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赤い靴をはいてた女の子

2010-06-15 | 街角の話し
横浜の山下公園に 赤い靴をはいてた女の子像がある。1979年
横浜散策はこちら

赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

(野口雨情作詞・本居長世作曲)

この横浜から異人さんに連れられて行っちゃったのだ。




後ろ姿です。横浜は美しい港だけれど、なんなく寂しそう。


歌詞は、実話を題材にして書かれたという話が定説化していた。(疑問・捏造説もあるが)

「赤い靴をはいてた女の子」の名前は、岩崎きみ ちゃん。

静岡県清水市有渡郡不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)出身の岩崎かよの娘。

1902年(明治35年)7月15日 - 1911年(明治44年)9月15日。

生まれた清水にも像があります。
2008.11に行って来ました。

清水への旅行はこちら



アップです。



静岡県は日本平にあります。『母子像』(1986年)


岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。
きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、社会主義運動の一環として当時注目されていた北海道の平民農場へ入植する。
しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父・佐野安吉の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。

やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまう。

きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。

何とも哀しい話ですが、なくなった孤児院があった所にも像があります。
山下公園だけでは中途半端なので行って来ました。



東京都港区 麻布十番の『きみちゃん像』(1989年)

麻布十番商店街の中にあります。

他には少し遠いけれど

北海道留寿都村『母思像』(1991年)
北海道小樽市『赤い靴 親子の像』(2007年)
北海道函館市『きみちゃん像』(2009年)

さらに

横浜と縁の深いアメリカ・サンディエゴにも同様のブロンズ像が設置される。
2010年6月27日に除幕の予定。

史実はともかく、童謡を歌った時の様に

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

で。いいな。


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