今日は雛祭りですね。
我が家では、ぺこちゃんとぽこちゃんのお雛様を飾っています。
同居人、幼い頃から顔がぺこちゃんに似ていると言われ続け、ついにはぺこちゃんグッズの収集家になってしまいました。
私から見ても似ていると思います。
目が大きいところと下膨れのところが。
49歳にもなって、マグカップもお茶碗も、歯ブラシにいたるまで、ぺこちゃんグッズで溢れかえっています。
不二家の店先に立っている等身大のぺこちゃんまで欲しがるに到っては、病膏肓の口ですが、我が家は共働き。
自分の小遣いで何を買おうと、文句を言う気はありません。
雛あられも白酒も口にしませんが、春の到来を告げる嬉しい日ではありますねぇ。
午後はDVDを鑑賞しました。
99%の評論家が絶賛した、というパッケージに騙されたと言いましょうか、退屈なホラーでした。
「ドント・イット」です。
ドント・イット [DVD] | |
キャサリン・ウォーカー,スティーブ・オラム,マーク・ヒューバーマン,シーラ・モロニー | |
アメイジングD.C. |
3年前に息子を誘拐され、黒魔術の儀式で殺された過去を持つソフィア。
犯人は逮捕されないまま、捜査は打ち切りとなってしまいます。
そこでソフィアは、ウェールズの田園地帯に立つお屋敷に引越し、謎の魔術師というか霊能者というか、オカルトに詳しいソロモンという男を雇い、黒魔術で犯人に復讐しようとします。
で、その黒魔術の儀式が長いこと。
お屋敷を結界で囲んで自らを封印し、拷問とも思える過酷な儀式を続けます。
それは半年以上にも及び、結果で出ないことからソフィアは苛立ち、ソロモンと対立していきます。
この長い儀式の様子が延々と描かれ、画面に緊迫感はあるものの、さすがに退屈になってきます。
で、ついにソフィアは決して破ってはいけない結界を出てしまい、悲劇が、と、思いきや、唐突なソフィアの善行により解放される、というなんとも観る者を欺くような結末にいたります。
ホラー映画では、最後、良い話になってしまうことがあります。
怨霊となった極悪人が悔い改めて極楽に行く、みたいな。
でもその場合は、分かりやすい描写が必要です。
一方、最近は徹底的に救いの無い結末、というのが主流になっています。
ホラー映画は怖くてなんぼ。
怖くて美的であればなおよろしい。
しかしこの作品、文芸作品を気取っているような作りになっており、ならば最初から文芸作品としての作法に則って製作すれば良いのです。
同じ題材でも、はなから文芸作品として製作すれば、それなりの物になったでしょう。
ホラーのような文芸作品のような、どっちつかずの映画になってしまったのは残念です。
しかし最近、私の目が肥えすぎたのか知りませんが、なかなか良いホラー映画にめぐりあえません。
でもまぁ、10作品観て1つ当たりなら、それで良しとしなければなりませんね。
恐怖と笑いというのは文化によってツボが大きく異なりますから、ホラーはコメディと並んで、難しいジャンルだと思います。
昨夜、恒川光太郎の「ヘヴンメイカー」を読み終わりました。
ヘブンメイカー スタープレイヤー (角川文庫) | |
恒川 光太郎 | |
KADOKAWA / 角川書店 |
先日読んだ「スタープレイヤー」に連なる作品です。
物語としては独立したものですが、スタープレイヤーが活躍し、最後に前作の主人公が登場して結末を迎えます。
スタープレイヤー (角川文庫) | |
恒川 光太郎 | |
KADOKAWA |
設定は前作と同じく、くじをひいた者が異世界に飛ばされ、10の願いがかなえられるスターボードなる道具を使って冒険を繰り広げる、というものです。
で、「ヘヴンメイカー」。
作者がこの設定で描きたいことはこれだったんだろうなと思わせるくらい、物語は深化しています。
佐伯逸輝という若者が異世界に飛ばされ、スターボードを使って様々な町を造ったり、現地の宗教の聖人、サージイツキになったりと、豊かな物語が紡がれます。
そこに感じられるのは、失ったものへのノスタルジアと、世界の繋がりということ。
佐伯はスターボードを使って、少年時代、淡い恋心を抱いていた、亡くなった女性を生き返らせ、自ら作った故郷、藤沢市そっくりの無人の町で、二人だけの世界を楽しんだり、多くの犯罪被害者を蘇らせたりします。
それは辛い過去を、書き換えてしまおうという試み。
しかしそれは、うまくはいきません。
狸が糞を落とす。
なぜそこに?
その糞から、種が芽吹く。
時を経て、千歳の巨木にまでなり、(中略)無数の生物を育む場所となる。
上の文章は、佐伯がたどり着いた心境の告白です。
自分がスターボードを使って良かれと思って造った世界は、様々な繋がりを持ちながら変化を遂げ、やがては創造主であるスタープレイヤーが思いもしない方向に進んでいく。
偶然のようでいて偶然ではない、そしてすべては縁で繋がっている、という、我々日本人には馴染み深い真理を、さりげなく長い小説の中に潜ませるという手法こそが、この作者の物語を魅力的にしている理由の一つだと思います。
いくつもの奇跡あるいは蛮行をなし、その世界では神格化されながら、10の願いを使い果たし、静かに消え去る佐伯。
彼はどこに行ったのでしょうね。
彼が去った直後、前作の主人公で別の地域に国家を作り上げ、その国を去り、佐伯が造ったヘヴンという町を目指して旅をしてきた夕月がヘヴン近くに現われて、物語は終わります。
この大団円にも、縁起を感じます。
壮大で豊かな物語を堪能できたことは、私の喜びとするところです。
現在刊行されている恒川作品で、未読なのは1冊だけになってしまいました。
寂しいですが、そこは現役の作家。
新作を待つ楽しみもあります。