ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

倉吉てくてくさんぽ2

2020年09月05日 | てくてくさんぽ・取材紀行
山頂には伯耆国の守護・山名師義が築いた城郭の跡がある打吹山を見て、打吹公園通りを渡りさらに先へ。高田酒造は、天保14年に造られた造り酒屋。格子や軒には倉吉の町家の特徴を表しており、厨子(つし)二階建て、吹き抜けの空間や使われる部材に見応えがある。黒壁に細い格子の狭い二階が、落ち着きと重厚さを醸し出す。店頭には、立派な福だぬきの姿も。その先、かつてアーケード商店街だった西町商店街には、当時のレトロな看板がそのまま残る店舗が。まきた旅館の前には、一木に七福神の顔をすべて彫り込んだものがあり、見るからにすごいご利益がありそうだ。

西町にある豊田家住宅は、もと呉服屋。明治時代建築の主屋は、倉吉の伝統的な町家の形式を保持している。玉川を渡った先の倉吉淀屋は1760(宝暦10)年建築の、倉吉に現存する最古の町家建築。間口は26メートル、内部は三間が並び、表が店の間で奥に生活の間、さらに客用の間。玄関は籠が直接入れる、珍しいつくりになっている。「淀屋」の屋号を持つ牧田家は、倉吉を代表する商家。大阪の同名の豪商と、密接な関係だったといわれている。近くの銭湯「大社湯」は、ガラス戸に男湯・女湯の文字が書かれ、ホーロー看板も見られる昭和の趣だ。

玉川沿いには長さ400メートルほどに渡り、白壁土蔵群の土蔵群が続く、江戸~明治期に防火用水の玉川沿いに造られ、蔵の基礎部分は倉吉産の安山岩を用いるなど、防火対策が施されている。板は焼いてあるので、腐りにくい上に景観にもアクセントも。水路にかかる橋は重く高価な一枚石で、当時の豪商の財力も伺える。奥寄りが沿道に赤瓦の建物が並び、白壁と杉板の土蔵が続く景観が見られる。水路に面してエキゾチックな外観を持つ大蓮寺の境内には大阪の豪商・淀屋清兵衛一族や、七福神の弁財天が祀られている。

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