松本神社西側の門からモダンな町並みを歩いていくと、正面に旧開智学校の塔のある洋館建築が見えてきて、手前の開智小学校の校舎と、対称な眺め。案内板に従って校庭を回り込み、旧開智学校へ。明治9年築の擬洋風の学校建築は国宝に指定されており、もとは廃寺となった寺の建物を校舎として開校したものです。建物は昭和38年まで小学校として使われました。和洋が渾然と混じった独特のたたずまいは、正面に回り込むとよりインパクトが。車寄せには青龍と雲が組み合わされ、上部には天使が校名の看板を掲げてます。和洋折衷の校舎で、龍の鏝絵の上には八角形でアーチ窓の塔も、どこか寺院の鐘楼風です。
旧開智学校の裏手にある松本市旧司祭館は、明治22年築の洋館です。松本カトリック教会の宣教師などに使われました。旧司祭館から北側の道へ、大門沢川を渡り松本城の城域の北側を行きます。界隈はかつての武家屋敷と町人地の境界で、徒歩で戦う武士「徒市」の屋敷が並んでました。現在は静かな住宅街となっています。黄色の土塀が続く屋敷の高橋家住宅は、市街に残る希少な武家屋敷。かつての藩士の住まいを残します。
再び南方面、松本城に向かって戻ります。突き当たりは城郭を囲んでいた「惣堀」で、北馬場柳の井戸は堀を埋めた際に自噴した井戸。そばには柳の大木がそびえます。かつての総堀跡に沿って東へ、年季ある構えの鮮魚店の先の松本城北馬出跡は、北門を出たところにあたり敵の侵入を防ぐ土塁が設けられていました。北門大井戸は柳の井戸と同じく、総堀を埋め立てた際に湧出。北馬出跡の先には、惣堀が一部残っています松本城は内堀と外堀の外に、城郭の外周を囲う惣堀が設けられていました。現存するのはこの界隈の一部のみです。
旧開智学校の裏手にある松本市旧司祭館は、明治22年築の洋館です。松本カトリック教会の宣教師などに使われました。旧司祭館から北側の道へ、大門沢川を渡り松本城の城域の北側を行きます。界隈はかつての武家屋敷と町人地の境界で、徒歩で戦う武士「徒市」の屋敷が並んでました。現在は静かな住宅街となっています。黄色の土塀が続く屋敷の高橋家住宅は、市街に残る希少な武家屋敷。かつての藩士の住まいを残します。
再び南方面、松本城に向かって戻ります。突き当たりは城郭を囲んでいた「惣堀」で、北馬場柳の井戸は堀を埋めた際に自噴した井戸。そばには柳の大木がそびえます。かつての総堀跡に沿って東へ、年季ある構えの鮮魚店の先の松本城北馬出跡は、北門を出たところにあたり敵の侵入を防ぐ土塁が設けられていました。北門大井戸は柳の井戸と同じく、総堀を埋め立てた際に湧出。北馬出跡の先には、惣堀が一部残っています松本城は内堀と外堀の外に、城郭の外周を囲う惣堀が設けられていました。現存するのはこの界隈の一部のみです。