ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

松本てくてくさんぽ6

2020年09月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
松本神社西側の門からモダンな町並みを歩いていくと、正面に旧開智学校の塔のある洋館建築が見えてきて、手前の開智小学校の校舎と、対称な眺め。案内板に従って校庭を回り込み、旧開智学校へ。明治9年築の擬洋風の学校建築は国宝に指定されており、もとは廃寺となった寺の建物を校舎として開校したものです。建物は昭和38年まで小学校として使われました。和洋が渾然と混じった独特のたたずまいは、正面に回り込むとよりインパクトが。車寄せには青龍と雲が組み合わされ、上部には天使が校名の看板を掲げてます。和洋折衷の校舎で、龍の鏝絵の上には八角形でアーチ窓の塔も、どこか寺院の鐘楼風です。

旧開智学校の裏手にある松本市旧司祭館は、明治22年築の洋館です。松本カトリック教会の宣教師などに使われました。旧司祭館から北側の道へ、大門沢川を渡り松本城の城域の北側を行きます。界隈はかつての武家屋敷と町人地の境界で、徒歩で戦う武士「徒市」の屋敷が並んでました。現在は静かな住宅街となっています。黄色の土塀が続く屋敷の高橋家住宅は、市街に残る希少な武家屋敷。かつての藩士の住まいを残します。

再び南方面、松本城に向かって戻ります。突き当たりは城郭を囲んでいた「惣堀」で、北馬場柳の井戸は堀を埋めた際に自噴した井戸。そばには柳の大木がそびえます。かつての総堀跡に沿って東へ、年季ある構えの鮮魚店の先の松本城北馬出跡は、北門を出たところにあたり敵の侵入を防ぐ土塁が設けられていました。北門大井戸は柳の井戸と同じく、総堀を埋め立てた際に湧出。北馬出跡の先には、惣堀が一部残っています松本城は内堀と外堀の外に、城郭の外周を囲う惣堀が設けられていました。現存するのはこの界隈の一部のみです。

松本てくてくさんぽ5

2020年09月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
市街を東西に流れる女鳥羽川を千歳橋を渡ると、橋のたもとには松本市の道路の起点である元標が。あたりは松本城の大手門前にあたり、桝形が設けられてました。大名街通り沿いには、松本城主だった大名の家紋の行燈が並び、界隈はかつての三ノ丸にあたります。ビルの谷間の「松本城」風の店舗は、もと古書店の青翰堂。向かいあたりの大名小路井戸は、五角形風のモダンなデザインです。

大名町通りの突き当たりが松本城公園の入口で、外堀の堀端を過ぎ二ノ丸へと入ります。もとは戦国期に小笠原氏が構えた深志城が起源の松本城。現存最古の天守は1593~4(文禄2~3)年築です。鉄門の左手には、漆黒の天守がチラリ。本丸への鉄門から先は有料で、天守へ登ることができますが、内堀沿いに、天守を外から巡ってみましょう。天守は5層6階建てで、壁面が漆で黒く塗られているのは全国の天守で唯一。天守の右手には、辰巳附櫓と月見櫓が控えます。堀沿いに、天守の反対側へ回り込み、左手には渡櫓で小天守が繋がった、複合連立天守です。

赤い橋は、非常時に埋める「埋門」へかかる埋橋。堀端のベンチは正面の埋橋越しに、天守の眺めを独占できるスポットです。北西側の外堀を渡り二ノ丸から外へ、睡蓮の水面越しの天守は、穴場的な城郭風景です。外堀沿いの道付近は三ノ丸の北側で、葵馬場がありました。通りの上に神木がそびえる松本神社は郷土発展の神様、暘谷(ようこく)大神社が前身の社。郷土の偉人を祀った五つの神社を合祀、地元では通称「五社」と呼ばれます。広い境内から門越しに、天守の姿も。松本神社前の井戸。城郭に臨む湧水です。

松本てくてくさんぽ4

2020年09月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
大町通りを再び渡ると、白壁土蔵の商家が集まる通りへ。中町通りは白壁土蔵の民芸や工芸品の店が、軒を連ねる通り。城下町の3つの町割「三町」の一つの中町は酒造業や呉服問屋が集まり、防火のため土蔵造りの建物が並びます。本町通りにかけて、長さは400メートルほどの通りで、道中には、舗道も整備されてます。商家は白と黒の簡素な造り。なまこ壁も見られます。

工房ののまどでは、束摩焼を中心に信州の作家の品を販売。ちきりや工芸店は日本全国の暮らしに役立つ民藝・工芸品を販売しており、砥部焼、小鹿田焼など各地の陶器が揃います。店頭のカラフルなガラス工芸品に、つい足を止めてしまいそうに。通りの中ほどから見た眺めは、電線を埋設しているので景観がスッキリ。小布施に本店がある竹風堂は、栗鹿の子が名物。天秤をデザインにした布看板は松本市はかり資料館で、明治の竹内度量衡店の建物に、1300点の計量資料を展示しています。

かつて中町通りの近くには、松本と善光寺を結ぶ、善光寺街道が近くに通ってました。中ほどを過ぎると近代的な建物も。ミドリ薬品は大正2年築で、近年の建築も、白壁やなまこ壁を施しています。町並みの一部に混じる、黒漆喰の建物がアクセントに。中町通り沿いにも、湧水の井戸が見られます。中町蔵の会館(中町蔵シック館)は、造り酒屋「大禮酒造」の建物を移築した展示施設。内部が見学可でき、広々した座敷の正面は吹抜の上部に梁組が錯綜する、重厚な造りです。中庭に面して母屋と離れ、土蔵が並び、なまこ壁の土蔵は喫茶店になっています。

沿道の商家は、かつて大火に遭ったため、分厚い蔵の扉も見られます。伊原漆器店の看板には、唐獅子牡丹が。大名通りと交わると終点で、城下と街道筋で栄えた商家の名残が感じられる通りです。

松本てくてくさんぽ3

2020年09月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
風景が開けると、奥に三才山方面の山々が迫ります。あがたの森公園は、旧制松本高等学校の校舎を中心とした公園。大正8年創立の旧制松本高等学校は、信州大学の母体の一つで、校舎はかつて文理学部でも使われました。あがたの森文化会館は、旧制松本高等学校の本館。大正8年に植えられた、ヒマラヤスギ並木を歩きます。校舎は大正9年築の木造洋館建築。多くのドラマの舞台にも。旧制高等学校記念館の先、正面の「あがたの森」は、かつて県神社の社地だった名残です。奥寄りは池を中心とした日本庭園で、池に架かるあがた橋では風が涼しく感じられます

あがたの森からは、イオンスタイル松本の前を経て日の出町通りへ。界隈に片倉製糸の紡績工場があり、あたりは賑わいを見せました。信州薬祖神社は長野県松本薬業会館の敷地内にある、薬の神様を祀る社。境内に湧く日の出の泉薬祖水には、カルシウムが豊富に含まれています。沿道には、陶芸や骨董などの店が点在。古い商店やリノベした店舗が、レトロな雰囲気です

松本てくてくさんぽ2

2020年09月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
歩道沿いの流水をたどっていくと、源智の井戸へ到着。界隈のかつての町名の所以にもなっている湧水井戸で、松本城主小笠原家の家臣が所有したものです。歴代領主が保護、酒造業者にも評判で、多くの蔵元が利用しました。松本城下は美ヶ原などの山地、梓川などの扇状地による地下水が豊富で、数多くの井戸や湧水に恵まれています。湧出量は、毎分200リットルと豊富。硬度は113と硬水系で、地元では飲用に使われてます。源智の井戸に隣接する曹洞宗の瑞松禅寺には、子供を抱く慈母観音像ほか、湧水「宝の泉」も。また旧町名は源智でなく「源池」と表記しています。

大橋通沿いから突き当たりを左へ、あがたの森通りを歩きます。アートに関連する施設が沿道に。こうした店舗も点在。公園をモチーフにしたまつもと市民芸術館の路地を行くと、松本深志神社の境内へと入ります。手水鉢には、天神様の梅の絵柄が。神楽殿を抜けた先に、本殿があります。松本深志神社は、諏訪明神と菅原道真を祀る神社。学問と勝負事にご利益あり、菅原道真公十一歳の御像は十一歳の時、初めて漢詩を詠む場面を表す様子です。門前の天神通りほか、界隈には梅ケ枝町など、天神様ゆかりの町名も残っています。

まつもと市民芸術館へ戻り、あがたの森通りをさらに先へ。向かいの松本市美術館は、地域の作家の作品を中心に所蔵する総合美術館。並木越しに見えるアートは、当市出身の草間彌生作です。