無意識日記
宇多田光 word:i_
 



≫≫≫ @u3music: スタジオへも頻繁に顔を出し率直な意見を出してくれました。ヒカルの作品は全て聞き込んでいましたし、所有していました。teruzane RT @show5rin ヒカルさんの歌を生前、お母様は聴かれていたのでしょうか。届いていたのでしょうか。 お節介ながら、ずっと気になっていました…


これは本当に前から確かめたい事であった。質問者の方果てしなくぐっちょぶ。思わずフォローしてしまった。どうもありがとう。そして勿論快く答えてくださった照實さんに感謝、々々。

まず、差し当たって誰しも頭に浮かぶのは「では"嵐の女神"は聴いていたのか」という点だ。思いっ切り野暮を言ってしまえば「じゃあすぐ会えよ」となるのだが、今のタイミングでこの野暮を言っちゃうと宇宙的に切ないよね…SCv2のジャケット眺めながらテイク5聴く位に…。

この話の何が嬉しいって、ヒカルが藤圭子のファンであったのみならず、藤圭子もまた宇多田ヒカルのファンであったと判明した事だ。当たり前じゃないか娘なんだから、と言われそうだが、いや待て藤圭子はプロである。こと歌に関しては、数少ない、本当に数少ない、真正面から歌手宇多田ヒカルにダメ出しを出来る人物だ。ことによっちゃ、自分で歌って聴かせる事すら出来たはずだ。尤も、伝え聞くところによると幼少の頃から「この子は私よりずっと上手い」と仰ってたらしいので、そこらへんは一歩引いてたかもしれないが。

話を元に戻そう。如何に身内だろうが、藤圭子クラスになれば、自分の趣味に合わない音楽にわざわざコメントしに来るような事はしない。そうかぁ、プロ歌手宇多田ヒカルは、藤圭子の薫陶を受けていたのか。想像しただけで興奮してきた。そしてその光景がもう二度と宇宙の何処にも現れ得ないという事実にもう一度気付き愕然とする。ほんに、惜しい人を亡くしたぜ…。

ヒカルはその事実をどう思っていたのだろう。彼女に自分の音楽を気に入って貰えていたのなら、ぶっちぎりで嬉しかった筈だ。しつこく何度も繰り返すが、藤圭子は母親であると共に、そのプロフェッショナリズムを小さい頃から見せつけられてきた尊敬する歌手でもある。その人に認めて貰うかどうかは、娘として、は当然ながら、プロの歌手同士としての矜持に関わる。無邪気さと真剣さの絶妙なハイブリッド。それこそ、二人にしかわからない感覚もあったのではないか。そこまで行くと照實さんですら蚊帳の外だったりして。

いや、確かに。冷静になってみよう私。いや確かに、藤圭子という歌手は"幅の狭い"歌手である。都筑さんも番組でぽろっと漏らしていたが、単色の声色しか持っていない。おっさん並の低音からSynergy Chorusのスピリチュアリティ、そしてぼくはくまの優しい声など、ヒカルの方がずっと幅も広く造詣が深い。しかし、一本貫かれた槍のかっこよさというのは筆舌を超えた所にある。それは危うさそのものだが、だから藤圭子は藤圭子だったのだ。ヒカルはきちんと前の世代から学んで今こうしている…いいなぁ、いい。いい2人だ。よくぞ親子だった。本当に奇跡だな。


今日は話が脱線しまくるな。まぁいいか。ヒカルの歌を真剣に聴き込む藤圭子、何気ない時に上機嫌でヒカルの歌を口遊む藤圭子、どちらを想像しても嬉しくなってくる。一度でいいから、「藤圭子の歌う宇多田ヒカル」も聴いてみたかったな…。(涙)

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夜中の3時AMに枕元のiphoneが鳴り出すのか知らないが、皆さんようそんな時間帯に起きてきはりますなぁ…。

@utadahikaru からのツイートの画像にはノートにドリームポップとポストパンクの文字が。あと、ボーカルという言葉も書いてみたそうなので、Kuma Power Hour の構成中だろうな。それぞれのジャンルのグループに関してはググればすぐに出てくるだろうが、Hikaruがこれを書くからには4ADレーベルが絡んでくるのはほぼ間違いがない。

英国のロックは極々おおざっぱに、70年代前半はハードロック、後半はパンク、80年代前半はパンク/ニューウェイヴ、後半はドリームポップやネオアコースティック等。そこから90年代に入ると日本人にとっての"UKもの"に入っていく訳だが、4ADはこの流れでいくと大体80年代前半のパンク/ニューウェイヴの世代のレーベルに入る。ゴシックと言われるジャンルがロックの中で出てくるのもこの頃だ。ゴシックメタルは90年代以降だけど。

てな感じで、次回の熊淡は正面切って4AD特集か、或いは80年代英国特集か、そんな感じになるのかな。スネア特集かました女がそんな普通の特集を組むかはわからないが。既にThis Mortal Coilなど同レーベルのアーティストは登場してるし。

しかし、4AD特集にするか80年代英国特集にするかで随分様相が変わるな。例えばブロンド・レッドヘッドなら80年代でもないし英国でもない(90年代以降の米国のバンド)。ただ、ポストパンクという呼び名は80年代中期のニューウェイヴ/ゴシックを睨んだものになるだろうから80年代に焦点を当てているとみた方がいいか。

ポストパンクというと一聴しただけではパンクとの繋がりがわかりにくいが、要は人脈的に緩やかに繋がっいるというのがポイントだから、Hikaruがそこをどう切り取ってくるかで色合いが変わるだろう。

つってても、ただのノートの切れ端の話なので、そもそもラジオと関係があるかどうかからしてわからないんですけどねー。あと一週間。

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