2品目の前菜・ウニの姿盛り。文字通り、ウニが殻ごと供される
和の鉄人・道場六三郎氏の懐石料理の店『懐食みちば』にて催された、山中温泉の観光懇談会は、前菜からして形式にとらわれない、氏の個性豊かな和食の世界に招待された、といった感じである。おすすめの新作、アボガドの艶焼きにチーズの黄生焼きの、食材の使い方や料理法に早くも感嘆。さらに木の芽寿司、ハモの湯びきと、こちらは懐石の先付けに定番の品を順に頂いて、ようやく前菜は終了となった。
前菜の中でも、最初に食べた2品が鮮烈、濃厚な味わいだったため、あとの品の印象がやや薄くなってしまったよう。これは食べる順を考えればよかった、と残念に思っても、後の祭りである。空になった前菜の皿を前に、まだトコブシの肝の後味がのこる舌を、山中温泉の地酒「獅子の里」ですすぐと、最初のひと皿なのにもう酒が残り少ない。飲み物の品書きによると、日本酒以外にビールやワインも揃っているようで、アボガドとチーズはワインと味わってもよかったかな、などと、後の祭りがどうにも終わらない。
品書きによると前菜はもう一品、ウニの姿盛りとある。ウニの贅沢な食べ方といえば、何といっても箱ウニだろう。鮮やかな山吹色をした身が、こんもりこぼれんばかりに箱に山ほど盛られて運ばれてくるのかな、と思いをめぐらせていたところ、登場した大皿に敷き詰めた氷の上には、紫のイガイガのがズラリ。殻ごと、これぞ文字通り、まんまの姿盛りで、ていねいな仕事を施した前菜の後は、素材の味そのままを楽しんで、という趣向なのだろうか。
ひとりひとつずつ、トゲを恐る恐るつまんで自分の取り皿へもってこようとすると、トゲが数本ザワザワッ。アジの活け造りで、まだ身がビクビクッとやっているのはよくあるが、ウニの活け造りとは初めてだ。殻のてっぺんは丸く穴があけてあり、中にはオレンジ色の身が、整然と並んでいる。スプーンですくってツルリ、そしておかわりした「獅子の里」をクッ。前述の箱ウニよりも瑞々しく、サラリとした舌触りが気持ちいい。そして2片、3片と口に運ぶに従い、あのウニのふくよかな味が厚みを帯びてくる。
様々な魚介が活け造りに料理される中、ウニもこのように殻ごと供してもよさそうだが、そうした店はほとんど見かけない。というのはウニは個体差が大変激しい上、外見では優劣の判断がほぼ不可能。殻を開けて味見しない限りは味の良し悪しを確認できず、ましてや何もせず殻のままお客に出すのは無謀、と築地を主題にしたマンガで読んだことがある。それをあえて殻のまま供する、ということは、ウニを選別する目利きに自信があり、かつ客に出す前に万全の策を施しているはず。ウニの姿盛りは素材の味そのままを楽しむ趣向だろうか、と前述してしまったが、この一品にも前菜とはまた違う意味での、ていねいな仕事が施されているのだろう。
ウニは、青森県の大間でとれたものです。近頃、ホンマグロで有名だけど、ウニもなかなかいいのがとれるんですよ、と道場氏の説明は、次の椀物へと続いていく。夏なので、皆さんに元気を出してもらいましょう、と、スッポンの椀だ。ウニにはじまりスッポンときて、この後には伊勢エビも控えているなど、和食の高級食材御三家が、順次登場していくようだ。
椀のなかには、スッポンをくるんだ白玉に、じゅんさい、フキと、具がそれぞれ上品にまとまっている。ぽっかり沈む白玉を箸で割ると、中からスッポンのほぐし身が出てくる仕掛けが楽しい。スッポンは多分、初めて食べる機会で、あの獰猛な姿を思い出しつつ、ちょっと恐る恐る口に。ほろり、と身がほぐれ、獣肉よりも鶏肉に近い食感と風味だが、脂肪分が少ない分、淡くはかない味わいで軽く食べやすい。つゆもキラキラと光っている割には、押しはひかえ目ですまし汁のように淡麗。「スッポン=濃厚でパワー充填」のイメージとは少々かけ離れた、品のいい中休めの椀である。
白玉を割ると、中からスッポンのほぐし身が。じゅんさいもツルリとうまい
続くつくりは氷造りに仕立ててあり、愛媛県の八幡浜漁港で揚がったマコガレイにアジの2点盛り。カレイはポン酢で、アジは割り醤油で頂く仕組みで、シコシコとした食感を楽しむカレイに加えて、アジの旨さが特筆ものだ。茶色の脂がしっかり厚く、身はほっくり、口の中で甘みがほのかに広がっていく。アジというよりは、よくできた鯖寿司の身の部分のようなコクがあり、昆布を敷いてあるが、脂の甘みがその風味よりも勝っているかも。
八幡浜は豊予海峡や瀬戸内、宇和海を主な魚場とする、西日本屈指の水揚げを誇る漁港である。平家アジとはこの、愛媛県と対岸の大分県との間を流れる豊予海峡でとれ、八幡浜に水揚げされたアジのこと。ちなみに同じ豊予海峡でとれ、対岸の大分・佐賀関で水揚げされたアジが、かの超高級ブランド魚の関アジだ。もちろん平家アジも、同じ漁場で揚がるだけに、身の締りと厚み、脂ののりと甘味は関アジ同様に、普通のアジとは別物。地元でもめったに入手できず、「幻のアジ」と評価が高いという。
こっちで揚がると平家ですが、とれるところは関アジと同じなんです、と、双方のアジの由縁を説明する道場氏。関アジでなく、あえて全国的な知名度がさほどでもない平家アジを使うことで、ブランドや評判に惑わされず、自らがいいと思ったものを使う、という姿勢を打ち出しているのかもしれない。
脂ののった平家アジ。ブランド魚・関アジに負けないうまさだ
このあたりからお腹にたまる料理が始まり、宴はいよいよ佳境へと入っていく。和食の高級食材御三家のトリを飾る伊勢エビが、蒸し物で登場である。鉢には伊勢エビにアイナメ、湯葉、シイタケ、青菜。上から半透明の薄いゼリー状のベールが覆っており、エビの赤、青菜の緑、湯葉の白が、それを通して霞がかったような色合いをかもし出している。
ベールを箸で持ち上げて、まずは伊勢エビからひと切れ。蒸し物は一般的に、使っている食材の旨みが汁に出してしまい、食材自体はやや味が抜けていることがあるけれど、これは口に入れたとたん、エビの香りがプンプンと香ばしく立ち上がってきた。刺身やゆでたり揚げたりするよりも、エビの味が抜けていないどころか、むしろ強調、力強く仕上がっているよう。これはエビカニ好きにとって、涙ものの旨さだろう。
不思議なことに、汁はほんのりと梅風味なのに、食材に酸味はまったくない。食材自体が持つ味を引き出す下支え、といった感じである。青菜の鮮烈な青臭さや、シイタケの薫り高さ。アイナメは磯魚らしく、土の香りもしっかりと残っているのがいい。上にかけられたベールが気になって道場氏に聞いたところ、吉野葛で食材を覆っています、とのこと。これにより、蒸して味が抜けるのを防いでいるのだろうか。吉野葛も食べてみると、ツルリ、ピタリと、口の中をくすぐってくれる。味はほとんどないけれど、この魅惑的な食感こそが味のうちなのかも。
吉野葛のベールを持ち上げると、中には伊勢エビ、アイナメ、湯葉、青菜などが
ここまで氏の料理を頂いて感じるのは、いかに食材本来の良さを味わってもらうか、という理念が、根底にしっかりとあること。調理の技術や味付けの妙が先に立つことなく、あくまで食材の真価を引き出すためのもの、という意図が、どの料理からもしっかりと伝わってくる。仕事がきちんとなされている品でも、素材そのままで供される品でも、一貫した意図は食べるごとに感じられ、料理が進むにつれて、氏の料理観が作り出す世界の奥へ奥へ、と招き入れられていくのである。で、メインディッシュからデザートまで、残るあと5品は次回にて。鉄人の描き出す魅惑的な料理の世界、まだまだ終わらない。(2007年7月10日食記)