金正男氏が殺害された、との一報が飛び込んできました。
言わずと知れた、北朝鮮の三代目の異母兄です。
一時は正男氏が後継者と目されていた時期もあったそうですが、二代目に嫌われたのか、異母弟の金正恩にその座をかっさらわれました。
その後正男氏は世襲批判などを行い、異母弟から嫌われていたようです。
そして、おそらくは、北朝鮮のエージェントによる暗殺でしょう、殺されてしまいました。
まこと、北朝鮮という国は怖ろしいですねぇ。
なんで反革命の革命が起きないのか、不思議なくらいです。
それを思うと、現代の日本に生まれて本当に良かったと思います。
高度経済成長やバブルの時期から比べれば、給料は上がらないし、非正規雇用やワーキング・プア、さらには少子高齢化と問題は山積ですが、少なくとも食うことにさえ困る人はわずかで、何より言論の自由や民主主義が根付いているのは結構なことだと思います。
この平和でぬるま湯のような社会が、未来永劫続いてほしいと願ってやみません。
しかし、いったん事あらば、時代の空気は一変するでしょう。
大正デモクラシーを謳歌した日本人がそのわずか十数年後には、軍国主義への道を突き進んだのですから。
私たちにできることは、冷静であること。
冷静に、投票行動などで政治に参加すること。
かつてナチは、少なくとも表面的には民主的手法に依って政権に就き、合法的な手続きによって、全権委任法を可決させ、独裁国家を作り上げました。
世界一民主的と当時言われたワイマール憲法下で、概ね民主的に独裁国家を成立させ、ついには世界を戦火に巻き込み、滅亡していったという事実を、肝に銘じる必要があるでしょう。
かつてチャーチルは、民主主義は最悪の政治体制だ、ただし、他のあらゆる政治体制を除いて、と、皮肉な物言いで民主主義を肯定しました。
民主主義というもの、民主主義だからこそ、民主的な方法で民主主義を否定することが出来るということで、それは本当に怖ろしいことですなぁ。
昨夜、貫井徳郎の「追憶のかけら」を読了しました。
追憶のかけら (文春文庫) | |
貫井 徳郎 | |
文藝春秋 |
不思議な小説です。
最愛の妻を事故で亡くした国文学者の大学講師が、ふとしことから、短編をわずか5作残しただけの、忘れられた作家の手記を手に入れます。
この作家が死を前にして、自殺にいたる経緯をつづったものです。
この作中作品、たいへん読み応えがあります。
これだけで、十分一個の作品と言ってよいでしょう。
この手記では、友人の瀕死の復員兵から、かつての愛人に会い、自分の代わりに詫びを入れてほしいと作家が頼まれます。
作家は善意で元愛人を探すのですが、その過程で様々な悪意に出会い、ついには自殺に追い込まれます。
で、その手記を手に入れた大学講師。
彼はなかなか業績が上げられず、このままでは研究者としてやっていけないと感じていますが、手記を手に入れたことで、金鉱を見つけた気分になります。
未発表の手記をもとに論文を書けば、十分な評価が得られるはずだ、と。
しかし、大学講師にも、悪意が忍び寄ります。
大学講師の研究者生命を断とうとまでする悪意。
大学講師の運命は二転三転し、というお話。
貫井徳郎の作品としては、やや冗漫で、破綻している箇所があるようにも感じられますが、悪意の根源が、とても邪悪とは程遠いと思われる人物だったと判明し、ぞっとさせられます。
人間というもの、強い恨みつらみを持てば、どこまでも邪悪になれるもののようです。
その動機が、客観的に見てどんなに些細なものであっても。
私や、近しい人々もまた、一歩間違えれば、強い悪意をもって他人を陥れようとする存在なのだと痛感させられて、慄然としたところです。
今週も仕事が始まりました。
怒涛の一週間の始まりです。
もう少し余裕があればよいのですが、なかなかそうもいきません。
引きも切らぬ俗物どもとの打ち合わせ。
そして書類仕事。
まったく平日、職場にいる私は生きているんだかいないんだか。
労働マシーンのようなものですね。
誰でもそうなんでしょうけれど。
週の途中で、一日休めるといいんですが、今週も難しそうです。
まぁ、干されるよりはマシとしますか。
長期の病気休職から復帰した後は、半年くらい、まともな仕事は任されませんでしたからねぇ。
今日は日差しは強いながら、北風の冷たい日曜日でした。
昼間にスーパーに買出しに行った以外、のんんびりと昼寝をしたり、読書をしたりして過ごしました。
土曜日はお出かけしたい、という気分になりますが、日曜日はそうではないのが不思議です。
明日から長い一週間が始まると思うと憂鬱ですが、私は精神障害を乗り越えて、鋼の精神を身につけたつもりです。
ただ、現実を生きるよりほかありますまい。
何よりも虚構の世界を愛する私には、とても辛いことですけれども。
私は平成4年に千葉県佐倉市の学術機関に就職し、江戸川区の実家から3年間、はるばる通っていました。
しかし平成7年に非常に残業の多い部署に異動したのをきっかけに、実家を出て佐倉市のお隣、四街道市にアパートを借りました。
時に25歳。
仕事が忙しいのはともかく、独り立ちしたことに非常な喜びを感じたものです。
そこで2年間暮らしました。
平成9年、都内の機関に異動になり、また東京に戻る必要に迫られましたが、一度出た実家に戻る気にならず、江戸川区のお隣、葛飾区、新小岩にアパートを借りました。
そこでの数年間はとても楽しいものでした。
その後結婚して船橋市の公務員宿舎を借りるも、築40年のあまりのぼろい官舎に嫌気がさし、平成12年、千葉市美浜区の機関に異動になったのをきっかけに、千葉市若葉区に新築のマンションを購入、今に至ります。
最近、40代も後半にさしかかって、精神障害もあり、サラリーマンとしての未来も見えてきて、まして小説で身を立てるという野望が達せられるはずもないということに気づき、何かと過去を振り返るようになりました。
私が歩んできた道は、正しかったのだろうかという、根源的な疑問に、悩まされるようになりました。
ふと思い立って、今まででもっとも楽しく、また将来への希望もあり、今の同居人との恋愛沙汰もうまくいっていた、新小岩での一人暮らしを懐かしむため、車を新小岩へと走らせました。
車を新小岩駅近くのコインパーキングにとめ、懐かしい町を歩き始めました。
変わらない店もあれば、真新しい建物に変わってしまったところもあり、20年という時の流れを感じずにはいられませんでした。
私が住んでいた安アパートは健在で、嬉しくなりました。
六畳と四畳半の和室、小さなキッチンと風呂、トイレが付いた2Kのアパートで、家賃は8万円ほどだったと思います。
東南の角部屋で、日当たりが良いのがお気に入りでした。
私はここで、喜びや苦しみを味わったのでした。
今思えば、何もかもが懐かしく、輝いていたように思います。
アパートの近くの、当時行き着けだった薄汚い中華屋、今も変わらず頑張っていました。
店主も変わりありませんでした。
ここで五目そばの昼食。
アパートを駅から反対側に少し歩いた所には親水公園があり、ここをよく散歩したものです。
春には花見も楽しみました。
親水公園には、早くも白梅が咲いていました。
昔を懐かしむようでは、肉体的にはともかく、精神的にはもう終わっちゃってるんでしょうね。
数年前から、毎年元日に辞世を詠むことにしています。
精神的に終わってしまった私には、ふさわしいことのような気がするのです。
しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり
という、清冽にして美しい辞世を残したのは、与謝蕪村でしたか。
私の精神がもう一度活発な運動を始めることがあるのかどうか分かりません。
しかしなんとなく、そんな僥倖に見舞われることは無いような気がしています。
早くも春愁の気に当てられているのか、私の精神は輝かしかったはずの過去を求めるばかりなのです。
今週も金曜日の終業を迎えました。
これでめでたく、3週間、1時間も休まずフル出勤できました。
節酒のほうも、2週連続で4日、休肝日を設けることが出来ました。
良い感じです。
週末はお酒解禁。
ゆっくり過ごして、来週もこの調子でいきたいものです。
今日は漫画の日、なんだそうですね。
偉大な漫画家、手塚治虫先生の命日にちなんでいるそうです。
1989年、私が大学生の頃、60歳の若さでこの世を去りました。
私も子供の頃、「火の鳥」などの壮大な作品から「ドン・ドラキュラ」などのコメディーまで、夢中になって読んだ思いでがあります。
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手塚 治虫 | |
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60歳で亡くなったのは、多分働きすぎでしょうねぇ。
この人、怖ろしい人で、次から次へとアイデアが浮かび、漫画に仕上げるのが追い付かないのが悩みだったとか。
全然描けずに呻吟するということとは無縁だったようです。
脳を使いすぎて糖分が不足するのか、チョコレートをいつも口にしていとも聞きます。
私のごとき凡人には分からない、驚異の境地です。
天才といえば、将棋界の鬼才、佐藤康光九段が将棋連盟会長に選出されましたね。
じつはこの人、高校時代の同級生です。
まさに出世頭。
高校ではちょっと変人扱いされていたように思いますが、私はわりと親しく付き合いました。
学校帰りに一緒に飯を食ったり、映画館に行ったり。
彼の長きにわたる活躍を見ていると、私は本当に凡人だなぁと思います。
会長職は激務だと思いますが、持ち前の責任感で、難なくこなしてくれるものと期待しています。
韓国最大野党の幹部が、駐韓日本大使等が一時帰国して一か月ほど経過することから、駐日韓国大使を召還させるよう韓国政府に検討を求めているそうです。
一時帰国ではなく、召還。
通常、召還というのは、国交断絶一歩手前の状態。
だからこそわが国は、長引いているとはいえ、召還ではなく、一時帰国という言葉を使い続けています。
それにしても、不可逆的というあり得ない文言を使ってまで慰安婦問題を合意しておきながら、それを守らない韓国に業を煮やしたわが国が取った一時帰国らの強硬措置。
それに対するにわが国以上に強硬な措置を取るというのでは、不可逆的とは何だったのかと虚しくなります。
そうはいっても、隣国は選べません。
こんなアメリカンジョークがありました。
神はまず天と地を作った。
海と山を作った。
そして日本という国を作った。
日本には世界一勤勉な人々と、世界一うつくしい風景と、
世界一おいしい食べ物と、世界一過ごしやすい気候を作った。
天使がいった。
「神様、これではあまりに日本が恵まれすぎています!」
神はこたえた。
「心配するな。となりに韓国を作った」
韓国関連のニュースを見ていると、上のジョークがジョークではないように感じます。
やれやれ。
今朝も微熱があり、背中や肩が痛みましたが、解熱鎮痛剤のロキソニンを飲んでどうにか出勤しました。
そうすると、あーら不思議。
押し寄せる仕事をばっさばっさとさばいていくうちに、仕事に熱中したせいか、夕方には熱感も痛みもすっかり無くなっていました!
重い症状がないのなら、思い切って普通の生活を送るほうが治りが早いことを実感しました。
それにしても、良薬は口に苦し、ですなぁ。
昨日は咳やくしゃみがありましたが、熱は平熱でした。
ところが今日は朝から微熱と関節痛に悩まされました。
寝込むほどの高熱はでないのですが、なんとも体がだるく、大儀です。
来週の火曜日に重要な会議があり、明日はその準備がありますので、休むわけにはいきません。
解熱鎮痛剤に希望を載せて、明日は元気に出勤したいものです。
昨日から体がだるく、咳やくしゃみ、鼻づまりの症状があります。
ただ、熱は平熱なので、それほど辛くはありません。
なんとなく違和感がある感じ。
市販の風邪薬を飲んだせいか、寝ても寝ても眠いのです。
晴れた土曜日にはお出かけすることを常としていますが、今日ばかりは自宅でのんびり過ごしました。
リビングのソファでうとうとしたり、小説を読んだり。
小説は、五十嵐貴久の警察推理小説、「贖い」を一気に読みました。
贖い | |
五十嵐 貴久 | |
双葉社 |
最近にしては珍しい、上下2段組の単行本でした。
7月1日、2日、3日と、連続して子供を殺害する事件が発生します。
しかし、場所が杉並・埼玉・愛知と離れているうえ、被害者が小学生の男の子、中学生の女の子、1歳の男児と、関連性を指摘する者もなく、それぞれ警視庁、埼玉県警、愛知県警が独自に捜査します。
粘り強い捜査の末、59歳になる大手商社マンが浮かび上がります。
変質者や異常性欲者の若い男に捜査対象を絞っていた上層部はこの見立てになかなか首を縦に振りません。
それもそのはず、商社マンは誰に聞いても、真面目すぎるほど真面目で、部下や同僚、上司からの信頼も厚い、常識を備えた立派な社会人であるからです。
やがて語られる20年前に起きた商社の息子の死。
そこから、20年にもわたる、商社マンの復讐へのストイックなまでの暮らしぶりが語れます。
彼を追い詰める警部と商社マンとの緊迫感あるやりとり。
グイグイと読ませます。
商社マンが逮捕されたとき、3人の子供を殺した凶悪犯であるにも関わらず、私は犯人への同情を禁じ得ませんでした。
その動機があまりに切なく、真面目すぎるがゆえの悲劇かと思わせたからです。
ご一読をお勧めします。
今日は節分。
豆をまいて福を呼び、邪を払う日ですね。
実家に住んでいたころは毎年節分をやっていましたが、一人暮らしの時も、結婚してからも、この行事を行ったことはありません。
季節の行事は大切にしたいですが、マンション暮らしでは、そんな気も起きません。
まいた豆を掃除するのも面倒くさいですし。
年の数だけ豆を食うとか言いますが、もう食える年ではありません。
47粒もねぇ。
季節は確実に移ろっているようで、最近は日が長くなりました。
なんとなく、感傷的な気分になるから不思議です。
2月を迎えましたが、寒い日が続きます。
熱燗の旨い時季ではありますが、医師が飲酒量を半分に減らせというので、月・火・水と三日間飲んでいません。
初日は苦痛でしたが、火・水とかえって気分爽快な夜を過ごしています。
読書なども楽しめますし。
3日連続で酒を飲まなかったのは、最近10年では、インフルエンザに罹った時くらいで、ほとんど覚えがありません。
思えば酒に逃れ、無意味な時間をずいぶんと積み重ねてしまったものです。
完全禁酒を命じられたわけではないので、週末は飲酒を楽しもうと思っています。
もっとも、今日の木曜日と、明日、金曜日に飲まないでいられるかは自信がありませんけれども。