そろそろ終わるモネ展のキャッチコピーに「ひかりに、ひたる。」というのがあると知る。なら私は「ひかるに、ひたる。』だわね。
…なんていう感じで(?)前回の続きっ。
『時を戻す呪文』を相手にかけてあげるのか、それとも譲渡してしまうのか。それも問題だけどそもそも『時を戻す』のって具体的にはどういうことなのか?というのを詰めてみると結構幅があるんだなこれが。
まず、「時を戻す」自体に幅がある。タイムトラベルとタイムリープの違いをご存知だろうか? タイムトラベルは過去の自分に会っちゃえるヤツ、タイムリープは自分の意識が昔に飛ぶ、つまり若返ってある時点から人生やり直せるヤツね。『Time』では皆さん、これのどちらを思い浮かべただろうか?
また、「実際に時を戻るのは誰と誰?」という問題もある。私だけなのか、あなただけなのか、それとも2人ともなのか、或いは世界全体が巻き戻ってしまうのか。ここらへんも解釈に幅が出てくるのよね。
こんなん、幾ら場合分けしても足りひんわ!
…なのに何故今こうやって野暮極まりない話をちくちくとしているかというと、『Time』の歌詞の解釈に「定説」が無いのは、まさにこういう理由からなのだ。ひとりひとり、結構違う風に歌詞を、言葉を噛み砕いている。これでは、「定説」なんて生まれない。
「定説」なんて要らない、というのはひとつの本音で、私も普段はそうやって生きている。歌詞の解釈も自らの妄想全開である。何しろ勝手にひかるさんの想い人を自分に設定したりできるからね。んでも、こうやってweblogに投稿するとなると、やっぱり読者との「共通認識」みたいなものを形成してみたくなったりもするのでね。なのでちょっと考えてみよう。
呪文が実在して、それを『きみにあげよう』と歌う場合、いずれにせよ時が戻るのが確実なのはその『君』の方だ。どちらが呪文を行使するにせよ。ではなぜ『私』はそんなことをしようとするのか? 直前の歌詞でこう歌っているよね。
『友よ
失ってから気づくのはやめよう』
この『やめよう』がポイントなのだと私は思う。時を戻せる人が「やめよう」と言う時、それを「なかったことにできる」のだ。即ち、「(何かを)失ってから気づいた人」に対して「今度は失う前に気づいてね」と時間遡行の旅に送り出しているのだと、そう解釈できるんじゃないかなと。
もちろん「時を戻す呪文が実在する世界」自体はファンタジー/SFなので、この『Time』の物語全体自体が「あったらいいな」という願望の反映になるのだが、その願望のストーリーが虚構であるという現実が、戻らない時間の残酷さを突きつけてくれるのだった。うむ、切ない歌なのよね、どう転んでも。
ただ、もしそうだとすると最後の英語の歌詞の解釈が難しくなるのよね。ここ『if "I" turn back time』なんすよ。君にあげた筈の時を戻す呪文、英語部分では使うのは結局『私』なの!?という疑問が生じる。
ここをクリアする為には、例えば『Simple And Clean 』や『俺の彼女』のように、
「一曲の中で歌詞が複数の視点から歌われている」
という可能性を吟味する必要がある。つまり、『Time』での英語の歌詞パートは実は『君』の言葉かもしれないのだ。とするとここは
「私が君に時を戻す呪文をあげるよ」
「じゃあ僕が時を戻したら、貴方は僕のものになってくれるつもりなの?」
という会話になるのだった。(二人の立場を示す為に「私と君」「僕と貴方」の表記にしたがここは同性同士の会話な事をご了承うただきたい。)
これなら意味が通るのよね。
…というのが、まずひとつの解釈っすね。実際に時を戻す思考実験を通じてお互いの気持ちを確かめ合えるか合えないかの瀬戸際になるというね。
来週は別ルートからの解釈に挑戦してみたいけど、こればっかりは書き始めてみないと、やっぱりわからん! それまでしばしの間あでゅーっ。
お互い想い合ってるけど、それぞれ家庭とか他の人と関係があるので、恋人になんかなれないし自分の気持ちを伝えることができない。
いつも胸に秘めていたけど、最後に君に打ち明けることで恋人になれる状態にまで戻った。
伝えることでお互いに時を戻す呪文なんだとおもってます🐻
“あなた”→主人公の想い人
“友”“君”→リスナー??
と解釈していました。
が、この記事を読んで、“友”も“君”も過去の“私”なのか?と思いました。
“あなた”は大事な友人で、今の“あなた”との関係性も素晴らしいけど、時を戻せたらあなたと結ばれていたのかな、という歌と解釈…
“時を戻す呪文”は「愛してる」かなあ?