冬になった。桜流しがとても沁みる。桜が流れているのだから春の歌であるべきなのだがサウンドは寒い時期を思わせる。厳寒の冬こそ似つかわしい。
そこが不思議ではある。EVAの世界は常夏であった。Beautiful Worldの両バージョンも、やっぱり夏っぽかった。EVAQにおいては大地は荒廃しており季節感などない。少しそこは、違うかもしれない。
桜流しについて、私が最もインパクトを受けたのはそのタイトルだった。2012年11月17日になった途端に飛び込んできたこの3文字を目にした瞬間に私は「全てを理解した」と言っていい。曲を聴く前に、あのビデオクリップを観る前に、この曲の曲調とヒカルの意図、そしてEVAQの作風と方向性まで手に取るようにわかった。いやまぢで。
それは、私がEVAQに11月16日まで期待していた作風と方向性が的外れであった事、私の期待が真っ向から裏切られ否定される事を示唆していた。私がBeautiful Worldのリミックスを期待していたのは他でもない、新劇版EVAにそのまま突き進んで欲しかったのだ。しかし、皆さん御存知のようにそうはならなかった。序破のわかりやすいエンターテインメント性はどこ吹く風となっていた。
それを、「桜流し」の3文字は私に一瞬で語りかけたのだ。その3文字を見た瞬間、私の頭の論理回路は全てのロジックを修正していった。「桜流し」というタイトルであるならば、恐らくいちばん近いのは「Be My Last」だろうと直感した。SAKURAドロップスではなかったのである。同曲は、ヒカルの曲の中でもTop7に入る程ポピュラーでわかりやすく聴き手に優しい曲だ。そうではなくて、聴き手を突き放すような荒々しさに満ちた曲、ロックテイストの強いドラマティックなバラード、そして、映画春の雪のような凄絶で美しい喪失の物語。そういう桜流しの曲調であるならば、EVAQは観客を突き放す、荒々しく、満たされない作風になったのだな、それならBeautiful Worldの出る幕じゃないな、という事は、この歌ヒットするんだろうか、この映画の動員数は大丈夫だろうか…大体これ位の事を、桜流しの3文字を目にしてから桜流しのビデオクリップを開くまでに考えていた。極端な話、私にとっての桜流しとEVAQの物語は、映画を観る遥か前、楽
曲を聴く更に前に既にカタがついていたともいえる。そこから後はひたすらに確認作業である。この連載がディテールから入ったのも、全体像が聴く前から決まってしまっていたからだった。私が興味があるのは、この曲が何を言いたかったかではなく、如何にしてこの美が作り上げられたかの方だった。何しろ、「桜流し」というタイトルを見た時点で私はヒカルの言いたい事の概要を把握していたのだから。勿論それを錯覚と呼んでもいいが、これだけ何回も聞き込んで分析を進めてきていても、私のこの曲に対する印象は全く変化していない。それは、聴く前から、だ。こういうのも珍しい。
だがこれで言えるのは、それだけこの曲のタイトルが秀逸であるという事だ。全てを雄弁に物語る。EVAQの作風、楽曲の方向性、ヒカルの込めた思いの深さ。全てがこの3文字に集約されている。これがセンスだ。ヒカルの何が健在なのかといえば何よりもまずこの言葉に対するセンスなのである。その点に関しては、衰えるどころか過去最高に研ぎ澄まされている。でなくば私が「曲を聴く前に全てを理解した」だなんていえる訳がない。それ程にこの名付けは素晴らしい。もしかしたら宇多田ヒカルの歌の中で、いちばん好きなタイトルになるかもしれない。
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