ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

青森てくてくさんぽ5

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
メモリアルシップ八甲田丸から、海上遊歩道の青森ラブリッジへ。木製の床が足に優しい橋で青い海公園への近道でもあり、途中から、八甲田丸の全景が見渡せます。渡りきった海沿いの園地は青い海公園で、アスパムのたもとに広がる臨海公園。昭和63年の青函博での受賞作が点在しており、眞坂雅文「協奏する樹々」や、飯塚八郎「風景の構造」、池田徹「風−標石,北より」など。青森港に向かって立つ二人の像は「赤い絲モニュメント」で、太宰治の小説「思ひ出」に出る、女性との運命の赤い糸に所以します。

ねぶたラッセランドは、祭に出陣する大型ねぶた22台の制作小屋。5月下旬〜8月に青い森公園に設置され、見学も可能です。野外アリーナを右に見て直進、公園の先端には、あざらしの像が並ぶ噴水。本物みたいに生き生きしてます。青い海公園の先、岸壁の向こうは港湾のたたずまい。明治天皇の来訪記念碑が立つ聖徳公園には大町桂月が陸奥・津軽を旅した紀行文「陸奥の海岸線」の碑や、海の記念日発祥の地碑も見られます。

青森観光物産館アスパムは、県の観光・物産の発進拠点施設。青い森ホールでは、360度2Dシアターで四季の映像を体感できます。三角形の建物の頂点・13階が展望台になっており、北側は陸奥湾越しに下北半島方面が、眼下には青い海公園と、新中央埠頭の園地が見下ろせます。南側は、八甲田山や田茂萢岳(たもやちだけ)の連山を遠望。ベイサイドも見渡す、市街一のビュースポットです。

青森てくてくさんぽ4

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
ワ・ラッセはオランダの建築家のデザインで、赤いルーバーを抜け、青森のブランドショップ・A-FACTORY前のデッキを過ぎ、斜張橋の青森ベイブリッジを見上げます。橋脚の階段の登り切ると、正面には青い海公園とアスパムが。西側は青森駅の広い構内と跨線橋から、メモリアルシップ八甲田丸も正面に見えます。眼下には、貨車を船に積み込んだ可動橋も。陸上と船内を繋ぎ、船の揺れに対応してます。側の青函連絡船戦災の碑には、全滅した悲劇の歴史が刻まれます。

可動橋の操作所を見て、青函連絡船の乗船通路だった跨線橋へ。かつてはホームの北端からこの通路を通り、青函連絡船に乗り継いでいました。メモリアルシップ八甲田丸は、引退した青函連絡船を係留展示した資料館です。八甲田丸は昭和39年に就航以来、23年7か月に渡り津軽海峡を運航、青函連絡船55隻の中で最長の現役期間で、昭和62年4月の最終航行もこの船でした。係留される場所はかつての連絡船桟橋で、今も往時の勇姿を見せています。

3階の「青函ワールド」は、昭和30年代の青函連絡船の風景を再現しています。青森駅待合室には、キオスクに並ぶ当時の雑誌と新聞、おみやげがレトロ。当時の時刻表では上野〜青森は約20時間、青森〜函館は4〜5時間かかったそう。奥羽線経由の急行津軽は昭和31年運行で、出稼ぎ列車とも呼ばれました。当時の青森駅前には、おみやげ用のリンゴの露店や、荷物運びの担ぎ屋、赤帽の姿も見られます。

青函鉄道連絡船記念室は、模型や資料をはじめ、当時の船内施設が懐かしいです。グリーン自由席は2人掛けのリクライニング。グリーン指定席は1人掛けで、自由席より広く、リクライニングも深く倒れます。寝台室は4人部屋。2段ベッドが向かい合い、入口にはソファセットも。浴衣の柄がJNRです。廃止直前の昭和62年の青函連絡船の運賃は2000円で、普通席と桟敷席が利用可。グリーンは自由席はプラス1100円、指定席は1600円。寝台料金はプラス2400円でした。船内には食堂もあり、ホタテ定食やイカソーメンなどが名物でした。接続列車内で配布される乗船名簿。薄緑は特別船室用、3本線入りは特急の車中で配布された印です。

4階の航海甲板では、ブリッジが見学可、丸い操舵ハンドルに、複数のプロペラを操る制御盤、レーダーが。ジャイロコンパスは舵と連動して、目的地に導きます。展望プロムナードの中央の煙突は、現在は展望台に。排煙パイプを観察しながら上ると、青森駅の青函連絡船乗換通路から現在の連絡船・青函フェリーが発着する青森港方面、かつて連絡船が航行した陸奥湾を隔て、夏泊半島の先に下北半島方面アスパムと青森ベイブリッジ。360度のパノラマです。

エレベーターで1階の車両甲板へ。貨車を搭載したフロアで、現在は車掌車、郵便荷物車なども展示されています。揺れや傾きに備え連結器や、1両ごとの緊締具などを装備。搬入口の船尾扉。波が入るのを防ぐため厚く、厳重に閉じられます。貨車航送は大正14年から始まり、八甲田丸は4本の引込線に、貨車換算で48両ほど搭載できました。搬入出時に可動橋に重い機関車が乗ると安定しないため、空の貨車「控車」を機関車と貨車の間に繋ぎ、そこが可動橋に乗る工夫がされました。旅客列車は航送しませんでしたが、展示にはディーゼル特急キハ82も。エンジンルームには、1600馬力のエンジンを8基搭載。青函トンネル開通前の、船旅の旅情があふれます。

青森てくてくさんぽ3

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
いったん青森駅へ戻り、ベイサイド方面へ。ねぶたの家ワ・ラッセはねぶた祭りの歴史や魅力を紹介・通年体感できる施設。2階のねぶたミュージアムには、製作技術や作風を展示しています。青森ねぶたは坂上田村麻呂の蝦夷征伐の祝いが起源ともいわれるほか、仕事中の眠りを防ぐ民族芸能「ねぶり流し」、津軽藩祖が創造したとの説もあります。大正期から観覧者が増え、昭和23年の市政50周年から現在の形になりました。

通路には弘前の金魚ねぷたが、群れで泳いでいるよう。歴代の大賞受賞作品の写真も、一堂に会してます。名人コーナーには、三代名人の佐藤伝蔵、四代名人の鹿内一生、二代名人の北川啓三のねぶた面を展示。スロープを下りねぶたホールへ行くと、前年に巡行・受賞した作品が並びます。最優秀製作者賞の「紀朝雄の一首、千方を誅す」は、紀朝雄が鬼たちを、一首の歌で討伐する様を表現。優秀製作者賞「神武東征」は、女性ねぶた師の北村麻子作。神武天皇が日本統治のため、大和国の豪族・長髄彦を討伐、その後に初代天皇に即位したという、日本の成り立ちを表現した作品です。

優秀製作者賞「瓊瓊杵尊と木花咲耶姫」は、北村春一作。夫婦神と子どもが、新たな時代を祝う姿を表します。春一氏と麻子氏は従兄弟で、それぞれの作品が一堂に会しています。

青森てくてくさんぽ2

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
アウガの東側の出口を出て、中央古川通りを進みます。沿道は市場の風情が続き、リンゴの品揃えが豊富なのはさすが。ニンニクも青森産はブランド物で、果物は素朴な木箱販売。古川市場・青森魚菜センターは青森市民の台所、古川市場の一棟の市場で、地元で水揚げの鮮魚や、近隣の農産品が集まります。鮮魚店の店頭を覗いてみると、生簀には大ぶりのカレイやヒラメ。スチロール箱もズラリ。吸盤の大きさが500円玉ほどあるミズダコも、元気に動いてます。

市場名物の「のっけ丼」は、市場内の店舗で好みの魚介などを少しずつ丼にのせてもらう丼。東北新幹線が新青森まで開通した平成22年に始まり、同スタイルが全国の市場へ普及したきっかけとされています。開始時間は7時で、チケットは150円券5枚か10枚綴り。ご飯が盛られた丼を手に、タネをのせるごとにチケットを出す仕組みです。タネ1種で、チケット1〜2枚が中心。できあがったら、フリースペースのテーブルでいただけます。

5枚のチケットを利用、まずは1枚使ってご飯をもらい、残る4枚で、地元の名物ローカル魚介を狙います。ホタテは陸奥湾産で、貝柱が太く丸々と分厚く、ヒモつきなのが嬉しいおまけ。本マグロの赤身は、チケット1枚で2切れ。イクラの醤油漬けをのせると、グッと海鮮丼らしく。栄養のバランスとボリュームを出そうとのせた名物のイカの飯寿司は、キャベツがたっぷりです。チケット5枚の海鮮丼は、色合いもきれいにまとまりました。マグロの赤身は瑞々しく、シャッキリした歯応え。6〜7月が旬のホタテは、貝柱の甘みが濃厚。米で漬け込んだ飯寿司は、程よい酸味がイカの旨みを引き立てます。別売りの味噌汁は、下北半島のふのりのぬめりが体によさそう。市場の一角でいただくご飯、オリジナルなのも味のうちです。

青森てくてくさんぽ1

2020年10月31日 | てくてくさんぽ・取材紀行
駅前から新町通りをすぐ、複合ビルのアウガ地下にあるアウガ新鮮市場は、元・ここにあった市場団地の店舗が入った市場。階段を下ると駅前市場の佇まい。鮮魚・塩干・野菜などの店舗が並びます。鮮魚店の店頭に並ぶのは、主に青森や北海道で水揚げの魚介。ソイ、アブラメ、ナメタカレイなどに、マダラは切り身に白子、アラなど、丸一匹食べ尽くすよう。ホタテは陸奥湾産のものも。小ぶりだが身が締まってます。貝焼き味噌の器として、ホタテの貝殻のみも販売。

イカは下北半島の大畑や風間浦が水揚げ地。陸奥湾でも揚がります。サケ・マスは北洋のものが多い中、道産のサケを並べる店も。魚卵はイクラや筋子が。粒の大きさや塩加減で値段が違います。カウンターの丸青食堂では、旬の魚介・野菜の日替わり定食が。場内は売り声は控えめで、ゆっくりと買い物ができます