ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

焼津てくてくさんぽ7

2021年02月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
オーシャンロードに戻り、陸側のけやき通り方面へ。黒石川畔の磯自慢酒造は1830(天保元)年創業、魚介に合う酒です。南北1.2kmの浜通りはその滞在の家があったことで「八雲通り」とも。焼津の水産業が盛んになったのは江戸期からのことで、浜通りは当時、船元や漁師、魚屋などが軒を連ねた、いわば焼津が漁業の町となった礎ともいえる通りです。新港が近い北側の北浜通と、磯自慢酒造のある南側の鰯ヶ島が、かつての漁師町。中ほどの城之腰には鮮魚店や加工場が集まり、今も当時の町並みをとどめています。沿道にはカツオ節の加工を中心に、様々な屋号の看板が。焼津には400を超える屋号が残り、その数日本一とも。浜通りでは苗字より、屋号で呼んだ方が通じやすいそうです。寺社も多く、航海の安全と大漁祈願がされてました。

庚申塔のある札の辻あたりから、城之腰になります。マルハチ村松があるあたりは、今も水産加工の店が集中。格子の重厚な建物の軒に、屋号の縦看板が並び、往時を思わせる町並みが続いています。だしの「マルハチ村松」と生利節の「ぬかや斎藤商店」が隣接。あたりには、カツオの香ばしい匂いも漂ってきます。城之腰の中ほどにある常照寺。漁師が引き揚げた魚藍観音ほか、六地蔵の先には吹出物に霊験ある、瘡守稲荷も。商店の軒先には、懐かしいホーロー看板も健在です。浜通りは、かつて海岸線だったオーシャンロード付近の防潮堤の、すぐ内側。そのため高潮と浸水に対し、様々な防護策がされました。屋根が低いのは風除け、通りと平行なのは波の力をいなし流されにくくするためです。随所に見られる生活感あふれる路地も、寄せた波を抜くために設けられてました。

小泉八雲が夏に滞在した、魚商人の山口乙吉宅跡も通り沿いに。八雲はよく、近隣の和田浜へ泳ぎに行ったそうです。このあたりから北浜通に入り、平入り瓦屋根の建物が並びます。かつての船元と漁師の家が混在、間口などが異なります。「北の弁天さん」と呼ばれる護信寺には、木彫りの弁財天を合祀。漁師の奥さんや家族が、折に触れ海上安全を祈った弁天様です。通りの北側には、小泉八雲風詠の碑も。氏は作品「焼津にて」を綴っています。古びたアーチをくぐり、新川橋で浜通りを後に。並行する黒石川は、焼津港へ材木を運ぶため設けた運河です。

再び船玉浦神社を見て、船玉通りを焼津駅方面へ。大漁旗の染工所も見られ、婚礼や節句などの祝いにも贈られるそうです。「あらや三神社」の一つ、青木神社は大黒様を祀り、海神の船玉浦神社、恵比寿の西宮神社との御朱印巡りも人気だそう。片アーケードの通りに入ると焼津駅前通り商店街へ、地元のお客向けの生活感ある店舗が軒を連ねます。市のキャラクター「やいちゃん」に迎えられ駅前へと到着します。

焼津てくてくさんぽ6

2021年02月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
新港を後に、可動式防潮堤を再び越えて、防潮堤沿いのオーシャンロードを歩きます。新港は埋め立てた土地に造られた漁港で、かつてはこの道のあたりが海岸線でした。道路の陸側にはかつての防潮堤の跡も見られ、一筋奥には、焼津の水産業発祥の町だった浜通りがチラリ。水産加工会社の加工場や、店舗も点在します。タスマニアの姉妹都市の名をつけた、ホバート通りの沿道には、駿河湾深層水水産利用施設など、海洋深層水の関連施設が。深層水とは水深200mより深部の海水で、太陽光が当たらず富栄養性・清浄性・低温安定性があります。日本一深い駿河湾には3種の深層水が流れ込み、深さ397mと270mから汲み上げ、水産業などに利用しています。

深層水ミュージアムは、駿河湾や深層水について学べる展示施設。展示室には、水深150〜600mに棲息するオオグソクムシや、古代の姿を伝える深海ザメ・ラブカの標本などがあります。隣接して、駿河湾深層水の原水の給水所が。黒潮系の深度の深層水で、深度397mと270mの、それぞれから選べます。海寄りの園地は、親水広場の「ふぃしゅーな」。護岸からは外港越しに、高草山方面を臨めます。展望台に登ってみると、防波堤の向こうに広がる駿河湾。かすかに伊豆半島も。右方向にはサバやアジなど、沿岸漁業の水揚げ港・小川漁港があります。

焼津てくてくさんぽ5

2021年02月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
焼津旧港の岸壁を後にして、駅から歩いてきた小石川を須原橋で渡り、船だまりに沿って歩いていきます。このあたりは、沿岸漁業の小型の漁船が多数係留。小型船越しに、旧港に停泊する遠洋漁業の大型船や、外港の海外まき網漁船のクレーンも見える、規模の大きな漁港風景です。旧港の南端には、小さな社が建っています。船玉浦神社は、明神鼻に位置する焼津港の鎮守。江戸時代に、和歌山県の船霊神社から分祀され、船と漁の神様として、漁業関係者や地元の人に信仰されてます。水辺には古い錨も置かれ、行き交う漁船を見守る社です。

船玉浦神社の正面、船玉通りを海側へ行くと、可動式防潮堤の先に焼津新港が広がっています。焼津新港はカツオ一本釣り漁船と、マグロ延縄漁船の水揚げ港。冷凍マグロ・カツオの主要水揚げ港です。深さ7mの岸壁には4隻が接岸、水揚げが可能。荷捌所のほか超低温冷蔵庫、焼津魚市場、解凍売場・鮮魚売場、深層水の取水施設など、設備も充実しています。超低温冷蔵庫は、冷凍マグロを−60度で保管。岸壁に沿って歩きながら荷捌所の建屋を覗くと、漁獲の搬送用コンベアが、迷路のように錯綜。受ホッパー、大型魚自動選別機なども装備した、近代的な荷捌施設です。

岸壁にはカツオ船が停泊中で、ほか正面には海外まき網漁船、右寄りにはマグロ延縄漁船の、三種の漁船が揃い踏みです。マグロは水温が下がると脂がのるため、遠洋マグロ延縄漁は棲息海域の冬に合わせ操業します。本マグロやミナミマグロの漁場は、主に北緯40度線より南の高緯度帯。メバチマグロやキハダマグロは、赤道付近です。遠洋カツオ一本釣り漁の漁場は、日本近海から東寄りに位置する東沖・北沖、南寄りの中南と呼ばれる海域や、赤道付近のマーシャル、ミクロネシアなど。海外まき網漁船は、南太平洋が主な漁場になります。

焼津魚市場新屋売場は、カツオ一本釣り漁船の冷凍カツオを取り扱う売り場。冷凍マグロは新港の解凍売場・鮮魚売場で取引されます。取引は競り、入札、相対買いのほか、水産会社の一船買いも。水揚げは7時ごろから随時で、数珠繋ぎの冷凍マグロをクレーンで吊り上げ、陸揚げします。冷凍カツオは、この新屋売場で取引。競りは7時からで、仲買人は船から下ろした見本の魚を見て、値と量を決めます。競りの後、8時から水揚げが行われ、クレーンやコンベアなどで効率よく進められます。

焼津てくてくさんぽ4

2021年02月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
旧港に停泊している遠洋漁船で、資料館で習った、船の種別などの見分け方を実習。マグロ船は定位置に落ち着いて、延縄の投縄揚縄を行うため、ずんぐり、どっしりした見た目。投縄揚縄の作業を行う右舷前方が、切れ込んでいるのも特徴です。カツオ船は群れに向け移動するため、スリムな船体。船首に、散水装置がついているのも特徴です。

マグロ遠洋延縄漁船は、379t/409tクラス。ひと航海が180~540日で、漁場へはニュージーランド沖まで20日、大西洋だと40日あまり。遠洋カツオ船は359t/499tクラスで、ひと航海は30~60日程度です。漁船登録番号は、英文字は県名の略称で、静岡はSO、宮城だとMY、三重だとMEなど。数字は1が遠洋漁業の大型船、2が沿岸漁業の中型船、3が日戻り漁の小型船など。

焼津てくてくさんぽ3

2021年02月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
来た道を旧港第一船渠の魚市場会館まで戻り、しおかぜ通りに入ったところの焼津漁業資料館は、遠洋漁業を中心とした焼津の漁業史を展示する施設。かつて用いた櫓船や漁具、再現された漁民の家などが並びます。54t型のカツオ船の実物のブリッジには、乗り込んでみることもできます。当時の無線機などの漁業機器が置かれ、舵輪、方向探知機、霧笛なども現役時のまま。後方には、交代制の仮眠室が2ヶ所あります。

マグロ延縄の模型には、針や浮き、擬似餌などの実物が。延縄漁は長さ150〜180㎞の幹縄に、針を仕掛けた2500本ほどの枝縄をつけて流す漁法です。幹縄の長さは大体、東京から静岡ぐらいまで。投縄に4〜5時間、3〜4時間放置したのちに10時間以上かけて揚縄を行います。カツオの一本釣り漁は群れを見つけたら船を寄せ、船首から散水して生きたイワシを撒き、疑餌鉤により竿で釣り上げる漁法です。散水は海面を波立たせて、イワシの群れのように見せかけるためです。2階にはかつて水揚げ場だった頃の、旧港の写真が。荷捌所に収まらず、道路にあふれるほど豊漁だったことも。