、ヴァンゲリスの音楽など、宇宙船を舞台とする単純なアクションものがSF映画の主流だった中にあって陰鬱な近未来を提示し、その後に一大潮流を巻き起こした金字塔。



慶應義塾の創立者は言った。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、身分の貴賎なく平等であると言われているが、人の世には賢い者も愚かな者も貧富の差もある。その次第は明らかである。学ぶと学ばざるによって差は生まれる。異人から侵略されたくないなら学問を積んで国を豊かにしなければならない。
いま慶應義塾で教える竹中平蔵は、政治家に働きかけて、やがて自ら政界に入って人材派遣を完全自由化させる道を開いた。そうしておいて人材派遣最大手の企業の会長に就任。いったい彼は創立者の理念を守っているといえるだろうか。福沢諭吉の言葉を注意深く読むと、実はその中にすでに竹中平蔵の萌芽を見ることができる。諭吉が国を豊かにすると言うのは、西洋列強への対抗上である。学ばない者は、食いものにされても仕方がない、支那のように侵略されても仕方がない、とまで考えているかもわからない。功利主義のうかがえる、ろくでもない学校といえよう。
神は人を平等に作ったはずだが、現実にそうでないのは学ぶ学ばないの向上心に違いがあるから。諭吉の言葉の含みとしてある「向上心」が、竹中では「上昇志向」に変わっているのだ。後者の場合には「他人を引きずり落としても」という含みがあり微妙に異なるが、論理巧者の竹中であればどうにでも言いくるめるでしょ。
しかし、諭吉の言葉を厳密に見れば「生まれついての不平等」を作ることが許されるのは神のみ、と捉えることも可能。神のみが許される。
最近の労働問題、親から子へ引き継がれて格差が固定化される貧困の問題を考えたとき、はたとこのSF映画の傑作に思い当たったわけです。
ブレードランナーのデッカードは、タイレル社の美女レイチェルが、改良されて精密に作られたレプリカントであることを見抜くが、彼女に惹かれ、情交を持つ。
不思議だ。このあたりも《デッカードも実はレプリカントだった説》に結びつくのかもしれないが、たとえどんな美女でも人造人間を相手に勃起するでしょうか。まあダッチワイフで自慰する人もいるけどねえ。オラ精密なフィギュアをいっぱい集めてきたじゃん。興味ある人は「フェミニン」のカテゴリーをさかのぼって、くだらない文章は無視して画像をご覧あれ。自慢ですが日本でも(=世界でも)屈指のコレクションよん。ですが、それらを見て一度だって勃起したことはない。半勃ちにさえならない。
マンガや絵で勃つことはひとまず措いて、フィギュアたちは人間に似せて作ってあるが人工物。無生物。レイチェルが美女でも、彼女には子ども時代がない。今ある形で製造された。もちろん生殖できない。
これはたいへん重要。性器を摩擦して気持ちよくなるというのは、子孫を残すことのためのご褒美として天から贈られた。子孫を残せないレプリカントたちというのは、そのあたりどのように設計されているのか。すべてタイレル社による。レプリカントの一人、女性型のプリスは兵士のための慰安用として「かわい娘ちゃん」仕様。



すべては人間の都合。人間にできないような過酷な労働をさせるため。それには「感情」は邪魔なので、持たないよう作ってあるが、タイレル社長の創造した彼らの脳は優秀で、やがてそれに似たものを宿す。4年間で終わる自らの運命を呪い、悲しみ、バッティはタイレル社長へ面会し、自分や愛するプリスの寿命を延ばせないのか問いただす。答える社長の言い草が、まるで竹中平蔵のように厚顔。彼らを何だと思っているのか。神でもないのに、生き物に似て生き物といえないものを作ってしまった責任。
生命が生まれた理由って何でしょうか。地球の初期の頃から引き継がれた遺伝子。遠い将来まで子々孫々。どうやら最近のバイオ・テクノロジーでは、ウイルスや原始的な微生物なら人工的に作れるようにもなってるとか。『復活の日』みたいなことにならなければいいが。ともあれバッティはタイレル社長の言葉を聞くと「生命工学の神がお出迎えだ…」と言って、彼らを開発製造した責任者を手にかける。ところがそんなバッティも、仲間をすべて殺したデッカードといよいよ邂逅、壮絶なファイトを繰り広げるものの、最後に自らの記憶をデッカードに伝えて、静かに目を閉じる…。子孫を残せない彼らも、生き物だった。何かを伝えたかった…。
4人のレプリカントの中で最初に殺されるゾラは、場末に潜伏して蛇つかいの芸を見せて稼ぐ。大蛇。本物か?と問うデッカードに彼女は、「本物は高くて買えないわよ」。
この映画における経済は、天然ものより人工生命が安い。みなさん。もうオラの言いたいことがおわかりですね。現実には、人間そっくりなアンドロイドを作るなんて、気の遠くなるような時間と資本が必要。2019年にはとうてい実現しない。人間のほうが安い。派遣労働を自由化して、生身の人間を使い捨ての労働力とすればいい。
ブレードランナーはかなり正確に近未来を予測した。竹中くんが映画を見てタイレル社長の殺される姿に自らを重ねてくれるよう希望する。



お前ら人間には信じられぬものを 俺は見てきた
オリオン座の近くで燃えた宇宙船や
タンホイザー・ゲートのオーロラ
そういう思い出もやがて消える
時が来れば
涙のように
雨のように
……
その時が来た
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