ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん51…大阪・難波 『自由軒』の、ルーをご飯に混ぜ込んだ名物カレー

2006年05月22日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
 抱えていたいくつかの仕事がひと段落して時間ができたので、週末を利用して大阪のミナミで一泊、さらに名古屋を経由して豊橋で一泊、と、ちょっとした食紀行に出かけてみた。ナニワでの食道楽、名古屋めしへのチャレンジ、さらに三河湾の海の幸、と、3日それぞれのテーマで食べ歩きを楽しむことにしよう。

 大阪随一の繁華街である道頓堀には、食事処や飲み屋の派手できらびやかな看板があふれ返っている。「食い倒れの町」だけあり、店同士の競争が激しいせいもあるだろう。しかし、赤や黄色やオレンジ色など原色を多用した派手な看板、そして巨大なカニやフグにタコに龍といったオブジェを見ていると、自己主張が激しい大阪人気質が、そのまま映し出されているようにも思えてしまう。新大阪から地下鉄御堂筋線で心斎橋へ、心斎橋筋をぶらぶら歩きながら戎橋を渡り、道頓堀通りで昼飯を頂く店を探してみるが、こうした押しの強い看板を見るだけで、入口をくぐる前に思わず引いてしまう。

 店を決められないまま難波まで歩いてきたところで、アーケードの難波本通りにある一軒の店の前で、ようやく足を止めた。店頭には懐かしいガラスのサンプルケースが置かれ、モスグリーンに染め抜かれた暖簾には「大衆洋食」の文字。賑やかな道頓堀を歩いてきたおかげで、ずいぶん地味な店に見えるが、昔ながらの大衆食堂といった感じで好感が持てる。この『自由軒』の暖簾をくぐり、中へ。店内は少々薄暗く、壁面にずらりと貼られたメニューに並んで掲げられた、「夫婦善哉」の作者である昭和初期の文人・織田作之助の写真がひときわ目立つ。「織田作文学発祥の店」とあるが、氏の作品の舞台になった店なのだろうか。

 古びたテーブル席についたら、注文する前に周囲の客がどんな料理を食べているか観察してみることにした。すると、サラリーマンがカレーにソースをかけて、「ここのカレーはビールに合うんだな」とひとりしゃべっていたり、茶髪のおばさんにパンチパーマの親父という二人連れが、「儂は別カレー」「うちは名物カレーと、串カツ」と頼んでいたりと、独特な客層に少々とまどってしまう。レジにはおばさんがひとり、まるで置物のように黙ったまま動かずに座っており、フロアでは玉ネギのような髪型をした背の高いおばさんと、小柄で小太りのおばさんという凸凹コンビが、洋食屋らしく黒のレースのエプロンをまとってお客をさばいている。こちらはどこかユニークで、食堂を舞台にした新喜劇のワンシーンのようだ。

 お客の多くがカレーを頼んでいるので、自分もカレーとビールを頼んでみた。すると「名物にします? 別にします?」と、注文をとりにきた玉ネギノッポのおばさんに聞き返される。名前にひかれて、「名物カレー」にしたら、出てきたのはドライカレー風。真ん中に生卵が落としてあるのが独特だ。卵をつぶしてぐちゃぐちゃ行儀悪くかき混ぜて、まずはひと口。鋭い辛さが舌にビリビリと伝わるが、卵のおかげでマイルドな味わいだ。ドライカレーというより、普通のカレーに近い味である。先ほどのサラリーマンの独り言通り、これはビールが進む。

 明治43年の創業以来80年の間、大衆洋食ひと筋というこの店の料理の中で、「名物カレー」はかの織田作之助も絶賛したという、店の看板メニューである。具は炒めた玉ネギと牛肉のみ、これに「うすくち」と呼ばれる秘伝のダシを加えた特製のルウが味の秘訣だが、特徴は何と言っても、ご飯にルウを混ぜ込んだ独特のスタイルだ。ちなみに「別カレー」とは、ルウをご飯にかけた、ごく普通のカレーライスとのこと。また、ソースをかけて食べるのも、創業以来のこの店流のスタイルとか。

 食べ進めていくと確かに、普通のカレーよりもご飯とルウががよくからんでいるからよりうまい気がする。ご飯とルウは結局一緒に食べる訳だし、ご飯が余らないようにうまくすくって、と余計な気遣いをしながら食べる必要もない。大阪ならではの合理性と「形より味重視」の精神が現れた一品である。値段も手ごろで、さらりと平らげてごちそうさま。晩飯を頂く予定の新世界・ジャンジャン横丁へ行くにはまだ日が高く、大阪の台所・黒門市場をぶらつくか、日本橋の電気街を歩いて通天閣へ向かうか。ナニワの町歩き、そして食い倒れ散歩は、まだ始まったばかりである。(2006年5月20日食記)