ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル魚でとれたてごはん…大阪・伝法漁港とその界隈

2016年09月10日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
大阪は「水都」と呼ばれ、淀川や安治川や大川をはじめとして支流や水路がきめ細かく錯綜している。豊臣秀吉が当地を収めていた頃、水運に重きを置いた街づくりをした面影が見られる一方、湾岸に目を移すと河口域のかなり沖まで埋め立てが進み、難波津(なにわつ)の港が開けていた往時の風情は望むべくもない。海の玄関口である南港や北港は、貨物やフェリーのターミナルとして機能しているが、「魚庭(なにわ)」とも呼ばれていた好漁場へと出漁していた漁師たちの拠点となっていた漁港は、市街にはその痕跡すらほぼ見られない。豊饒の海を目の前にする街の立地からすると、都市型漁業にもっと力を入れてもいいように思えるのだが。

そこで市の文献を調べてみたところ、市内に「漁港」の体裁を有する船溜りは数カ所あり、うち淀川の河口域に近い此花区の「伝法入船(通称・伝法漁港)」は、拠点とする漁船数も多く周囲に漁師町らしい風情が残っているという。食い倒れの街のローカルな漁業拠点を見に行くのも面白いと、大阪環状線の西九条駅から阪神電車に乗り換えてふた駅。最寄りの伝法駅から淀川方面に向けて、大都市大阪の片隅ならではの漁港の町散歩に出かけてみた。

歩いていると右手方向に淀川の堤防が眺められ、それに沿って伝法の集落が広がっている。地名は仏教伝来の由縁からついており、沿道には寺町が形成。伝来の地とされる西念寺など寺域の広い社が、黒板塀に格子戸やうだつがあしらわれた古民家ともに点在している。路地を覗くと、下町のような長屋風の宅地が並ぶ奥寄りすぐに、高い堤防が迫ってきているかのよう。あたりは海抜0メートル〜マイナスの地帯だから、水のすぐそばで暮らしが営まれている感じがする。

小道の突き当たりは土手に遮られており、登りきったところで景色が開ける。穏やかに流れる淀川の川幅は、約800メートルほどと広い。高速道路と阪神電車の長い鉄橋と向こうには、六甲の山並みも遠望できた。付近は淡水と海水が混ざる汽水域のため、ウナギやシジミ、ボラ、ハゼ、モクズガニなどの川魚が多種棲息しており、古くからこれらを狙った漁業が盛んだった。近年こうした漁獲が見直され、「淀川産(もん)」と称し流通に力を入れているという。伝統の筒漁「たんぽ漁」で漁獲される天然ウナギのほか、シジミも「ベッコウシジミ」と呼ばれブランド化されている。棲息域が砂地のため、名の通りの色なのが特徴。泥地に棲む殻の黒いシジミより澄んだ味わいのため、市内の料亭で珍重されているそうである。

シジミは「じょれん」という、大型の籠付き熊手のような漁具を用い人力で川底を掻いて漁獲するのだが、時期的に操業する様子は見られず堤防上をさらに先へ。やや河口寄りに歩いたところから、急に漁港らしい風景になってくる。大阪市漁協の建物の先に、土手を切り取って水門が設けられており、ここからあたりを俯瞰できた。5〜6メートル幅の水路が延びた先に船溜りが見え、レジャーボートとともに20隻ほどの漁船が係留。周囲には網の修繕屋、造船所のクレーンも見られ、それなりの雰囲気が漂う。淀川の土手と船溜りに挟まれた土地には民家が密集しており、近くにはマンション群も迫るなど、まさに都市型漁港の典型的眺めである。

大阪市漁協は淀川の川魚漁のほか、大阪湾の最奥という立地から内湾沿岸漁業も操業しており、こちらはボラやスズキ、アナゴなどが漁獲の中心である。主たる漁法はイカナゴやシラスを狙う船曳網だが、その名が「パッチ網」、すなわち大阪で言うももひきに網の形状を例えているのがユニークだ。伝法漁港でもこうした漁法・漁獲で操業しており、船溜りへ降りてみると小型〜中型の漁船がほとんどのよう。船首にローラーの巻上げ機、船尾に船外機のみ装備したボートも多く、河川や河口部沿岸の漁ならこれで充分なのだろう。訪れた季節と時間帯のため、あたりは人気がなくひっそりとしているが、春先はイカナゴにシラス、シジミの水揚げで賑わい、漁協では直売も行われるという。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿