ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん105…高知・天狗高原 『天狗荘』の山の味覚と、梼原町脱藩の道散歩

2008年11月23日 | ◆旅で出会ったローカルごはん

 土佐山田駅前の酒造レストラン「文蔵」で、土佐であい博モニターツアー最初の食事をいただいてから、午後の視察先に向けて一路、梼原村を目指す。昼食をとった香美市が、高知市のやや東に位置するのに対し、梼原村は高知県の西北端、愛媛県境に近いところに位置するため、ここから一気に西へ向かって大移動である。
 酒造レストランで期待していた試飲は、この後の視察があるためにお預けだったけれど、酒が入っていないにも関わらず、バスが高知自動車道に入ってしばらくしたら、心地よい揺れについ、午睡。再び目覚めると車窓の風景は一変、のどかな田園地帯だったのが、緑に包まれた深い山間を縫うように、バスは走っていく。黒潮に面した南国風景のイメージが強い高知だが、北部の県境あたりは四国山地であり、高知の「山」を実感する風景が続いていく。

 そんな山間風景がやや開けたところで、梼原町の中心地が見えてきた。四国カルストも有する高原の町で、「高知の中でも秘境と呼ばれるところなんですよ」と笑う役場の方。町は地図で見ると、ちょうど愛媛県側に張り出すように位置している。町の面積の9割を山林が占めるという林業の町で、役場の庁舎も木材を多用した立派な建物だ。
 そしてこの村は、坂本龍馬の足跡をたどる上で、重要な場所でもある。強い尊皇攘夷思想を掲げる土佐勤皇党との思想のずれを感じた竜馬は、1862(文久2)年に土佐藩を脱藩するのだが、その時にこの梼原町を経て、伊予国(愛媛県)の大洲へと無事、脱藩を果たしている。町ではその「脱藩の道」を中心に、町に残る竜馬の足跡や、町ゆかりの志士たちの史跡を巡るプログラムを用意。案内人が先達をつとめてくれるというから、これまた自分ぐらいの竜馬の知識でも、分かりやすく楽しめるらしい。

 役場のエントランスホールで案内人の到着を待っていると、しばらくして3人の侍が登場した。うちふたりは長髪を後ろで束ねており、これは言うまでもなく竜馬だ。もうひとりは角刈りのやや強面(?)で、さっき竜馬歴史館で見た岡田以蔵風。土佐勤皇党に関わり、要人の暗殺に暗躍したとされる「人斬り以蔵」は、マンガ・ゴルゴ13のようなスナイパーといった役割で、幕末の歴史ファンには人気のある人物である。
 このお三方が本日の案内人とのことで、竜馬ファンにとってこのゴージャスなメンバーと脱藩の道を歩くのは、感動モノの体験だろう。役場に近い、昭和23年築の芝居小屋・ゆすはら座を見学して、里山のはずれをゆるゆると登り、茅葺の小さなお堂のような場所でひと息。「茶堂」というこの建物、仏が祀られた信仰の場であるとともに、地元の人たちの社交場でもあったという。名のとおり、昭和30年代頃までは、地区の人たちが交代で茶菓子による接待を行っていたとか。

 

茶堂の縁側に腰掛ける、ガイドの3人。右の掛橋邸は、吉村虎太郎の屋敷跡に建つ

 趣のある茶堂の縁側に、3人の侍に腰掛けてもらうと、これが絵になること。実はお三方とも、「土佐であい博」公式ガイドブックの、脱藩の道コース掲載の写真のモデルでもあり、誌面を見ると峠道にたたずむ3人の後姿の写真が、なかなかさまになっている。
 「後姿だとかっこいいんだけどね」と笑っているおひとりの本職は、地元で建設業を営んでいるとのこと。竜馬も以蔵も30才そこそこで逝去したが、こちらの志士の方々は子だくさんの方、孫がいらっしゃる方と、バラエティに富んでいる。強面以蔵が、地元のおばちゃんとすれちがう際にニコニコ愛想よく挨拶していくのが、なんだか可笑しい。とはいえ、このいでたちによれよれの着物で「…ぜよ」「…じゃきに」と土佐弁で語られれば、脱藩の志士の風格は存分に感じられる。

 茶堂から下ったところにある六志士の墓には、土佐脱藩第一号の吉村虎太郎、槍の使い手である那須俊平、脱藩者を経済的に支えた掛橋和泉など、梼原ゆかりの志士が眠っている。竜馬が脱藩の際にこのルートをとったのも、彼らの支援により安全に脱藩できることを期待したからといわれている。
 志士のひとり、掛橋和泉の邸では当時、この土地の志士たちが集っては、囲炉裏を囲んで議論したといわれる。現在はもと吉村虎太郎宅があった場所に、旧掛橋邸の茅葺の庄屋屋敷が移築されていて、囲炉裏もちゃんと残っていた。現在は集会所として貸し出されているそうだが、案内人の3人と囲炉裏を囲んで、茶碗酒を酌み交わすようなプランがオプションにあると、さらに人気が出るかも。
 そして、このガイドウォークのハイライトといえるのが、三嶋神社だ。町内産の木材をふんだんに使った、屋根つきの神幸橋を渡った境内には、樹齢400年のハリモミの木がそびえている。「この木は、脱藩する竜馬の姿を見下ろしてたかもね。今から140年前だから、今より低かったろうけれど」と語る以蔵氏の言葉に、時を越えたリアリティが感じられてならない。竜馬はあの樹の幹にも触れただろうか、その辺にあった切り株に腰掛けて、ひと息ついたのだろうか。
 三嶋神社の裏手の山道が、であい博のガイドの写真の撮影ポイントなので、せっかくだからお三方に歩いてもらって撮影タイムを設けてもらうことに。逆光の中、山道を登っていく3人の侍の後姿は、故郷を捨てて「日本の夜明け」に向けて歩みを進める覚悟、といった趣がある。
 が、逆に坂の上から登ってくる様子を3人の正面からカメラを向けると、みな意識してどうしても笑ってしまっている。撮った画像をチェックしたら、緊迫した脱藩シーンというより、侍コスプレで里山ハイキング、といった風情だ。先ほどどなたかが話していた、「後姿のほうがさまになる」というのも、ごもっともか?

 

三嶋神社境内裏手の山道を、脱藩の志士が登っていく。右がこの日のガイドさんで、
左から川上さん、下元さん、西村さん。

 脱藩の道を歩む竜馬と那須俊平、戦装束の吉村虎太郎ら梼原ゆかりの志士たち、それを見守るように後方に立つ掛橋和泉と、志士オールスターの銅像が並ぶ広場「維新の門」の前で、ガイドツアーは無事、終了となった。お三方とはこのままのいでたちで、夜の宴席にご参加いただくと盛り上がるところだが、名残惜しいがここでお別れである。
 今宵の宿泊先に向けで、バスは山峡をさらに奥へと走る。険しい斜面を九十九折で登り続け、地芳峠を経て四国カルストの高原地帯へと入った。すでに日は暮れており、緑の山腹に白い石灰柱がボコボコと顔を出した独特の景観は見られないのが残念。このあたりは、高知と愛媛の県境が錯綜しており、走っている道路も両県を行ったりきたりしているよう。
 この日宿泊する、天狗高原の「ふれあいの家天狗荘」は、標高1400メートルの高所に位置し、四国カルストはもちろん、遠く石鎚山、さらに太平洋まで一望の、眺望抜群の宿である。建物は両県にまたがって建っており、館内の全フロアに、高知と愛媛の県境のラインがひいてあるのが面白い。

 夕食もお昼と同様、里と山の味覚盛りだくさんの料理がズラリ並んだ。三種盛りには、切干よりも風味が強烈な干しダイコンに、ねっとりと濃厚な今年とれたサトイモ、肉厚で山の芳香プンプンのシイタケフライ。煮物はゼンマイにシイタケ、カボチャに、お昼の田舎寿司でもいただいたタケノコ、こんにゃくも盛ってある。山菜はシャッキリ、クキッとした歯ごたえで、酢の物のミョウガ、ウドとともに、こちらも香りが鮮烈だ。
 これは酒が進むいい肴、ということで、お昼にお預けとなった、土佐山田・アリサワ酒造の「文佳人」が、ようやくここで登場である。土佐の酒は俗に「淡麗辛口」とくくられるように、魚介に合うさっぱりと切れのいい印象だが、これは口当たりが甘くボディがどっしり、なのに後味はキリッとした、実に飲みごたえのある酒だ。さらに出された栗焼酎は、トロリとなめらかな甘みがまるで高級ブランデーのよう。
 
酒が入っていくにつれ座が盛り上がり、宿の事務局長さんも宴席に参入してきた。上方漫才のかつての重鎮的コンビの、破天荒なあの方にそっくりの風貌だと思っていたら、お約束らしくメガネ探しのパフォーマンスを披露していただくなど(笑)、サービス精神旺盛だ。天狗高原の話になると、全国の天狗ゆかりの地に声をかけての「天狗サミット」の開催、四国カルストから天狗高原への自転車レース「ツール・ド天狗」など、同席者からもいろいろな面白いアイデアが飛び出してくる。中には夫婦和合や子宝のご利益で売ってみては、など、酒の勢いもあってちょっと危ない提案も?

館内を貫く県境をまたいで立ってみる。料理は中央がニジマス、右がシイタケのフライなど。

 四万十源流育ちというアメゴのあんかけ、ニジマスの刺身、雉鍋と、魚も肉も山の味覚を堪能、締めの棚田米のご飯をいただくと、かなり満腹となった。腹ごなしと酔い覚ましを兼ねて、屋外で満天の星空をスターウォッチング、の予定が、今日は見事な満月。残念ながら一等星や二等星、金星、カシオペヤぐらいしか判別できなかった。晴れていれば四国最高峰の石鎚山や、遠く土佐湾も望めるそうで、目を凝らすと室戸岬灯台の赤い灯が、時折点滅しているのが分かる。
 星は眺められなくても、見上げた満月は空気が澄んでいるからか、それとも高所だからか、まばゆいばかりの輝き。都会で見る月よりもやや大きく見えるようで、餅をつくウサギの影も、くっきりと肉眼で拝めるほどだ。月明かりは脱藩する者にとっては、闇の中行き先を照らすありがたい存在だったのか、それとも追っ手を逃れるにはやっかいな存在だったのだろうか。ウサギを眺めつつ、竜馬も梼原のどこぞの峠か山道で見上げていただろう、140年前の月明かりを想像してみた。(20081113日食記)



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