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20 Best Marc Almond Songs

2019-10-27 18:44:55 | 音楽
私もよくやるんですが、海外の××と比べて日本の××はひど過ぎる、ゲロ以下—といったように自分の責任の及ばない例にかこつけて悪口を言うのは、自虐や侮蔑の匂いが濃く、とくにツイッターでは目にしたくないやり方ですね。繰り返しますが私もよくやりますが。というのも、やはり若いうちは見聞を広め、なるべく多くの対象を比較検討して自分なりの価値観や規範を育んでいくべきと思うし、年を取っても凝り固まらず温故知新を図っていくべきと思うから。

先日のミュージック・マガジン・プレイリストで引用の、「外国の音楽のシェアが落ちて4分の1くらい。英語で歌ってるのなんか分らないから聞かないというのもあるが、それ以前に、自分で気に入る音楽を見つけようという姿勢に乏しい。テレビや、周囲の友だちが聞くもの、それを自分も聞く。音楽に新鮮な喜びや刺激を求めない」と90年代すでに中村とうようさんが指摘していたのは、わが国を射抜いているなと。やはり音楽がひど過ぎる、日本は、それも徐々に悪くなる。時代的現象。ザ・ベストテンは洋楽を締め出し、疑似的なトップステージを演出して、アイドル歌手のような時代錯誤なやり方を助けてしまった。このことが、音楽のひどさだけでなく、少子化・男尊女卑・若者の保守化・格差の拡大といった諸問題とも連環しているのだと思う。 



ビートルズでもツェッペリンでもボウイでもセックスピストルズでも、イギリス人は意匠を凝らし、魅力的な商品としてパッケージ化してくる。音楽を聞く時間は限られているから、黒人音楽やワールドミュージックに重きをおくミュージック・マガジンを読んでいてさえ、イギリスの音楽が最優先になってしまう。米チャートにもドシドシ入ってくるし、ロンドンとフィラデルフィアから衛星中継されるライブエイドなんてのもあって、まるで超大国アメリカと島国イギリスの音楽が同格であるかのように錯覚してしまう。

進取の気性があり、ほかの人がやっていない新しいことに挑戦する。エルヴィス・コステロや、きょう扱うマーク・アーモンドのように古い音楽に造詣があり、若者にとって教師代わりに。われわれはイギリス人を通して世界を見ざるをえなかった。それ自体が英語の威力であり、資本主義による世界統一の一環であった—




Soft Cell / Memorabilia (1981 - Trials of Eyeliner 1979/2016)
マーク・アーモンドは1957年生まれ、本名はMarkであるが十代のころ大きな影響を受けたTレックスのマーク・ボランにあやかった綴りを名乗っている。リーズ・ポリテクニックに通ってパフォーマンス・アートを志し、同窓のデイブ・ボールと77年にソフト・セルを結成。デイブの母親の出資で作られた1stEPがサムビザール・レコードを立ち上げたスティーヴォ・ピアースの目に留まり契約。この曲は契約後最初のシングルで、強迫的な反復と粘っこいボーカルにより早くも独自性を発揮。



Soft Cell / Tainted Love (1981 - Non-Stop Erotic Cabaret)
Soft Cell / Say Hello, Wave Goodbye (1981 - Non-Stop Erotic Cabaret)
Soft Cell / Sex Dwarf (1981 - Non-Stop Erotic Cabaret)
Tainted Loveが81年に英年間1位となり、翌82年には米8位で当時歴代最長となる43週チャート入りを果たした出世作。同曲はカバーで、原曲はマーク・ボランのパートナーであった女性ソウルシンガー、グローリア・ジョーンズの65年の曲。

Soft Cell / Torch (1982 - Trials of Eyeliner 1979/2016)



Soft Cell / The Art of Falling Apart (1983 - The Art of Falling Apart)
ミュージック・マガジンのクロスレビューで中村とうようさんが「音痴でもレコードが作れると証明」と酷評。まあ確かに彼は歌は上手いがちょっと音程が上ずる癖が。その後の活動を知ればとうようさんも認めてくれると思う。



Marc and the Mambas / Black Heart (1983 - Torment and Toreros)
苦痛と闘牛士。マーク・アンド・ザ・マンバスは彼が82年からソフト・セルと並行して流動的なメンバーで行ったプロジェクト。最初のアルバムはジャック・ブレル等のカバー中心であったが、この2ndではより前衛的でゴシックな要素が盛り込まれ、当時ユーロロックからニューウェーブに軸足を移しつつあったフールズメイト誌が推すカルトヒーローの一人に。



Marc Almond / The Boy Who Came Back (1984 - Vermin in Ermine)



Bronski Beat & Marc Almond / I Feel Love/Johnny Remember Me (1985 - The Singles Collection 1984/1990)
ゲイの盟友と組んで3曲をメドレー形式でつなげたカバー曲。ドナ・サマーはともかくジョン・レイトンなんてインターネット時代になるまで誰も知らんわ。英3位、私のチャートでも1位。



Marc Almond / Melancholy Rose (1987 - Mother Fist and Her Five Daughters)
Marc Almond / The River (1987 - Mother Fist and Her Five Daughters)
平均した曲のよさでは最高傑作と目される3rdソロ。マグネティック・フィールズのスティーヴン・メリットが選ぶ20世紀各年の音楽にコール・ポーターやリヒャルト・シュトラウスらと共に選出される。



Marc Almond / Tears Run Rings (1988 - The Stars We Are)
Marc Almond & Gene Pitney / Something's Gotten Hold of My Heart (1989 - The Stars We Are)
Marc Almond & Nico / Your Kisses Burn (1988 - The Stars We Are)
彼のソロ活動はソフト・セル時代と比べ商業的に低調であったがここでポップスターとしても返り咲く。わが国ではルイジアナ・ママで名高い往年のスター、ジーン・ピットニーを引っぱり出したシングル14は英1位となり、ピットニーの輝かしい歌声が健在であることを知らしめた。死去直前であったニコとのデュエット15も珠玉。


Marc Almond / Madame de la luna (1990 - Enchanted)
華麗なジャケはゲイの写真家コンビ、ピエールとジルによる。シングルカットされたA Lover Spurnedは「夜霧のハウスマヌカン」で知られる女性歌手ややが日本語カバー。



Marc Almond / Like a Prayer (1992 - Ruby Trax: The NME's Roaring Forty)
NMEの40周年にちなんで同紙の英チャートで1位になった40曲を当時の中堅新鋭がカバーした企画盤。マークはゲイ模倣で知られるマドンナの代表曲を担当。



Marc Almond / Child Star (1995 - Fantastic Star)


Marc Almond / My Love (1999 - Open All Night)
Satin, satin and velvet, leather and lipstick on the one that I love. My love acts like a porno star, talks like a trickster…。「我が愛」を語るフォーキーな曲。90年代以降、ロシアを訪ねてロシア以外で知られていない名曲を探しカバーするなど、ポップスターというよりはヨーロッパ各地を漁る民俗学者のような存在感。 

Soft Cell / God Shaped Hole (2001 - Trials of Eyeliner 1979/2016)


Marc Almond / Nijinsky Heart (2010 - Varieté)


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