彩り鮮やかな祭り寿司。この日の具の主役はやはり、サワラ
朴葉焼きに使っている味噌はどこのものだろう、と思っていたら、和服の女性が通りかかったので、店の人かと思って声をかけると「サワラ小町」なる襷をかけていらっしゃる。この方もサワラのPRご担当なのだが、その手段が「サワラ踊り」とのこと。本職はダンスの講師や振付師である一方、サワラ踊りの創始者でもあり、踊りを披露する「岡山さわら連」の総代もなさっているという。
同席頂き、岡山の観光PRをつれづれにお話頂いたが、何につけてもサワラがからんでいるところが、さすがというか面白い。桃太郎伝説に関わる古文書に「さわらさしみ」なる文字が残っているとか、岡山は「津」の字がつく土地が多いのは、入り江が豊富な名残でサワラがよく水揚げされたとか、吉備路で盛んだった製鉄では、サワラを刺身におろす包丁もつくっていたとか。事実かどうか? はともかく、聞くにつれやっぱり岡山は古くからサワラなんだな、と妙に納得させられてしまう。
飛騨名物料理をアレンジした、サワラの朴葉焼き
刺身よりやや厚めのサワラを、鍋をぐるっと1周だしにくぐらせて半煮えで頂くと、身はしっとり、熱が適度に加わりしゃっきりとした食感に。脂ののりが程よい分、ブリのしゃぶしゃぶよりも軽く食べやすい。野菜の中でも、岡山特産の黄ニラが珍しく、プンとスタミナがつく香り。味付けは酒の肴になるように薄味とのことだが、醤油が効いていて濃い目の味に、かえって酒が進んでしまい地酒「瀬戸の魚島」をもう一本。サワラ小町直々のお酌もあり、酔いもいっそう深まること。
総代直々のさわら踊り。手の動きがダイナミック
その踊りの最中に片手に頂いたのは、本日の品書きにないサワラ料理。何とサワラまん、つまりサワラの肉まんだ。マグロの水揚港である三崎でも、マグロを使った「とろまん」なる肉まんがあり、これと同じタイプのもの。中身はサワラのフレークにたっぷりの野菜、濃厚な味付けが結構普通の中華の肉まんに近い。しかし料亭の味のみならず、庶民的なテイクアウトにまで進出しているとは、岡山のサワラ恐るべし。
鰆まんは肉まん風。濃い目の味わいで食べ応えあり
江戸期の岡山は、藩主だった池田光政が出した質素倹約令の影響で、派手なことに対しての取締りが厳しかった。とはいえ庶民は、うまいものが食べたい。そこで考えたのが、白飯の下に様々な具を敷いて、見た目は白いご飯だけ、という風にして誤魔化すこと。食べる際にはひっくり返せば、豪華な祭り寿司の登場、という訳だ。近頃は具を酢飯の上にのせたり、中に混ぜ込んだりするのが主流のスタイルだが、本来はこのようにひっくり返して食べるのが正統派・祭り寿司なのだとか。
この日の祭り寿司の主役はやはり、サワラだ。具にサワラの酢締めがのっているだけでなく、ご飯はサワラを締めた酢で酢飯をつくり、さらに具の野菜もサワラのアラからとっただしで煮込んである、まさにサワラづくしの祭り寿司である。
運ばれてきた小丼には、飯の上に錦糸卵を敷いた上に、サワラほかエビ、アナゴ、野菜はサヤエンドウにレンコン、シイタケと、確かに具だくさん。錦糸卵の黄、エビの赤、サヤエンドウの緑と、鮮やかな色合いが食欲をそそる。
強めに酢締めしてあるサワラは身がしゃっきり、皮の部分がコリコリとした歯ごたえ。アナゴは焼き目がついていて、香ばしく身がホッコリ。野菜もどれもしっかり下味がついていて、締めにはうれしい優しい味わいだ。本格的な祭り寿司では、具に使う食材は何と、30種類以上。それをご飯に混ぜ込み、さらに上にも並べるという豪華版だ。加えてどの具材も酢の加減、味付け、煮加減など下ごしらえはそれぞれ異なるから、家庭で作る際は朝から丸一日かかる大仕事だとか。何とも手間もかかる「倹約料理」で、池田藩政下での岡山庶民の、うまいものを食べたいという執念が伝わってくる。
さわら踊りによる盛り上がりのおかげで、いつのまにかすっかり座がくだけ、中締めの挨拶後も宴は終わる気配がない。締めの祭り寿司ですっかり満腹、酒も結構回ったこともあり、ここらで失礼することに。
これまで岡山方面への旅行といえば、美観地区のある倉敷へはじっくり時間をとっていたけれど、岡山の市街はほとんど訪れたことがない。日本3名園のひとつ・後楽園に、黒漆喰の板塀で「烏城」と称される岡山城と合わせて、こんどの旅ではサワラ料理も頂いて市街で1泊するのもいいかな、と、すでにサワラによるPR効果が出始めているかも。片手には岡山の観光パンフレットがいっぱい入った袋、そしてもう片方は店の人にお願いして、こっそり? 祭り寿司を1人前テイクアウトした折を手に、道玄坂を下る足取りは、銘酒「瀬戸の魚島」のおかげで少々千鳥足かも。(2007年11月4日食記)