EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ASIA JAPAN TOUR 1983 パンフ

2012-02-20 18:00:27 | Carl&GregのエイジアinASIA
ASIA JAPAN TOUR 1983 パンフ


画像① 表 セカンドアルバムのジャケット


画像② 裏 新入りが最も大きく映っているが、
グレッグの手の位置がバンド内での立場の狭さを表しているか



画像③ 扉を開いた部分、大阪は1回だけだったのですね

レコードジャケットサイズとは考えたものです。
収納しやすいですからね。

エイジアの初来日に「ジョン・ウェットンがやって来ない」と知った時のウェットンファンは、さぞかし残念な思いをされた事と思います。

代わりにグレッグ・レイクが来日すると知った時は、ちょっと信じがたいものがありました。

まぁ、グレッグ・レイクの性格をしっかりと知っていたわけではありませんが、
そもそも人の作った曲だけを、
バンドの一員として平気で歌う事ができる人だとは、
露ほども思っていなかったからですね。

それと当時、
プログレファンで、エイジアも好きというのは、
一体どのくらいの割合を占めていたのか、
よく解らない部分がありますね。

しかし、グレッグがエイジアの一員として来日する事実は事実。

EL&Pファンクラブが手にしたペーパーによると、
一応、演奏させてみて合格みたいな、
ダウンズとハウによるオーディションまがいの事はあったようです。
また、先般、ご紹介したエイジア本によると、
グレッグは、ウェットンに電話をきちんと入れて承諾をしていただいたようでした。

当初は、カールだけを見るために、
2日間も武道館へ通えば良いかなと思っていたわけですが、
EL&Pファンクラブのスタッフに乗せられて、
3日間通う事になった次第です。

このパンフレットのグレッグ・レイクは、
ほとんどカッコ良くありません。

体型はそれほどでもないですが、
お顔がとっても丸いです。

それでも、ステージに立ったときは、
そんな感じもなくて、
数々のエイジアナンバーを無難にこなしていましたね。

新参メンバーなので、
他の3人に比して、
声援の少ないのが際立っていましたね。

パンフレットを見ると、
グレッグは今後のエイジアサウンドの鍵を握る人物として、
紹介されています。
しかし、後のグレッグのインタビュー等を読むと、
パーマネントメンバーになるつもりは無かったようですね。

ウドーとしても、緊急の代打でグレッグが来たことを、
ファンに告げるのもどんなものかなと思っていたのかも知れません。

ただ、この時、グレッグが来た事で、
EL&Pメンバーの、
それぞれ1人抜きのプロジェクトが、
結果的に完成する事に繋がったわけですね。

カール&グレッグ「エイジア」
キース&グレッグ「EL&パウエル」
キース&カール「3(スリー)」

EL&Pとしても、
ライブコンプリートBOXでも製作して、
これらのライブ音源をまとめて網羅して稼ぐと良いのですよ。

カールよ、
是非、そうしてください。

2012年2月20日 yaplog!