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『飢餓海峡』

2008-09-05 23:06:47 | 映画(映画館)
@京橋・東京国立近代美術館フィルムセンター小ホール、内田吐夢監督(1965年・日本)
10年の歳月の中で絡み合う4人。刑事2人と前科者と娼婦。追う者と追われる者の愛と運命を重厚に描き上げた不朽の名作。
当時、タイタニック号に次ぐ大惨事となった青函連絡船・洞爺丸転覆事故という実話に基づいて書かれた水上勉の長編推理小説を映画化。内田吐夢監督が“飢餓”というテーマを具現化するため特殊な映像処理を試み、登場人物たちの心理の影を巧みに映しだした超大作である。
昭和22年9月20日。台風10号の最中、北海道岩内で質店一家惨殺事件が発生。青函連絡船の惨事が起きたのはその直後だった。嵐の海は巨船を呑みこみ、船客532名の生命が奪われたが、収容した死体は乗客名簿より2名ほど多かった。函館警察の弓坂刑事は、この二つの死体が質店一家殺しに関係があると睨んで捜査を開始する。
それから10年、質店一家殺しの犯人を追う刑事、事件を闇に葬り事業家として成功する犯人、事件当夜から犯人に純愛を捧げる娼婦――偶然に翻弄される人間たちの運命は、舞鶴で起こった偽装心中事件によって再び手繰り寄せられる…。
三国連太郎、高倉健をはじめ、本作が東映初出演の伴淳三郎、左幸子ら豪華演技陣が、人間の心の中に潜む善と悪を追求した凄絶な人間ドラマである。



狭い意味での、密室殺人とかの謎が読者に提示されて、スーパーマンみたいな名探偵がそれを鮮やかに解決する、いわゆる「推理小説」ではない。
刑事コロンボみたいに犯人は最初からわかっている。犯罪をきっかけにさまざまな立場の人びとの絡み合う人間模様、そしてまたそれら立場の異なった人びとの心理にも共通して影響を与えずにはおかない時代背景・社会風俗などを地を這う人間の目線で丹念に描き出した総合小説の傑作といえよう。
実際の犯罪は名探偵が脳内でパズルを解くようにして解決されるものではない。連絡線が遭難して数多くの遺体が引き揚げられる現場にも立ち会った弓坂刑事は、乗船名簿に該当しない2つの遺体に疑問を覚えたときから人生が大きくゆらぐ。乏しい捜査費用を工面してもらって青森や東京にも出張してわずかな手がかりをシラミつぶしにあたるが質店一家強殺放火事件につながる成果を得ることはできなかった。それでも彼の執念の捜査活動は、彼がすでに警察を退職している10年後に思わぬかたちで再び光が当てられることになる。
連絡線遭難にまぎれて仲間を殺し、必死の思いで青森に渡りついた犯人が下北半島のさびれた漁村で泊まった宿の娼妓。彼女に対してちょっとした親切心を抱いてしまったことが、ずっと後にいたるまで犯人の、彼女の、刑事たちの運命を大きく左右する。
戦後の混乱が続いていた時代であり、立場上ヤミ米を買うわけにもいかない苦しい家庭生活をもかいま見せながら弓坂刑事が犯人・娼妓の心理を思って語る「体験した者でなければわからない極貧」という以外にもさまざまな当時の時代背景がなにごとかを語らずにはおかない。森林軌道、配給通帳、オンリーさん、預金のモラトリアム、戦後のインフレ、赤線…。
今の若い人にはなんのこっちゃわからないかもしれない。そのあたり、言葉でなく音と光、人間の表情、そのありさまを体感することのできるこの映画化は原作と過不足ない最高の映画化ではないだろうか。
一度TVサイズで見ておりどうしても映画館で見ておきたかった、のような思いは年配者の多い客席に共通していたようで、183分の上映時間の前半には左幸子の演技のユーモラスな部分など笑いもしばしば起こっていたが、後半はものすごいエンディングにいたるまでだんだんと客席の空気がピーンと張りつめていくのが感じられた。
邦画のオールタイムベスト等の定番作として、フィルムセンター以外でもわりと上映される機会の多い作品のようである。オラ黒澤明の『七人の侍』だけはどうしても映画館で見なきゃ、と思って機会を待ってるのだけど、一昨年だったかテアトル新宿の上映で長蛇の列できてて並ぶのあきらめちゃった。
ほら、黒澤映画はスペクタクルでしょ。映画館で見なきゃだよね。とわいえオラ映画にスペクタクルをあんまし求めてないので、求めてるとすれば本作や溝口健二作品のようなリアリズムや陰影ですので、いまだに『七人の侍』を見れてないにしても死ぬまでに見られればいいというか。

コメント
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