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グーグル金融道

2014-01-23 21:10:11 | 読書
(学者の故ニール・ポストマンは著書『死ぬまで楽しむ』の中で)人間にとって最も恐ろしい脅威は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』ではなく、それ以前に書かれたオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』に描かれていると指摘した。
善意で徹底的に管理された生活と社会に満足しきった未来人の話である。


「教養のある人々ですら誤解しているが、ハクスリーとオーウェルは同じ脅威を予言しているのではない。オーウェルは我々が外部からの強制的な抑圧に屈すると警告した。だがハクスリーは、人々から自律性や成熟や歴史を奪うのに"ビッグブラザー"など必要ないと考えた。人々は抑圧を喜ぶようになり、考える能力を奪うような技術をありがたがるようになるという。オーウェルは我々から情報を奪う者を恐れた。ハクスリーはあまりにも多くの情報を与えることで、我々を受動的で自己中心的にしてしまう者を恐れたのだ」

–(ケン・オーレッタ 『グーグル秘録』 文藝春秋、2010年)





人が情報を集めたがるのは、不安から逃れて主体的に生きるための、いわば生存本能として刷り込まれたものではないか。
とすれば、情報を流す媒体側に回れば、たいへん効率的に収益をあげることが可能になる。
既存のマスコミやインフラ企業が独占していたその商機は、インターネットによる「双方向」や携帯電話による「どこにいても」という要素が加わったことで、扱う情報の細分化・ニッチ化を招き、飛躍的に拡大することにつながった、その最大の助けとなったのが「グーグルの検索」技術であろう。

「情報の質・信頼性」という面ではどうだろう。
その情報は本当に生きるための糧になるのか。
私がしばしば香山リカとか内田樹とかを中傷するのに「メディアを介して直接責任を回避しながら安直なコメントや処方箋を乱発する」という言い回しを用いるのは、責任回避こそ新自由主義のキモになっている考え方だと思うからだ。
それにしても彼らは実名でさまざまなメディアから継続的に雇われて発言しているので、一定の信頼性は担保されていよう。

問題は、インターネットを駆け巡る無限大の情報である。
亡くなった小野田さんは諜報将校として、決してメモをとらずすべての情報を暗記するよう訓練を受けたとのことで、それがジャングルの中で生き延びることを可能にしたともいえよう。
いま、スマホの普及により「調べれば分かる」からと、直前まで行動を決めないタイプの若者が増えているように思うのだが、小野田さんの反対で、スマホに依存し、生きる力を奪われてしまっているとは考えられないだろうか。
しかも、あまり多過ぎる情報は、人を「受動的で自己中心的にしてしまう」ので、依存していることにさえ気づかず、「情強」と称し愛国者を気取る貧乏人がアメリカ富裕層をますます富ませる結果になりかねない。
グーグルが中国からは撤退せざるをえなかったのも、情報が死命を制するという小野田さん的な戦時の考え方を中国の支配層が忘れておらず、国民を物資化できる地位の独占を揺るがしかねないグーグルの芽を早期に摘んだということに他ならないのでは。

本書の原題=Googled: The End of the World as We Know It=とは、グーグルを経て、完全にグーグル化された、人びとが好んで自らネットに接続し(接続され)、寸暇を惜しんでスマホやPCを操る(操られる)一種のディストピアを指すのではないかと–
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