ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

障がい者の文化芸術フェスティバル鑑賞2

2020年09月05日 | てくてくさんぽ・取材紀行
■石見神楽「大蛇」/いわみ福祉会芸能クラブ

社会福祉法人いわみ福祉会芸能クラブは、1985年から活動している、歴史のある団体である。金曜の夜を定例に、施設の利用者と職員で活動。はじめ余暇活動だったが次第に本格的になり、地域の神楽団体で構成される協議会に加入するに至った。本フェスティバルにてライブ配信した「大蛇」は、石見神楽の中でも屈指の人気がある演目で、クラブでは特化して練習。その成果もあり2017年10 月開催の「2017ジャパン× ナントプロジェクト」の一環として、フランス・ナントで公演した実績も持つ。

・まるで生き物のような、大蛇の迫力ある動き

「大蛇」は日本古来から伝わる神話、八岐大蛇伝説を基にしており、大きな大蛇が舞台狭しとのたうち回り演じられる、迫力がある演目である。舞台右の大太鼓・小太鼓・横笛・銅拍手の囃子も、クラブの団員によるもの。始まりとともにキレとテンポよく響き、神楽舞と大蛇の躍動を支え、盛り上げていく。

物語は、櫛名田比売を攫った八岐大蛇を退治すべく勇み現れた須佐之男命が、毒酒を用意して大蛇の出現を待つ。扇子片手の勇壮な舞、酒樽を用意する老夫婦のどこかユーモラスな動きと続き、囃子のテンポが変わり八頭の大蛇が登場。縦になり積み上がり横になり巻き上がり、互いに絡みついき編み込まれ渦を巻き、と大暴れ。そのうねりが、まるで生きているかのようなリアルな動きで、決めの場面では配信スタッフからも拍手喝采となった。大蛇は長さ18メートル、重さは12キロあり、演者の体を見せずにひとりで回すのは大変な体力と技量が必要なのだとか。

・障がい者による、日本の伝統芸能の世界への発信

物語は佳境に入り、毒酒の酒樽を飲み干した大蛇を、須佐之男命が登場していざ退治。花火を噴く大蛇に攻められつつも、ひとつひとつ頭を切り落としていく。囃子のスピードもあがり、舞台は最高潮に。捕らえられた櫛名田比売も救い、最後の一頭も見事に退治。娘を救ってもらった感謝の礼を、老夫婦がユーモラスな動きで締めくくりとなった。石見神楽の社中は100以上あるが、障がい者が所属しているのはこの団体だけ。でもそれを感じてもらいたくない、あくまで舞台の成果で評価されたいと、関係者の強い言葉である。

石見神楽は2019年5月に日本遺産に認定され、石見地方の口頭伝承の伝統芸能として、さらなる注目を浴びている。合わせてこの団体も、障がいの方も日本の伝統芸能を担えることを、世界へと発信していこうとしている。

障がい者の文化芸術フェスティバル鑑賞1

2020年09月05日 | てくてくさんぽ・取材紀行
「障がい者の文化芸術フェスティバル」の中四国ブロック大会での鑑賞記録、興味ある方はお読みください。

◾️ 『「マクベス」からさまよい出たもの』(じゆう劇場)

本作品はシェイクスピアの『マクベス』を題材に、障がいがある人の立場から見た「権力」への欲望と抱える「壁」を、それぞれ織り込んで展開している。冒頭には、本作の演出家である中島諒人氏による、作品説明があった。氏は鳥取県鹿野町で、廃校になった学校を劇場にして「鳥の劇場」という活動をしており、本作を演じるじゆう劇場はその一つ。障害のある人、ない人がいっしょに舞台を作りあげている。参加者は毎年公募しており、今年は13人プラス、鳥の劇場から3人の役者が合流。「マクベス」を大枠にしながら、他の戯曲や参加者の体験をのせて、マイノリティの人たちと権力の関係を表現している。

幕が開くと、まずは障がいを持つ役者たち個々が抱える「壁」の叫びから始まる。社会と関わりが持てない、人間関係が築けない、将来の居場所が不安など、一般社会との間にはだかる越え難い「壁」を示す。これが「権力」とともに主題となり、『マクベス』のストーリーを主軸にしつつ、シーンにより個々の役者が抱える「壁」が織り込まれていく展開である。

・権力を持たない非力さ、持つことの空虚さ

『マクベス』に則った物語は、戦いに勝って帰還する将軍マクベスが、三人の魔女と出会い王となる予言を受ける流れから入っていく。立場により善し悪しや強者弱者の見方が変わることを示す「きれいは汚い、汚いはきれい」の台詞に、日本の童謡「かごめかごめ」が被り、囃しながらマクベスを取り巻く者たちが増殖。彼らは弱者の念を表しているかのようで、各々の持つ欲望、悩み、苦しみなどがマクベスに委ねられ、権力者になり解決してもらうべく崇め上げられる。「壁」に阻まれるマイノリティーの自己実現は、権力に委ねざるを得ないという、現代社会の構図が見える場面といえる。

後のシーンではストーリー通り、マクベスは自身の邸宅にやってきたダンカン王を殺害、権力を奪取する。妻をはじめ家の者たちや魔女ら、取り巻く者たちに不気味にけしかけられ行為に至るのだが、予言に従してや自らの意思でなく、取り巻く者すなわち弱者の念にいざなわれてのことだ。その結果、権力の奪取と引き換えに失ったものは、自らの安穏。取り巻く者たちに強迫された、権力者という立場を演じていくことで心が病み、勝ち続けることの意味のなさ、押しつけられた人生と最後まで戦う空虚さが伝わってくる。

・マイノリティーの「配役」とは?

この物語は後半になると、主線となる『マクベス』に短編の戯曲『配役』が、挿入劇として絡んでくる。世の中に出たいのに社会から阻まれるため、「壁」となる人の心を変える権力が欲しいと訴えた車椅子の役者が、劇中では日本初の障がいを持つ総理大臣を演じる。権力を得たことで、ボーダーレスな社会を築く実績を残した一方、障がい者であることを利用していると見られたり、弱者として官房長官に操られているとも。政治家批判、障がい者の聖人視や売名利用など、リアルな世の風刺も絡んでいるが、こちらも権力者を演じることの虚しさと諦めへと、物語が帰結していく。

挿入劇は一連のシーンが、実は官房長官の人物が空想して書いた漫画だった、という結末に。自分が変えられる世界は所詮、漫画の中だけという現実。障がい者の総理はそれを認識しつつ、その中ながら権力が持てたことに感謝しつつ、物語はこれで終わり現実世界へ目を向ける時、と諭す。そこに自分の役割すなわち「配役」があるのだろうか、と不安げに語る二人。社会において「壁」に阻まれるマイノリティの居場所を、浮き彫りにしているようである。

・「きれいは汚い…」が比喩するものの意味

このストーリーにおけるマクベスは、取り巻く者すなわち弱者たちの意思が委ねられ、彼らの自己実現を可能にするための、権力の象徴ではなかろうか。マイノリティーは権力を持つことで、世に出られる可能性を示しているように思える。また繰り返される「きれいは汚い…」の台詞は、権力者とマイノリティーそれぞれの物事の捉え方が、善し悪し紙一重であることの象徴。どちらが表面化するかは置かれた立場次第で、作品の締めくくりがこの台詞だったことが、深く印象づけている。

自己実現を阻む、きれいと汚いの間にはだかる「壁」を壊すこと。じゆう劇場の目標である「心の壁、見えない壁を壊していく」こととして、本作から受け取れたメッセージである。

スーパーホテル鳥取駅前@鳥取

2020年09月05日 | 宿&銭湯・立ち寄り湯
鳥取泊での宿は、駅南口そばのこちら。トレビューで高架のホームが見える位置で、GOTOのお陰でワークデスク付きの使いやすいダブルを利用。ベットにUSBポートがあるのがありがたく、ベッド周りのこれかコンセントはどの宿も標準装備して欲しいもの。朝は時節柄仕出し弁当で、焼きそばが麻婆メインが選べ、部屋食も可能。弁当苦手な人は、おにぎりかランチパック2個なのが面白い。

また今回のGOTOのおかげで2食付きプランが6000円ほどで、夜は5000円分のクーポンでたくみ割烹店が使えたのがラッキーだった(この店以外はローカルや全国のチェーンばかり)。GOTOの恩恵、今後も楽しませてもらいます。