ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

倉敷てくてくさんぽ4

2021年02月24日 | てくてくさんぽ・取材紀行
通りの先は大原美術館をはじめ、大原家ゆかりの施設が集中。大原家の別邸で迎賓館の「有隣荘」は、緑瓦の屋根が印象的で「緑御殿」との別名も。日本庭園と蔵を有する大原本邸が向かい合います。

江戸期に新田・塩田開発で台頭、倉敷を代表する豪商だった大原家。6代目の孝四郎は倉敷銀行や倉敷紡績所(クラボウ)を設立、7代目の孫三郎は倉敷絹織(クラレ)を設立するなど、倉敷の産業の発展に貢献しました。大原家は倉敷を、観光地に整えたことでも知られます。孫三郎は大原美術館を開設。その長男の總一郎は岡山県民藝協会を設立して、町並みを観光風致地区とする働きかけを行い、それが倉敷美観地区へつながりました。

イオニア式の柱と丸窓が目を引く、大原美術館の建物。エル・グレコ『受胎告知』モネ『睡蓮』などが主な収蔵作です。昭和5年に大原孫三郎が設立した、日本初の私立西洋美術館の大原美術館。所蔵品は近代洋画家の児島虎次郎が、渡欧して収集したもので、ゴーギャン『かぐわしき大地』ルノワール『泉による女』も主な収蔵作です。展示は世界的名画の本館、近代洋画と現代アートの分館、虎次郎が収集した東洋古美術や棟方志功の版画などの工芸館からなり、ロダンの野外彫刻やモネ邸から株分けの睡蓮の池など、順路の沿道も見どころ豊富です。

本館に隣接する新渓園は、明治26年築の大原孝四郎の別荘。56畳の大広間を有する数寄屋風建築「敬倹堂」からは池泉回遊式の、近代日本庭園が一望できます。大広間からの庭の眺めは、額縁付きの一枚の絵のよう。作庭は京都の庭師の七代目小川治兵衞。四季の移ろいも見もの。新渓園は分館に隣接しており、芝生に並ぶ、ロダンやムーア、イサム・ノグチなどの彫刻が鑑賞できます。

倉敷てくてくさんぽ3

2021年02月24日 | てくてくさんぽ・取材紀行
本町通りは鶴形山の山裾に新田開発で作られた、倉敷の町の発祥のエリアです。街道筋の物資の集散地として、商家や庄屋の建物が建ち並び、大正〜昭和には鍛冶屋、呉服屋、桶屋などが集まる職人町として賑わいました。倉敷川畔からひと筋北側の通り。美観地区からやや離れていて、人通りが少なく静かな佇まい。生活感も漂います。

沿道には町家を改装した店舗が点在。古書の蟲文庫。地元の岡山文庫ほか、苔好き店主の著書も。かつては倉敷の中心街。阿智神社の門前でもあり昔の佇まいが。フェリシテはパリの蚤の市で仕入れたアンティークと、カフェの店。ジャズバーのアヴェニュウの店頭で、こんなユニットが演奏中でした。「萬年雪」の森田酒造は明治43年創業、美観地区唯一の造り酒屋です。

美観地区のそばまで来ると、人通りが増えてきます。旧第一合同銀行の建物の、中国銀行のところで折れて、多様な塀が見られる道を、倉敷川方面へ。途中には地元で「ひやさい」と呼ばれる路地。土蔵に囲まれた静かな一角です。

倉敷てくてくさんぽ2

2021年02月24日 | てくてくさんぽ・取材紀行
阿智神社東参道の石段は188段。下から88段の「米寿坂」、61段の「還暦坂」と、隋神門まで33段の「厄除坂」。途中まで下り、山腹を巻いていく道から、西側へと下る小道へ。民家の間の路地のような、狭い石段をゆくと、斜面から、本町通りを見下ろせます。スロープを下っていくにつれて、瓦屋根が目線の高さに。波打つように続いています。倉敷八十八ヶ所霊場の、十一面観音の祠を折り返すと本町通り。塗屋造の町家が連なり、江戸時代の面影をとどめます。

本町通りを東へ、通りを渡った先は東町通り。本町通りから続く街道筋の一角です。沿道には豪商の屋敷や商家が集中。整った町並みが続きます。楠戸家住宅は「はしまや」の屋号の、創業明治2年の呉服店。ガス灯と軒屋根看板が目印。米蔵や炭蔵が現存します。防火のために備えた袖うだつや枠と縦格子も漆喰で造られた虫籠窓、黄土壁の数寄屋造の建物は、かつての呉服問屋。邸宅の敷地から見越しの松が、通りを見下ろします。

黒塀に沿って歩いた先には、焼板の腰壁をあしらった、なまこ壁の土蔵。沿道に配された石は、道路と敷地との境界を示すもの。中ほどで交わる通りの角には、江戸期の道標が配され、岡山、下津井、吉備津の文字。表通りはかつての街道。古くから賑わった倉敷の面影を、今もとどめる通りです。

倉敷てくてくさんぽ1

2021年02月24日 | てくてくさんぽ・取材紀行
駅前広場をデッキで周回、地元系百貨店の天満屋もモダンな外観。歩道橋を降り、途中から入ったアーケード商店街は倉敷センター街。十字に交差する商店街で、地元向けの飲食店が目立つ、活気のある雰囲気です。南側への通りへと折れ、突き当たりで倉敷えびす通商店街に合流。美観地区へと続くアーケードで、倉敷えびす商店街へ繋がっています。倉敷えびす通商店街・倉敷えびす商店街は、阿智神社参道そばの戎社が名の所以。かつては界隈の町名も戎町で、鉄道開通後は駅前商店街として賑わいました。美観地区へ、雨や日差しを避けて行けるアーケードです。

倉敷えびす通商店街は、ファッション系の店が中心。地元の人の普段使いの店が並ぶ、ローカルな雰囲気です。地元のパン屋が経営する喫茶戎町など、進むにつれて、町歩きの休憩向けのしゃれた店も。商店街のキャラのえべっさん像。撫でた場所がよくなるとも?倉敷えびす商店街に入ると、沿道に生活雑貨やクラフトの店が点在。「肉のいろは」は、揚げたてのコロッケが評判です。美観地区に近づくにつれ、土蔵造の店舗が目立つように。倉敷最古の備前焼の店、陶備堂。湯呑みや花瓶など手頃な品も。

えびす饅頭、ガラス工芸の田中商店を過ぎ、アーケードを出ると、標高35mの鶴形山にある、阿智神社の西参道の前へ。禁門の鳥居をくぐり、大岩「磐座」を拝んで石段を登ります。眼下には倉敷の市街から、歩いてきたアーケードを一望。幕末の長州奇兵隊の刀傷が山門に残る、観龍寺の境内を回り込み、鳥居を抜け、鶴形山の山腹を行く石畳の道を歩きます。右下に美観地区を俯瞰。木々の間から白壁瓦屋根の町並みが。本町通りからの東参道の石段に合流。随神門をくぐり境内へ。拝殿と、宗像三女神が祀られる本殿が構えます右手には神楽殿と社務所。奥には土蔵も。

創祀1700年を超える、倉敷の総鎮守の阿智神社。かつて周辺は浅海で鶴形山は島だったため、主祭神の宗像三女神は航海安全の神様です。その一つの市寸嶋比売命は芸能上達、技能向上、商売繁盛、美容健康の神でもあります。境内には航行の目印となった高灯篭、樹齢300〜500年の阿知の藤などのほか、西参道の磐座や日本最古の古代庭園の天津磐境など、巨石や奇岩が多数。祭祀の場として使われたとされ、神社の歴史の古さを伝えます。

斜面に建つ懸造の絵馬殿。天井には干支の恵方盤。山裾に広がる倉敷の町は、かつては浅瀬の阿智潟。この後訪れる、倉敷川沿いの美観地区の町並みも見下ろせます

三原てくてくさんぽ6

2021年02月24日 | てくてくさんぽ・取材紀行
港のそばを通る国道185号の周辺は駅前の飲食店街で、ご当地名物、タコの看板が誘います。三原港フェリーターミナルは、瀬戸内海方面への交通の拠点。因島、佐木島、生口島など、芸予諸島の島々へフェリーや高速船が運行。ウサギと要塞の島、大久野島へもアクセスできます。国道185号をくぐる城町地下道には、やっさ踊りの壁画が華やか。出たところは、三原駅と三原港フェリーターミナルを結ぶマリンロードで、この周辺にも、飲食店が集中しています。舗道沿いの車止めの、ところどころにタコのオブジェが。表情豊かな10体が、沿道を賑わせます。怒って真っ赤になった「怒りダコ」くんに、ウィンクがかわいい「もてダコ」。合格ダコ、はぶて(ふくれ)ダコも。

アーチを抜けると、正面は三原駅ですが、もう一つの三原城跡の史跡にも、足をのばしましょう。石垣の護岸の水路「舟入」に沿って上っていくと、門をくぐって曲輪の中へ。園地には礎石などが残ってます。三原城船入櫓は、かつて二ノ丸から海に向け張り出した曲輪です。瀬戸内海に面した城郭、かつ毛利水軍の拠点となった軍港だった名残で、三方を海に接し海上からの攻めに対する防御の要として機能していました。現在は市街地の一部ですが、「備後國三原城繪図」によると海へ突き出ているのが分かります。天主台とともに、駅前にある貴重な城郭の遺構です。