通りの先は大原美術館をはじめ、大原家ゆかりの施設が集中。大原家の別邸で迎賓館の「有隣荘」は、緑瓦の屋根が印象的で「緑御殿」との別名も。日本庭園と蔵を有する大原本邸が向かい合います。
江戸期に新田・塩田開発で台頭、倉敷を代表する豪商だった大原家。6代目の孝四郎は倉敷銀行や倉敷紡績所(クラボウ)を設立、7代目の孫三郎は倉敷絹織(クラレ)を設立するなど、倉敷の産業の発展に貢献しました。大原家は倉敷を、観光地に整えたことでも知られます。孫三郎は大原美術館を開設。その長男の總一郎は岡山県民藝協会を設立して、町並みを観光風致地区とする働きかけを行い、それが倉敷美観地区へつながりました。
イオニア式の柱と丸窓が目を引く、大原美術館の建物。エル・グレコ『受胎告知』モネ『睡蓮』などが主な収蔵作です。昭和5年に大原孫三郎が設立した、日本初の私立西洋美術館の大原美術館。所蔵品は近代洋画家の児島虎次郎が、渡欧して収集したもので、ゴーギャン『かぐわしき大地』ルノワール『泉による女』も主な収蔵作です。展示は世界的名画の本館、近代洋画と現代アートの分館、虎次郎が収集した東洋古美術や棟方志功の版画などの工芸館からなり、ロダンの野外彫刻やモネ邸から株分けの睡蓮の池など、順路の沿道も見どころ豊富です。
本館に隣接する新渓園は、明治26年築の大原孝四郎の別荘。56畳の大広間を有する数寄屋風建築「敬倹堂」からは池泉回遊式の、近代日本庭園が一望できます。大広間からの庭の眺めは、額縁付きの一枚の絵のよう。作庭は京都の庭師の七代目小川治兵衞。四季の移ろいも見もの。新渓園は分館に隣接しており、芝生に並ぶ、ロダンやムーア、イサム・ノグチなどの彫刻が鑑賞できます。
江戸期に新田・塩田開発で台頭、倉敷を代表する豪商だった大原家。6代目の孝四郎は倉敷銀行や倉敷紡績所(クラボウ)を設立、7代目の孫三郎は倉敷絹織(クラレ)を設立するなど、倉敷の産業の発展に貢献しました。大原家は倉敷を、観光地に整えたことでも知られます。孫三郎は大原美術館を開設。その長男の總一郎は岡山県民藝協会を設立して、町並みを観光風致地区とする働きかけを行い、それが倉敷美観地区へつながりました。
イオニア式の柱と丸窓が目を引く、大原美術館の建物。エル・グレコ『受胎告知』モネ『睡蓮』などが主な収蔵作です。昭和5年に大原孫三郎が設立した、日本初の私立西洋美術館の大原美術館。所蔵品は近代洋画家の児島虎次郎が、渡欧して収集したもので、ゴーギャン『かぐわしき大地』ルノワール『泉による女』も主な収蔵作です。展示は世界的名画の本館、近代洋画と現代アートの分館、虎次郎が収集した東洋古美術や棟方志功の版画などの工芸館からなり、ロダンの野外彫刻やモネ邸から株分けの睡蓮の池など、順路の沿道も見どころ豊富です。
本館に隣接する新渓園は、明治26年築の大原孝四郎の別荘。56畳の大広間を有する数寄屋風建築「敬倹堂」からは池泉回遊式の、近代日本庭園が一望できます。大広間からの庭の眺めは、額縁付きの一枚の絵のよう。作庭は京都の庭師の七代目小川治兵衞。四季の移ろいも見もの。新渓園は分館に隣接しており、芝生に並ぶ、ロダンやムーア、イサム・ノグチなどの彫刻が鑑賞できます。