昨夜某大学の紀要を読んでいて、面白い記事がありました。
ヨーロッパの貴族の教養と日本の武士道を比較して、ヨーロッパ貴族の教養は債権債務主義で、日本の武士道は債務至上主義だというのです。
債権債務主義というのは、貴族は特権と富を手にするが、代わりに高い倫理観と重い義務を負うということです。
莫大な債権を持っているけど、負っている債務も重い、従って両者は相殺されて、貧乏な庶民と同じになる、ということでしょう。
第一次世界大戦後、英国ではイートン校の庭の勝利、と言われたそうです。
エリート貴族が集まるイートン校出身の将校が一番戦死率が高かった、とのことで、ヨーロッパでは敵の前で伏せる場合、将校は最後に伏せ、立ちあがる場合最初に立ちあがるのが当然と考えられていたということですから、うなづける話です。
武士道では、債権を投げ出して滅私奉公せよ、という債務だけがある、ということです。
この影響は現在の日本にも及んでいて、犯罪であるはずのサービス残業が横行したり、欧米では100%取得が当然の有給休暇が、日本では50%程度しか消化されていないなど、債権よりも債務を優先させる癖がついてしまっているように思います。
サービス残業(債務)はするけど、超過勤務手当(債権)は放棄する、まさに債務至上主義ですね。
当然の権利である育児休暇を取得した市長や知事に批判が寄せられるのも、高い地位に就いた者は債権を放棄せよ、という理屈であろうかと思います。
竹原前阿久根市長のように、市議や市職員の給料を下げることに執念を燃やすおかしな行動は、武士道の滅私奉公を市議や市職員に強いるもので、誠に前近代的であると言わざるを得ません。
また、総理大臣の給料は明治時代に定められてから、第二次大戦後まで一円も上がらなかったそうです。
官僚の給料が上がり続けたにも関わらず。
これも、一国の総理は債権を求めず、債務履行に命をかけろ、ということでしょう。
武士は食わねど高楊枝、と言うとおり、やせ我慢と見栄が求められているようです。
しかし不思議に思うのは、本来武士は一所懸命と言う如く、一所、つまり土地を守り増やすために戦う集団で、主人に忠誠を誓うのも一所を与えてくれるからだと思うのですが、いつから債務至上主義になったのでしょうね。
多分山本常朝やら山鹿素行やら、当時危険思想とされていた勝つことだけが目的ではない武士道という概念が平和な江戸時代に育ったものと思われます。
戦国時代までは、卑怯な真似をしてでも勝たなければならない、というのが武士の考えだったはずですから、江戸時代に至るまで武術はあっても武士道は無かったのではないでしょうか。
要するに士農工商の一番上に選ばれて生まれてきたのだから、強い倫理観をもって債務を果たせ、ということでしょう。
武士という職業に道をつけて思想とすることには少々無理があります。
しかし江戸期、町人には町人道、農民には農民道とでも呼ぶべき倫理規範があったものと思われます。
それなら現代日本は、新たにサラリーマン道とでも呼ぶ他ない倫理規範を確立しなければなりません。
それは高度成長期のようなモーレツ社員でも、バブル期の金持ち社員でもない、債権債務が平等な倫理規範でなければなりません。
武士道 (岩波文庫) | |
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